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四月九日夜、大野一行は本丸から出た。
筆頭家老の大野は駕籠での移動を許されていた。周囲には五十人の警備が付いた。
大野は駕籠の中から「止まれ」と指示した。一行は本丸の門の前で止まった。
大野は門の陰で立小便した。
警備に扮した不審者が背後から忍び寄り、大野の左肩に脇差を突き刺した。
大野は絶叫して膝から崩れ落ちた。
周囲は慌てて抜刀した。
犯人は走って逃げた。
大野は肩甲骨辺りに刀が刺さったまま「追え、追え」と命じた。
二十人が犯人を追った。三十人はこの場に残って第二次襲撃に備えた。
犯人は暗い城内を百メートルほど逃げた。数人が追ってきた。
犯人は壊れた屋敷の土塀際に追い詰められた。ここは数か月前、大野が暗殺しようとしたかつての筆頭家老、片桐且元の屋敷跡だった。
追手の一人は正面から犯人の胸を突いた。
犯人の正体は分からなかった。
首脳部は捜査特別報奨金を出して市内で情報を募った。
犯人は三十才ぐらいの男。小紋の着物を着て、刃渡り四十センチの刃物を持ち……
すぐに情報提供者が現れた。本町(大阪市の中心地)に住む牢人の兄が怪しいという。首脳部は捕縛部隊を送り込んだが、牢人は逮捕される前に家に火を点けて自殺した。
治房グループは犯人は片桐且元と断定した。
死にたくない大野は治房に全面的に協力するようになった。後藤は口をつぐんだ。
首脳部の人事が変更された。
総司令官ポジションは大野治長から大野治房に、参謀長ポジションは後藤から長宗我部に変わった。新たに幸村と毛利が治房を支える副司令官ポジションに就いた。形としては治房グループと幸村グループの連立政権である。
大野治長は名誉はあるが実権はない元帥ポジションに昇格。後藤は一部隊の指揮官ポジションに降格した。
治房は兄が管理していた城の蔵を開けて、豊臣家の正式な事業として軍備増強に着手した。
武器弾薬の購入。堀の掘り返し。士気を高めるために兵士に多額の金品も配った。
豊臣軍の総兵力は八万に達した。