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長宗我部盛親は京都市内の藪の中にいた所を捕まった。
処刑前、長宗我部は市内を引き回された。
長宗我部は縛られた姿で馬に乗せられた。槍を持った警備兵が周囲を固めた。
一行は京都でも人手の多い通りを歩いた。
見物人は盛んにヤジを飛ばした。
「豊臣家が再び天下をお取りになった!」
「黒田!福島!早く助けてやれよ可哀想だろ!」
「四国の雑魚の中では最強!」
長宗我部は真っ赤になって反論した。
「後藤が裏切らなきゃ今頃家康がこうなってたんだ!次やったら絶対負けねえ!」
見物人は大笑いした。
京都所司代の板倉勝重と笠男が見物人の中にいた。板倉は「帰ろう」と申し出た。
二人は通りを離れた。
板倉は歩きながら確認した。
「間違いないんだな?」
「はい。伏見の家も割れています。すぐに行けますよ」
板倉は浮かない顔だった。
笠男は尋ねた。
「止めますか?」
「いや。法律に従って謀反人の息子を処刑する」
板倉は伏見の家に捕縛部隊を送った。国松と夫婦は逮捕されて京都所司代屋敷に移送された。
同じ日に堺焼き討ちの首謀者、大野治胤も京都市内で逮捕された。
幕府は堺奉行に就任した長谷川藤広(岡本大八事件の当事者)に対し、治胤を堺に連行して火あぶりの刑にかけるよう命じた。
江戸時代の司法は加害者に優しい。
十両盗めば死罪という法律があっても、裁判役人は窃盗額を十両以下にまけてくれた。火事の時に親を見捨てて逃げれば死罪という法律があっても、一緒に逃げた後に見失った事にしてくれた。
火あぶりといっても、温情処分で火を点ける前に絞殺するのが慣習になっていた。
長谷川は本当に生きたまま治胤を焼き殺した。
逮捕された国松は風呂に入り、綺麗に身なりを整えた。
夜、板倉と国松は共に豪華な夕食を取った。これが最後の晩餐だった。
板倉は対面に座った国松を見つめた。
肌が黒くて目付きが鋭い子供だった。育ちがいいので姿勢と食べ方が綺麗だった。魚は小骨まで取り、御飯は少しづつ口に入れた。
板倉は国松に尋ねた。
「お名前は何と申されますか?」
国松は口の中の物を全て食べた後、箸をお膳に置いて答えた。
「分かりません」
「自分の名前が分からない人はいないでしょう。では普段何と呼ばれていますか?」
「皆は『若様』と言います」
板倉は泣いた。
明日、自分の名前も知らない子供を引き回した後、処刑場に送らないといけない。