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四月十日、家康は名古屋に到着した。
秀頼からの結婚を祝う使節団もやってきた。その中に疲れた顔の青木もいた。
家康は青木と面会して、改めて大野の真意を確かめた。
大阪城退去拒否、牢人衆解雇拒否で答えは変わらなかった。また加増の件の返答が早く欲しいとも言ってきた。
家康は返答した。
「加増の件は京都で正式に返答する。少し待ってくれ。それとお前さえよければだが、また徳川で働いて欲しい。もうあの狂人の巣には戻りたくないだろう」
青木は無言で頷いた。
「そのまま城から出ればただでは済まない。こちらで上手く取り図ろう」
「ありがとうございます……」
家康は「牢人を追放するようにどうか考えを改めて欲しい」という内容の大野治長宛ての書状を青木に持たせて帰らせた。
豊臣家は加増を諦めていなかった。ポジティブに考えればまだ交渉の余地はある。和平の道は断たれてはいない。
四月十二日、名古屋で徳川義直の結婚式が盛大に行われた。同時に京都から大野治長暗殺未遂事件の情報がもたらされた。
ここで大野まで消えると大変な事になる。家康は大野の弟で幕府に仕えていた大野治純を見舞いの使者として送った。また治純には「牢人を追放するように考え直して欲しい」というメッセージを再度大野に伝えるように命じた。
四月十三日、家康は新築の名古屋城本丸御殿で織田有楽斎と面会した。
有楽斎はこれまでの行いを謝罪し、今後は幕府に二心なく仕える事を誓った。
家康は城内の状況を尋ねた。
有楽斎は三派閥に分かれている事、最も過激な派閥が主導権を握っている事、穏健派の言う事にはもう誰も耳を貸してくれない事等を説明した。
家康は暗殺事件に対する有楽斎の見解を尋ねた。
「琵琶法師が見たって犯人は治房です。
治長は臆病な男です。もう弟に逆らう事はありません。かといって周りに馬鹿にされるのが恥ずかしいから豊臣家も辞めません」
「大野以外で話が通じる相手は?」
「いますが、過激派と粘り強く交渉して流れを変えられる者はいません」
「御台(淀)はどう?」
「あの中では一番ましという程度です。過度な期待は禁物です。
驚くべき事に、豊臣家は冬の戦いで勝ったと思っているし、次も勝てると思っています。
奴らは追い詰められて開戦した訳ではないんです。十分な勝算を持って、自ら進んで開戦を選び取ったんです。
今更交渉なんて無理だと思います。むしろ下手に出るほど『こちらにびびっている』、『徳川は弱い』と妄想を補強する結果になる」
「どこに勝算があるんだよ」
「切り札は秀頼の出陣です。真の天下の主が決戦場に姿を現せば、豊臣恩顧の大名は雪崩を打って寝返るから必ず勝てる、と連中は信じています。
開戦前、大野は全国の大名に協力を求めましたが全員に断られました。明智光秀にさえ味方になってくれる大名がいたのに。
なのに寝返る訳がないでしょう?」
後に有楽斎は「自分は最初から幕府側だった」、「スパイとして城に入ったのだ」と自己弁護を始めた。