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大坂の陣で豊臣軍と戦う宮本武蔵  作者: カイザーソゼ
10話 道明寺の戦い
124/145

10-10

 西郡村の東に小川が南北に流れていた。


 木村と親衛隊は小川の東岸の土手の上に立ち、押し寄せる庵原隊を弓鉄砲で迎撃した。

 木村は馬上槍を振るって敵を突いた。


 大久保忠隣事件で改易された山口重信が庵原隊に参加していた。

 山口は槍一本でがむしゃらに突っ込んだ。銃弾が左肩を打ち抜いたが構わず突き進み、木村の右隣にいた弓兵の喉を下から突き上げた。

 木村は山口の右肩を槍で突き刺した。親衛隊は鉄砲で胸を打って山口を仕留めた。


 庵原は側近数名を連れて土手の北側に上がった。

 木村は馬を走らせて一人で北に向かった。


 庵原は「手出しするな」と側近達に命じた。彼らは庵原の後ろに下がった。

 木村が単騎で突っ込んできた。二人は馬上槍で打ち合った。


 庵原は顔目がけて十文字槍を突き出した。

 木村は顔を左に傾けてかわした。


 木村は白い母衣(大きな提灯)を背中に背負っていた。

 十文字槍が母衣の骨組みに絡まった。

 庵原は両手で槍を引っ張って木村を馬上から引きずり下ろした。木村は落馬して斜面に落下。そのまま土手の下まで転げ落ちた。

 庵原の側近数名が動けない木村に襲いかかった。


 庵原の家臣の一人、安藤重勝が東岸の土手にやってきた。

 庵原は一人で土手を下って小川を渡っていた。

 安藤は「庵原様!」と土手の上から庵原に呼びかけた。


「首はお前にやる!一番乗りの栄誉は俺の物だ!」


 庵原は西岸の土手に上がると、たった一人で西郡に突撃した。


 幕府軍三千は別動隊を撃破して北から西郡に迫った。

 後続の幕府軍も続々と戦闘に参加した。

 木村隊は壊滅した。井伊隊は休む間もなく南に向かった。


 八尾の藤堂隊は何とか長宗我部隊を追い払って長瀬川東岸まで進出した。しかし追撃する余力はなかった。


 長宗我部隊は長瀬川西岸まで撤退して休息した。

 精鋭の旧家臣団は銃撃戦で壊滅した。残りは練度と士気が低い牢人衆だった。


 両隊は川を挟んで睨み合った。

 東岸には藤堂家の黒い旗が、西岸には長宗我部家の黄色い旗が立ち並んでいた。


 東岸に井伊家の赤い旗が大量に立った。

 藤堂隊と井伊隊は大歓声を上げた。


 長宗我部隊は木村隊の敗北を悟り、西岸から撤退を開始した。

 両隊は川を渡って追撃した。


 この戦いで藤堂隊は戦死七十人。敵六百人を殺した。

 井伊隊は戦死百人で敵三百五十人を殺した。

 藤堂隊は指揮官クラスの重臣が六人死んだ。井伊隊は一人死んだ。兵士はいても指揮官がいないと部隊は動かせない。両隊の戦闘力は低下した。


 木村は戦死。指揮官クラスも多数討ち取られた。長宗我部隊は銃撃戦と追撃戦で大打撃を受けて二度と戦えなくなった。

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