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国松は着物も取られて全裸で放り出された。
川の水を飲んで空腹を誤魔化した。
川原に住んでいた男がふんどし代わりの布を恵んでやった。十分後に別の男に布を奪われた。
歩き回って食べ物を探した。大人はうつむいて歩く全裸の子供を見て見ぬ振りをした。子供は面白半分に石を投げた。
落ちていた馬糞を漁って未消化の穀物の種を見つけた。川で洗って一粒一粒、飴のように舐めて食べた。
寺の境内で眠れぬ夜を過ごした。
毎日歩いている内に日焼けと汚れで肌が黒くなった。栄養不足で目付きが鋭くなった。夜になっても不安で眠れない。木にもたれかかって座り、血走った目で暗闇を睨み続けた。
乳母夫婦は国松を探して伏見までやってきた。
夫妻は歩き回って住民に話を聞いた。
酒屋の店主に聞くと、乞食の子供が最近現れたという。街の子供にいじめられてかわいそうだと憐れんだ。
街の子供に聞くと、最近は見ていないという。石当ての的が死んで残念だと笑った。
寺の住職に聞くと、境内で野宿していた子供に声をかけたら二度と現れなくなったという。奉行所に突き出されると思ったのかもしれない。
夫妻は伏見市内のとある橋に向かった。ここは奉行所も近寄らない危険地区だった。
笠を被った大男が二人を尾行した。
橋の下に行き場のない人々が集まって、ただぼんやりと座っていた。死体やゴミはそのまま放置された。強烈な悪臭が一帯に漂っていた。
夫婦はゾンビの巣のような川原に下りていった。
国松は地面の上に屈葬の形で横たわっていた。
腹痛と脱水症状で意識がもうろうとしていた。体は日焼けと垢で真っ黒。あばら骨が浮き上がっていた。
夫婦は「若様!」と呼びかけた。
国松は必死に上半身を起き上がらせようとした。周りは無反応で座ったままだった。
夫婦は国松に駆け寄って抱き締めた。
三人は声を上げて泣いた。乾いた国松の体からは涙がほとんど出なかった。
笠男はその様子を遠くから見つめた。
関ヶ原の時、家康は敵将の妻子を無罪放免で釈放した。石田三成、大谷吉継、小西行長の子供も全員生き長らえた。
唯一、大阪城にいた小西の十二才の長男だけが輝元に処刑された。輝元は「勝手に切腹した。殺した訳ではない」と偽って息子の首を家康に献上した。家康は怒って受け取りを拒否した。
戦争を通じて幕府の主導権は秀忠に移った。秀忠は敵将の妻子は殺す気だった。