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四月一日、幕府は諸大名に出陣命令を出した。
―「秀頼に国替えを命じるために出陣する。
各大名家は平服で上洛せよ。武器、鎧は道具箱に仕舞って運べ。
西国の大名は一時待機。交渉が決裂したらまた改めて出陣命令を出す」
幕府は豊臣家に軍事圧力をかけて転封を飲ませようとした。圧力に成りすぎないように武装するなとも命じた。
四月四日、家康は駿府を出発した。
途中、また青木がやってきた。家康一行は宿泊地の御殿に青木を招き入れて話を聞いた。
青木は大野からの返答を述べた。
「大野修理は大阪城退去も牢人衆解雇も拒否します。全てを一旦白紙に戻したいとの事です」
家康は問い質した。
「どうなるか分かってるな?」
「覚悟はしております……」
「いやそんな覚悟はするな。
こっちは十六万。向こうは七万。今は頭に血が上っていても、どこかの段階で必ず目が覚める。必ず折れるはずだ」
豊臣家は開戦を決断した。
天守閣一階に集まった首脳部は秀頼の音頭で鬨の声を上げた。
秀頼が金の扇を振りながら、「えい、えい」と唱える。武将は「おう」と声を合わせる。これを三度繰り返す。
秀頼と参加メンバーは興奮して瞳孔が開いていた。感極まって泣き出す者もいた。
一同は熱狂的に「えい、えい、おう」を叫んだ。
最初に有楽斎が諦めて逃げた。
次に幸村が諦めたが、逃げずに死を覚悟した。彼は親族に「自分はもういないものと思ってください」という書状を送った。
秀頼側近の木村重成は遺書めいた書状と形見の刀を義兄に送った。
―「とにかく天下は家康のものです。
私は家康とは親密な関係です。板倉伊賀(勝重)から何度も内意を伝えられました(寝返り工作を受けた)。少しばかり考えたりもしましたが、今はただ一日も早く討ち死にする覚悟です。
昨晩同僚と話して、御母公の命令は無視しようと決めました。
この刀は元服の際に家康から授かった秘蔵の一品です。肌身離さず持っていましたが、形見に贈ります。姉は怒るでしょうか。何とかよろしくお伝えください……」
淀と後藤と大野は強硬に反対した。
治房グループは後藤と大野は裏切り者だと罵った。長宗我部盛親は後藤は幕府のスパイだと言いふらした。
前当主の淀の発言は無視された。