買われる少年_2
待つこと数分。
反対側の扉が叩かれ、女性が一人入ってきた。
人間の見た目を基準にするなら、十八くらいだろうか、凛々しい顔が印象的で、白い肌と不思議なほど調和がとれているその女性は、つい見惚れてしまうほどの高潔さを漂わせている。
「待たせたなホルン。さっそく手続きを始めてくれ」
纏った雰囲気にそぐわない凛とした口調で司会者―――ホルンに話しかける女性は、そう言いながら少年の方を一瞥した。
「いえいえ、とんでもありませんジェス様。さぁ、こちらの席へどうぞ」
「いや、このままでいい。面倒な挨拶もなしだ。フェリトナ様を待たせているからな」
「かしこまりました。では、こちらの書類に目を通していただいて問題がなければ署名をお願いします」
「わかった。あと金なら外に用意してある。好きなときに持っていくといい」
「承知いたしました」
ジェスと呼ばれた女性は、慣れた様子で数枚の書類を流し読みし、丁寧に署名していく。
「これでいいか?」
「はい、ありがとうございます。では、これが手枷の鍵となります」
そう言って、鍵を渡しながら深々とお辞儀をする司会者。
「……いくぞ。ついて来い」
ジェスがここで初めて少年に向かって言葉を発した。そのまま、特に少年のことを気に掛ける様子もなく歩き出したため、少年も遅れてついていく。
扉が閉まる直前に、ホルンが「フェリトナ様によろしくお伝えください」と言っていたがジェスは特に何か応えることはしなかった。
扉を出るとジェスの部下だと思われる数人の吸血鬼が待機しており、ジェスを見るなり、軽く会釈をする。全員が女の吸血鬼だ。
「お前達も急げ。フェリトナ様が首を長くして待っておられ……」
「あなたね!」
一直線にのびるこの廊下の一体どこから現れたのか、音もなく少年の目の前に姿を現した少女。
紅色の髪を頭の両側で結んだ髪型をしており、深紅の瞳がこの少女の美しさをいっそう際立たせていた。ステージ上から見た時の不適で妖艶な雰囲気は無く、年相応の天真爛漫な様子で少年の周りをぐるぐると回る。
「フェリトナ様!ここで何をしておられのですか!お一人で行動しては危ないとあれほど……」
「大丈夫よ!わたしに勝てるのなんて、お姉様達くらいだもの。そんなことよりもジェスの方こそ遅いじゃない!」
先ほどまで、凛とした佇まいを保っていたジェスだが、この少女―――フェリトナを前にして、焦ったり困ったりしている様子に、少年は少し印象を改めた。
「まぁいいわ。早くいきましょ!ここにはいたくないわ」
そういいながら、先ほどまで少年とジェスがいた部屋の扉の方をちらりと見るフェリトナ。
このときの『扉の向こうの何か』に敵意を表したような彼女の表情を少年は見逃さなかった。
フェリトナは気を取り直すように一度ため息をつく。
くるりと向き直って愛らしい笑顔を作ると、少年の腕を組んで歩き出した。
「お菓子も用意してあるのよ!あなたは、甘いものは好き?果物もあるわよ?」
主人と奴隷の関係だということを忘れてしまいそうなほど、馴れ馴れしい言動に少年は若干の戸惑いを見せるが、ふと、あのホルンといった司会者の言葉が頭をよぎる。もしかしたらこの少女からいろいろと情報を聞き出せるかもしれない。
「……なぁ、おまッ―――」
視界がぶれた。
さっきまで前方を見ていて、廊下の先にある出口と自分の腕を引くフェリトナの後ろ姿が視界にあったはずだ。
だが、今見えるのは床に敷き詰められていた石畳だけ。後ろの何者かに一瞬にして組み伏せられた事実にようやくたどり着く。
「貴様、調子に乗るなよ。フェリトナ様をお前呼ばわりしようとは……」
「ちょっとジェス、あんまり乱暴しないであげて」
「しかし、フェリトナ様に向かって……」
「わかってるわジェス。わたしのためを思ってしてくれたことも。でも、わたしがどうしてその子を買ったのか理由は知っているでしょう?」
「私は反対しました!こんな、身元も定かではない怪しげなものなどフェリトナ様にふさわしくないと……元をたどればあのホルンとかいう男が……」
「……ジェス……………………………………………………二度は言わないわ」
「……っ!」
後ろから息を呑む音が聞こえた。
張り詰めた空気。
殺気が、無数の針のように肌に突き刺さる。
無限に感じる一瞬の間に、少年は懸命に意識の糸を手繰り寄せる。
「……申し訳ありません、フェリトナ様」
ここにきてようやく背後の圧迫から解放される。先ほどまでの張り詰めた空気が嘘だったかのように、霧散していく。
少年はまだ緊張感が抜けきらないのか、全身から出た汗と悪寒で立つのがやっとだっだ。
「わかってくれればいいのよ。でも、そうね。後でゆっくり自己紹介しようと思っていたのだけれど、名前だけでも名乗っておくわ」
高貴な少女は、こほんと可愛らしく咳払いをした後、着ているスカートの端をつまんで、軽く足を曲げる。
「わたしの名前はフェリトナ・オーロード。知っていると思うけど吸血鬼の王族よ。覚えてくださると光栄ですわ」
にこりと微笑む可憐な少女と、それを警戒して後ずさる少年。
フェリトナはその少年の行動に、少し傷ついた表情を見せた後、ほっぺたを膨らましながら涙目でジェスの方へ向き直る。
「もう!ジェスのせいよ!嫌われちゃったじゃない!」
「貴様!フェリトナ様を泣かせるとは……この手で皮を剥いで……」
「はぁ……もういいわ。ジェス、あなたも名乗りなさい」
フェリトナのため息に、ジェスの方もかなり傷ついた表情を見せた後、こめかみに血管を浮かべながら少年のことを睨む。そして、そのままの状態で口を開いた。
「私は、ジェス・スコッティア。王族の方々に代々使えてきた誇り高い貴族だ。……覚えておけ」
ジェスの言う「覚えておけ」がどっちの意味かは分からないが、名前の方だと思うことにした。
少年は、この流れから次は自分の番だと口を開こうとしたが、フェリトナに「馬車の中でゆっくり話しましょ」と遮られてしまったため後に続く。