9-3
夜、幸村は大野の屋敷を訪れた。二人は茶室で密会した。
大野は頼んだ。
「牢人衆が勝手に工事を始めている。市中の店から米や大豆を買い上げる奴らも現れた。あいつらは徳川を舐めてるんだよ。あんな目に遭ったのに。
俺が止めろと言っても無理だ。お前から言って聞かせてくれないか?」
「牢人衆の大半は私を講和に同意する裏切り者だと思っています。やってはみますが、効果は限定的でしょう。期待はしないでください」
大野はがっかりした。
幸村は提案した。
「この動きはすぐ終わります。工事費用はどうします?米穀を買い上げる資金はどこから?御舎弟が自由に動かせる金が尽きるまで待てばいい。
今一度、御公儀に加増を頼んではいかがでしょう?」
「また俺に恥かけっていうのか!?」
「御舎弟を粛清して牢人を追放する勇気もない。御主君や御譜代を説得して財務を切り詰める根気もない。これで御家のためにかく恥もないのなら、何のための筆頭家老かという事になる。ご検討お願いします」
大野と有楽斎は治房グループに工事中止を申し入れた。
治房グループは応じなかった。逆に「何をしても実力行使に出てこない」、と見切られて行動が過激化した。
治房グループは城本体だけでなく、城下町全体を囲む惣構えの修復にも着手した。牢人の再雇用も始めた。
二月中旬、城内の動きを掴んだ板倉は「反逆の兆しあり」として幕府に報告した。
紀伊和歌山藩の浅野家も豊臣家監視の任務を託されていた。こちらの方は「問題ない」、「全て噂だ」と報告した。
開戦前は現地から「敵が攻めてくる」、「いや攻めてこない」と異なる情報が上がってくる。これをどう判断するかが司令部の腕の見せ所だ。そして大抵「何もしない」が選ばれる。
幕府は黙認した。待っている間に奇跡的に自浄作用が働いて、大野が治房グループを追放してくれるかもしれない。
二月末、有楽斎は駿府に家臣を送り、「こんな城もう嫌だ。引退して京都か堺に住みたい」と打診した。
幕府は有楽斎を宥めた。
大野も慰留した。大野一人では治房グループを抑えきれない。何とか頼んで城に残ってもらった。