10-6
後藤隊は逆落としで松倉隊に突撃した。
松倉隊前衛は連続射撃で槍突撃をストップした。
後藤は負傷した前衛を下げて、新たな前衛を繰り出した。
後藤隊は死を恐れない正面突撃で松倉隊を押し込んだ。
松倉隊は前衛陣地を放棄して後衛に下がった。
後衛陣地に前衛の兵士が逃げてきた。その後ろからは後藤隊が追ってきた。
後衛はパニックに陥った。後衛、前衛の一部の兵士は南の伊達隊の方へ逃げていった。
松倉は大声を上げて部隊を叱咤した。
後藤隊は後衛陣地に攻めかかった。後衛は鉄砲連射で打ち倒した。
後藤は傷付いた前衛を下げて再び新手を繰り出した。
東の麓の伊達隊は火縄銃に火を点けて構えていた。
北から血まみれの敗残兵が逃げてきた。
前から味方が逃げてくると群集心理で後続も逃げる。これを裏崩れという。ゾンビが噛んで味方を増やすように、敗残兵は敗残兵を増殖させる。
伊達隊は発砲した。敗残兵は全滅した。伊達隊は恐怖のウィルスに感染した兵士がこちらに来る前に殺処分した。
水野隊が松倉隊の救援に駆け付けた。
先鋒は堀隊。突スナで後藤隊の右側面を打ち崩し、槍突撃で突っ込んで、中を食い破り左側面から飛び出した。
堀隊はそのまま西に抜けて小松山の西側を目指した。
後藤隊は先鋒と本隊に分断された。中に隠れていた後藤の本陣が露わになった。
続いて勝成と武蔵を先頭に勝成本隊が突っ込んできた。
後藤は槍を構えて勝成に叫んだ。
「三万石の雑魚に用はねえ!政宗呼んできな!」
「今からその雑魚に惨めにぶち殺される訳だが、その気分はどうだ豊臣最強後藤又兵衛さんよおおおおおお!」
勝成本隊と後藤本隊は激突した。
勝成は最前線で槍を振るって敵を突き伏せた。
武蔵は敵陣に切り込んで櫂型大木刀(舩の櫂を削って作った大きな木刀)を振り回した。敵は重量級の横切りでなぎ倒され、縦切りで叩き潰された。
勝成本隊は猛烈な勢いで敵を頂上まで押し上げていった。
松倉隊も逆襲に転じた。分断された後藤隊先鋒は壊滅した。
東の伊達隊、本多隊、松平隊もそれぞれ西進を開始した。
頂上の後藤隊は山道を上ってくる三隊と打ち合った。三隊は大火力で後藤隊を圧倒した。
後藤本隊は山頂まで後退した。
東の麓から一万九千の軍勢が攻め上がってきた。北の麓からも四千が追ってきた。
これ以上は支えきれない。後藤は全軍撤退を指示した。
「引け!引け!藤井寺まで後退だ!」
伊達隊が東の守備隊を撃破して頂上に雪崩れ込んできた。
伊達隊の先鋒は片倉重長が務めていた。
東北一の美青年である。十代の頃は小早川秀秋のストーカー被害に悩まされた。
開戦前、片倉は政宗に自ら先鋒を志願した。政宗は感激して片倉を抱き締め、「お前以外の誰に先鋒を任せるものか!」と泣きながら頬にキスしたという。
片倉隊は後藤目がけて連射した。
後藤の側近数名はハチの巣になって即死した。
後藤は腰の骨を打ち抜かれて仰向けに倒れた。
竹束を抱えた数人がやってきて、後藤の前に盾を作った。
片倉隊は連射した。盾役の兵士は必死に防いだ。
若い部下二人が後藤に駆け寄った。
腹から大量に出血していた。顔は青白く、表情はうつろだった。もう助けようがなかった。
後藤は最後の力を振り絞って伝えた。
「腰の脇差で首を切れ。俺がどうやって死んだか上様に伝えて欲しい……」
後藤は絶命した。
後藤は秀頼からもらった脇差を腰に差していた。これで首を落とせば最高の忠義の証になる。
しかし敵はそこまで迫っていた。怖くなった二人は戦死の証に脇差と背中の白い旗指物を取って逃げた。
伊達隊に続いて水野隊、松平隊、本多隊も山頂に到着した。後藤隊は小松山を捨てて西の山道を駆け下りていった。
水野隊から別れた掘隊が西の麓に待ち構えていた。後藤隊は死兵となって堀隊に襲いかかった。
堀隊は付き合わず徐々に下がって、疲れが見えた所で側面攻撃を仕掛けた。
後藤隊の救援要請を受けて藤井寺の本隊が動いた。
幸村、渡辺糺隊一万一千は道明寺南部に、明石全登、薄田兼相隊三千は道明寺北部に進出した。
毛利勝永隊三千は藤井寺に残って両隊を支援した。
幸村隊は東進して石川を目指した。
川向うの霧の中から発砲音が絶え間なく聞こえていた。
発砲音は徐々に少なくなり、やがて何も聞こえなくなった。
幸村は部隊に指示した。
「全軍停止。迎撃の準備を」
盾足軽は前線に竹束を連ねた。鉄砲足軽は銃を構えた。
小さな水音が聞えた。
霧の中から騎馬武者が一騎現れた。
首がなかった。胴体に龍の絵を描いた黒い鎧、「日月竜文蒔絵仏胴具足」を着ていた。これは後藤の鎧である。
大きな水音が聞こえた。
幕府軍二万三千は石川を渡って道明寺に押し寄せた。