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大坂の陣で豊臣軍と戦う宮本武蔵  作者: カイザーソゼ
11話 天王寺・岡山の戦い
143/145

11-15

 長宗我部盛親は京都市内の藪の中にいた所を捕まった。

 処刑前、長宗我部は市内を引き回された。


 長宗我部は縛られた姿で馬に乗せられた。槍を持った警備兵が周囲を固めた。

 一行は京都でも人手の多い通りを歩いた。

 見物人は盛んにヤジを飛ばした。


「豊臣家が再び天下をお取りになった!」

「黒田!福島!早く助けてやれよ可哀想だろ!」

「四国の雑魚の中では最強!」


 長宗我部は真っ赤になって反論した。


「後藤が裏切らなきゃ今頃家康がこうなってたんだ!次やったら絶対負けねえ!」


 見物人は大笑いした。

 京都所司代の板倉勝重と笠男が見物人の中にいた。板倉は「帰ろう」と申し出た。

 二人は通りを離れた。


 板倉は歩きながら確認した。


「間違いないんだな?」


「はい。伏見の家も割れています。すぐに行けますよ」


 板倉は浮かない顔だった。

 笠男は尋ねた。


「止めますか?」


「いや。法律に従って謀反人の息子を処刑する」


 板倉は伏見の家に捕縛部隊を送った。国松と夫婦は逮捕されて京都所司代屋敷に移送された。


 同じ日に堺焼き討ちの首謀者、大野治胤も京都市内で逮捕された。

 幕府は堺奉行に就任した長谷川藤広(岡本大八事件の当事者)に対し、治胤を堺に連行して火あぶりの刑にかけるよう命じた。


 江戸時代の司法は加害者に優しい。

 十両盗めば死罪という法律があっても、裁判役人は窃盗額を十両以下にまけてくれた。火事の時に親を見捨てて逃げれば死罪という法律があっても、一緒に逃げた後に見失った事にしてくれた。

 火あぶりといっても、温情処分で火を点ける前に絞殺するのが慣習になっていた。


 長谷川は本当に生きたまま治胤を焼き殺した。


 逮捕された国松は風呂に入り、綺麗に身なりを整えた。

 夜、板倉と国松は共に豪華な夕食を取った。これが最後の晩餐だった。


 板倉は対面に座った国松を見つめた。

 肌が黒くて目付きが鋭い子供だった。育ちがいいので姿勢と食べ方が綺麗だった。魚は小骨まで取り、御飯は少しづつ口に入れた。


 板倉は国松に尋ねた。


「お名前は何と申されますか?」


 国松は口の中の物を全て食べた後、箸をお膳に置いて答えた。


「分かりません」


「自分の名前が分からない人はいないでしょう。では普段何と呼ばれていますか?」


「皆は『若様』と言います」


 板倉は泣いた。

 明日、自分の名前も知らない子供を引き回した後、処刑場に送らないといけない。

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