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大坂の陣で豊臣軍と戦う宮本武蔵  作者: カイザーソゼ
9話 大和郡山城の戦い
114/145

9-15

 二十八日午後、家康親子と諸大名は二条城大広間に集まった。


 家康親子は座敷の奥に並んで座った。諸大名は二人の対面に座った。

 全国のほぼ全ての大名がこの場に揃った。


 秀忠は開戦を宣言した。


「公儀は最後の最後まで平和的解決に向けて努力した。しかし豊臣は我らの思いに答える事なく、最悪の形で拒絶してきた。

 悪逆の謀反人秀頼を最早許してはおけない。今こそ兵を挙げて大阪を討つ。異議はあるか?」


 諸大名は「異議なし!」と口々に同意した。

 秀忠は指示を出した。


「兵を二つに分ける。

 大和方面軍。大将は松平左近少将(弟の松平忠輝)。先鋒は水野日向守。伊達陸奥守を補佐に付ける。東の奈良街道から豊臣領に侵攻しろ。

 河内方面軍。大将は松平三河守(甥の松平忠直)。先鋒は藤堂和泉守と井伊掃部助。前田筑前守を補佐に付ける。北の東高野街道から豊臣領に雪崩れ込め。

 両軍は道明寺で合流。天王寺口に展開して我ら親子を待て。

 小荷駄は要らない。腰兵糧だけでいい。三日で悪党を滅ぼすぞ!」


 諸将は「応!」と声を揃えた。


 浅野隊は北上を続けた。

 奈良から逃げてきた治房は岸和田城で弟と合流。部隊を引き継いで南下した。本当ならそのまま大阪城に帰ってもいいのだが、治房は汚名返上の勝利を何としても欲しがった。


 治胤は一部隊を率いて岸和田城包囲を続けた。


 二十九日、大野治房隊二千と浅野隊五千は岸和田城の南の樫井で激突した。

 夏の陣の始まりである。


(続く)

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