買われる少女_4
まだ太陽がほぼ真上に昇っており、街がもっとも活気づいている時間帯だ。
いろいろな種族が行きかい、朗らかな話し声や笑い声が聞こえてくる。
すぐ近くで、残酷な売買が行われていることなど、まったく知らないかのようだ。
でもそうではない。
彼らにとって奴隷は当たり前なのだ。
ただ、奴隷は高級品であるため、上層階級の富裕な層にしか縁のない話というだけのこと。
(地獄か……)
ふと、少年の言葉がよみがえった。
目の前に広がる光景がこの上なく遠くに感じる。
少年は奴隷をやめると言っていた。それは、彼が向こう側に行きたいと願ったからなのだろうか。
向こう側に行けば幸せになれるのだろうか。
わからない。
少年と話しているとき、つい気持ちが大きくなってしまって『自分も逃げ出す』と言ってしまったが、もうそんな気力も湧いてこない。
きっとできるはずがない。
仮に、うまく逃げ切ったとして一人でどこへ向かえばいいのか。行き場所なんてどこにもないのに。
ただ、あの少年と一緒だったら……。
そこまで、思いをめぐらせたあたりで自分の主人にあたる男が立ち止まった。
「さぁ、ついたぞ」
見ると、二頭引きの馬車と一人の女性の姿がある。
二頭の立派な馬に、外装にまで凝った造りの馬車。
そして、それとは対照的な女性の姿も。
傷んだ髪に、あざだらけの顔。服装は今の少女と大差のないほどみすぼらしい。それらのせいか、見た目からは正確な年齢も分からないが、おそらく若くはないと見える。
少女はすぐに自分と同じ奴隷だと気付いた。
まるで、将来の自分を見ているかのようで戦慄が走る。
その女性も自分の姿を見るなり憐れんだ眼を向けてきた。おそらく、少女と同様、過去の自分と重ね合わせたのだろう。
「この愚図が!なにをしておる!さっさと戸を開けんか!」
男の恫喝を浴びた奴隷の女性は、急いで馬車の戸に駆け寄ろうとする。
その姿を見て少女は、息を呑んだ。
人間はここまでひどいことができるのだろうか。
自分が想像していた地獄とは比べ物にならない現実を見た気がした。
「……あ、足が……」
少女は思わず声を漏らしてしまう。
「ふん、片足の腱を切ってやったのだ。お前も逃げ出そうなんて思うなよ」
少女とは対照的に、笑みを浮かべながら女性の姿を見守る男。
「ちんたらしおって。さっさと出発の準備をしろ。お前も早く馬車の中に入れ」
奴隷の女性は、馬車を運転する役割も兼ねているらしく足を引きずりながら御者台の方へと向かっていく。
少女の方は強引に馬車に乗せられ、それに続いて男も乗り込んできた。
馬車の中は一般的には広いのだろうが、男の図体のせいで嫌な圧迫感がある。男に馬車の入り口を塞がれているのも原因の一つかもしれない。
ほどなくして、馬車が動き始める。
「カルロ・ボアロだ。お前の主人の名だ。覚えておけ」
出発と同時に男が名乗り始めた。
「わ、わたしはナ……」
「お前はマリンだ」
「え?」
「聞こえなかったのか?お前の名前は今日からマリンだ」
「……あの、で……でもわたしにはもう……いたっ……」
「なにぃ!なにか文句でもあるのか!」
少女の言葉を反抗と受け取ったのか、ボアロは彼女の頬を叩く。
「……あ、ありません……」
じんじんと痛む頬を抑えながら涙目になる少女。
ここでは自分の名前さえ名乗ることが許されないのを理解する。
「お前はわしのいうことを黙って聞いておればよいのだ。分かったら返事をしろ」
「はい……」
「ふん。ならまずは服を脱げ」
「え?」
「まずはお前が生娘かどうかの確認だ。まさかとは思うが、念のためだ」
「え……で、でも……あの……」
自分の主人が言っていることを理解するのに時間がかかった。
そして理解したら、一気に嫌悪と恐怖が押し寄せてくる。
男が女の奴隷を買うのにはそういった意味もあることは少女自身知ってはいた。しかし自分の年を考えれば大丈夫だとあまり深く考えることはなかった。考えたくなかった。
「さっさと脱がんか……ん?そうか、そういえば手錠をしておったな」
手錠をしていては服が脱げないことに気付いたのか、ボアロは手錠を外そうと少女につめよろうとする。
「い、いや!」
「……き……きさまぁぁぁぁぁ!」
自分に近づいてくるボアロへの嫌悪感に耐え切れず漏れ出てしまった拒絶の声。それを聞いたボアロは今までにないほどの形相で少女を押さえつける。
「いやぁ!放して!」
「く、このぉ……仕置きが必要だな……」
「放して!放してください!」
少女は両手を抑えられながらも必死で抵抗するが、男と女以前に大人と子供だ。圧倒的な力の差を前にして泣き叫ぶことしかできない。
「家に帰るまでは我慢しようと思っていたが……」
「……い、いや……だれか……たすけて!」
手錠が外される。
少女はボアロの表情の変化に気付く。
先ほどまでの怒りの形相は消え去り、その血走った眼からは劣情のみがうかがえた。
片手で両腕を拘束される。
もう一方の手が衣服へと伸びてくる。
すでに少女の方も諦念の表情に変わりつつあった。
どんなに泣いたって助けなど来ないことは知っていた。
だから、ただなんとなく馬車の扉のほうへ目を向けただけだ。
………涙で曇った視界の中で……扉が開く。
そこにいたのは、あの少年だった……。