11-12
悪の本拠地に攻め込んだ幕府軍は避難民を拉致し、家財を略奪した。まだ焼けていない家には火を点けた。
坂崎直盛隊はジード団のように暴れ回った。
午後四時、大阪城を出た堀内隊は坂崎隊の陣地に駆け込んだ。千姫は坂崎経由で淀と秀頼の助命を秀忠に申し込んだ。
秀忠は要求を拒否した。千姫本人とは会おうともしなかった。逆に「大将の妻が逃げるな。城と運命を共にしろ」と追い返そうとしたが、さすがに周囲に止められた。
千姫は秀忠隊参謀長の本多正信を通じて家康に泣き付いた。家康は「自分は許す。しかし秀忠の同意を取らないと助命は無理だ」と答えた。
幕府の実権は戦争を主導した秀忠に移っていた。
京極隊は大阪城の北東に布陣していた。
同時刻、月見櫓を出た使者は京極隊の陣地に駆け込んだ。
使者は大和転封を飲むから降伏する、と常高院に伝えた。常高院は同条件で秀忠に降伏を申し込んだ。
秀忠は常高院の要求も拒否した。今更大和転封が交渉条件になるはずもない。
夜になった。天守閣に火が燃え移った。
月見櫓の二階では浅井「いいから死ね」、秀頼「嫌だ死にたくない」と延々議論が続いていた。
月見櫓に籠ったメンバーは全部で三十人程度。脱出に成功した毛利はこの時点までに合流出来たが、治房と治胤はいなかった。
浅井は切れた。
「ああ分かりましたよ!じゃあ俺が手本を見せます!皆さんこのようになさってくださいね!」
浅井は着物を脱いだ。
毛利は浅井を羽交い絞めにして外に連れ出した。
城外からも炎上する天守閣はよく見えた。
幕府は秀頼は自害して天守閣に火を点けたと思った。城に攻め込んだ部隊は一旦下がらせた。家康の本陣は茶臼山に、秀忠の本陣は岡山に前進した。
死亡確認のため、一人の男が大阪城に派遣された。
夜中、片桐且元は部下に輿を担がせて城内に入った。
かつての豊臣家の筆頭家老である。大野に追放されて今は幕府に仕えていた。この時は病気で体調不良だったが、城に最も詳しい人物として幕府から偵察任務を託された。
片桐は城内を見て回った。
ほとんどの建物は焼け落ちていた。しかし不燃性の蔵はまだ残っていた。
片桐は城の北側に回った。
空堀を隔てて、本丸の最北端に保存食を保管する干飯蔵が見えた。
食糧庫が焼けると大変なので特別頑丈に作ってあった。立派な地下室もあった。蔵は実質的な避難シェルターとして機能していた。
月見櫓を出た秀頼一行は干飯蔵に逃げ込んだ。速水が蔵の前に立って警備していた。
片桐は蔵を指差した。
「あそこだ……」
速水は顔見知りの片桐を見つけると、大喜びで手を振った。片桐の力でここから抜け出せるかもしれない。
五月八日朝、片桐は岡山の秀忠本陣を訪れた。
片桐は秀忠の前に進み出て、偵察結果を報告した。
「秀頼は死んでいません。まだ生きています。大野治長ら譜代家臣や、淀や女中達と一緒に本丸北の干飯蔵に籠っているのを確認しました。
大野は自分の切腹を条件に秀頼の助命嘆願を願っています」
片桐は頭を下げて頼んだ。
「どうか謀反人秀頼に死をお与えください。息子だからと二度も許せば天下のご政道は成り立ちません。生い先短い老人の願いをどうかお聞き届けください」
「誰に何を言われようが決して許さない。お前の墓には大野と秀頼の首を供えてやる。だから安心して養生しろ」
片桐は涙を流して感謝した。
朝八時、秀忠の元に常高院の助命嘆願の使者が再びやってきた。
秀忠はまた断った。
「秀頼は徳川の下風に立ちたくない一心で三年間挑発し続けた。自分の領地も統治出来ないのに日本を治めようとして二度の反乱を起こした。
秀頼が同意すれば大阪六十万石の大名として生きる道もあった。それを拒否して戦を始めたのに、最後は蔵に逃げ込んで命乞いか?
武士の棟梁として、そのような卑怯な振る舞いは決して許さない。切腹を命じる」
秀忠は側近の一人を蔵に派遣して切腹を命じた。
家康は本多正信と茶臼山の頂上で密談した。
家康は「何とかならないか?」と頼んだ。
「無理ですね。秀頼は切腹を命じられた後もまた助命嘆願を求めてきました。将軍家の怒りも限界です。俺だったら蔵に大砲打ってますよ」
「俺なら許す」
「しかしもう大御所の時代ではありません」
二人は景色を眺めた。
城も街も焼け落ちていた。廃墟から無数の煙が立ち上っていた。
正信は言った。
「我々の甘さが天下を揺るがして大乱を招きました。後は峻厳な将軍家に任せましょう」
家康は正信に命じた。
「夏目吉信(三方ヶ原で家康の身代わりになって死んだ家臣)の息子を呼んできてくれ。お前の父親のおかげで天下は定まったと、この景色を見せてやりたい」
正信は「甘いお方だ」と呟いて立ち去った。
昼〇時、秀忠の命令で井伊直孝隊は大阪城に入った。
城内の建物はほとんど焼失していた。
例の干飯蔵は焼け残っていた。見張りはいなかった。
井伊隊は蔵から二十メートルほど離れた場所に立って銃を構えた。
部隊指揮官は「よろしいですね?」と井伊の最終判断を仰いだ。
「ああ。一旦打って様子を見る。
将軍家は最後まで待った。俺もここで待って切腹の名誉を与えたい。それでも死なないと言うのなら、蔵に入って全員打ち殺す」
井伊隊は射撃を開始した。蔵に絶え間なく銃弾が打ち込まれた。
中から悲鳴が聞こえた。
指揮官は「待て、待て」と射撃を止めさせた。
蔵の中から様々な男女の断末魔が聞えた。秀頼一行三十人は集団無理心中を始めた。
助けを求める声も聞こえた。死にたくないと泣き叫ぶ声も聞こえた。
やがて蔵から火の手が上がった。最後の一人が火を点けたようだった。
井伊隊は無言で炎を見つめた。
五月八日昼、戦争は終わった。
別の資料では、井伊隊は中に乗り込んで秀頼一行を射殺した後、蔵に火を放ったとある。
また別の資料では、秀頼と淀は蔵の外に出て命乞いしたが、許されずに半ば強要される形で自害したという。