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会議は一通り終わった。
最後に総司令官の大野治房はメンバーに指示した。
「ともかく、ともかく命令を守ってくれ。勝手に動くな。勝手に攻めるな。もう本当にこれだけだ。
明日は全員の心を一つして敵を迎え撃つ。防御だ。柵から出て攻撃するな。上様ご出陣まで戦うな。違反した者は成敗するからそのつもりでいろ。
上様のお馬印(部隊のシンボル)が戦場に翻れば敵の心はバラバラになる。兵の数は関係ない。最後は信じる心が勝つ!」
治房は副司令官格の幸村と毛利に発言を求めた。
二人も命令順守と規律の徹底を求めた。
防御は攻撃より強い。全員で組織的に守れば必ず勝機が見えてくる。個人の手柄より全体の勝利。一丸となって守り抜こう……
深夜から明け方にかけて、豊臣軍は割り振りに従って布陣した。
治房は各部隊に書状を送って命令順守を再度求めた。
―「真田、毛利との合意に基づき、抜け駆け行為を固く固く禁ずる。ともかく敵を引き付けて戦えば必ず必ず勝機が開ける。
重ねて命じる。敵が来ても茶臼山~岡山の線から出るな。これが本当に必ず必ず大事な事だ。部下にもよくよく申し付けておくように。違反者は処刑する。
昨日の戦いは余りにも遠くまで攻めていって負けた。今日の戦いは天下分け目の大戦。治房一人が手柄を立てても豊臣軍が負けたら意味がない。命令を固く守れ」
治房の指示は非常に分かりやすいが、やや意味が通じにくい部分が二カ所ある。
前半の「ともかく敵を引き付けて」。鉄砲の基本は敵を思い切り引き付けてから打つ事である。治房は決戦に臨んで基本中の基本を徹底させた。
後半の「昨日の戦いは~」。昨日は無理な遠征を仕掛けたから負けた。だから今日は近場で相手を待ち構える。この作戦なら勝てる、といったほどの意味である。
豊臣家首脳部は勝利を諦めていない。手持ちの材料で彼らの考える最善の作戦を組み立ててきた。
冬の陣の真田丸の戦いは首脳部の唯一の成功体験だった。幕府に勝つには防御しかない。天王寺の窪地を真田丸に変えれば冬の陣を再現出来る。
切り札は秀頼だった。真の主が戦場に出れば豊臣恩顧の大名は雪崩を打って寝返るはずだ。
幕府軍も七日朝に天王寺南方に現れた。こちらも勝手な戦闘を禁じられていた。部隊は事前の取り決め通り布陣した。
豊臣軍の士気は低く、規律は緩んでいた。
指揮官の一部は味方に不信感を持った。周りは信用出来ない。こうなったら組織の力を当てにせず、個の力で打開すべきではないか。
幕府軍は士気が旺盛だった。これが国内最後の戦いだと誰もが認識していた。加増のラストチャンスに多くの者が奮い立った。
豊臣軍に対するヘイトも高まっていた。豊臣軍は人口八万の堺と一万の大和郡山を壊滅させた。正義心は判断力と罪悪感を鈍らせる。
両軍は現場の暴走の危険を共に抱えていた。