グラム・ロックとはなんぞや?
グラム・ロック大好き♡
グラム・ロック。
グラム = グラマラス なロック、なわけですが。
じつは、これ。
そうカテゴライズされるミュージシャンさんたちの音楽性って、わりとばらばらなんですよね。
そもそも、その祖は。
○ Dの宇宙人のひと
○ Tの肉食恐竜バンド
のふたつな、わけですが。
この両者からして、音楽的にひとくくりにしていいものかと。
だから、グラム・ロックというのは。
☆ 音楽性ではなく、その姿勢
なのだという見解に達することができます。
中性的なメイク。
悲観、厭世、退廃、虚飾。
そんな言葉も浮かんでくるでしょう。
そんなグラム・ロックを象徴するような、ある名作映画があります。
私も大好きで、特典映像つきの2枚組DVDはもちろん。O.S.T.アルバムは国内版と輸入版の両方(収録曲が異なる)を持っていますし、トリビュートCDやDVDも。
何度も鑑て、そのたびぼろぼろ泣いております(笑)
いちばん好きな映画のひとつです。
ところが。
以前、この作品を鑑たという知人と話したのですが。
「私は私よ、って内容でしょ?」
!
——がぁんっと、きましたね。
彼は、ロックなどの音楽も聴く、絵画系の美術大学だかに通っていた人間でした。
なのに、そんな理解?
もちろん、私の理解こそが正解だなんて言うつもりはありません。
ですが。
その奥にあるのだと、私が感じたものは。
そのための感覚器を心に持っていないと、感じとることはできないのだと、そんなふうに思いました。
五感に、視覚のための目、聴覚のための耳などがあるように。
心にも、感じるものがちがえば、そのそれぞれのために。
心のなかに備わった、べつの感覚器が必要なのだ。
そして、その心の感覚器は、だれがどれをもっているかはひとそれぞれ。
きっと、私には理解できない作品がある——私の心に備わっていない感覚器があるから——ように。
この映画を、私の理解と近い感じかたをするための感覚器をもったひとは、そんなに多くはないのでしょう。
というか。
心の感覚器ってなに?
こんなこと、ふつうのひとに言って通じるのだろうか(汗)
そもそも、そんな表現を把握するために、そのための心の感覚器が必要なのでは?
こんな話を、あいてを選ばすに話せば。控えめに言っても、まあ、ちょっといかれた人間だと思われることでしょう(手遅れ)。
でも、ここに描けば。
心にさまざまな感覚器を備えた先生がたや、読み手のかたがたが、わんさかいらっしゃる。
こうやって描いても、ちょっと変わり者、くらいで済むわけです(?)
さて、先日、仲良くさせてくださってる先生にこちらの映画をすすめたところ。すごくよかったと、言っていただけました。
こちらの先生とは、私は共通の心の感覚器(ロック魂)を持っている気がしているため、とても嬉しくなりましたが。
やっぱり、その映画から感じたものを言語化するのは、ちょっと難しいかな、とは思います。
では、そもそも。
グラム・ロックとはなんぞや?
ここからは、私の私見です。
異論、批判、非難、否定。いろいろあることでしょう。
それでも、グラム・ロックを愛する者として。
あえて、述べてしまいます。
虚飾を愛し。
虚飾の虚しさも知ったうえで、その虚しさじたいまでも愛す。
虚飾を脱ぎ捨てることを知り。
脱ぎ捨てられるからこそ、纏うことにも意味があると知る。
虚飾を纏うことと、虚飾を脱ぎ捨てること。
どっちもできるのなら、どっちにも等しく価値があり、どっちのことも愛していける。
これが、私のグラム・ロックです。
私は、そんなグラム・ロックを愛しています。
意味がわからないかもしれませんが(苦笑)
こんなたわごとを、のたまうこともグラム・ロックだと思っております。
センキュー、ROCK'N'ROLL!!
婦人服売り場で、ロックっぽい服やスカーフを買ったりします。
好きな日本のロックスターも、同じことされてて、親近感(笑)