束の間の・・・
どれほど走っただろうか。
頭上に上がっていたはずの太陽が今は視線の先に見える。
二人の奴隷が逃げたことは今や街中に広まっているだろう。
街の喧騒を遠くに感じながら、二人は人気のない路地裏で腰を落ち着かせていた。
もはやここがどこだか分からないが、ただなんとなく街の外れに位置しているような気がする。
逃げ切ったのだろうか……
拭えぬ不安と緊張。違和感が頭から離れない。寄り道をした割にはうまくいきすぎている気がする。
少年は気を抜くことなく周りに注意を払う。
「大丈夫。ここには誰もいないよ」
少年の心中を察したのか、隣にいる少女がそんなことを言ってきた。
「何でわかるんだよ?」
「わかるもん」
答えになっていない返答に半ば呆れつつも、少し緊張の糸がほぐれた気がした。
「ありがとう……」
少女が不意に言葉をかけてくる。
「……いいよ別に……」
お礼を言われるとは思っていなかったが、言われた理由ならわかった。気恥ずかしさを隠すように素っ気ない返事を返したが、少女の方はそんなことお構いなしに言葉を続ける。
「どうして助けに来てくれたの?」
そう言ってじっと少年の方を見つめる少女。
「それは……」
上手く言葉が出てこなかった。
どうして、自分はこの少女を助けに向かったのだろうか。もし見捨てていたら今頃街を出て自由になれていたかもしれない。確かにあのとき、一瞬の迷いがあったことを覚えている。
それでも、結局は少女のもとに向かった。体が勝手に動いたというやつだ。
しかし、それをそのまま言うのは流石に恥ずかしかった。
むず痒い沈黙。
このまま言葉に詰まっているのも格好が悪いので、少年は無理矢理に理由をこじつける。
「……名前……」
「え?」
「だから、名前……お前名乗ろうとして最後まで言えずに、連れていかれただろ?それが気持ち悪かったんだよ……」
「それだけ?」
「あぁ、それだけだ……」
「そうなんだ……」
少女は何とも言えない表情をした後、気を取り直したかのように口を開く。
「私の名前は……」
「知ってるよ。マリンだろ?」
「違う!」
少女は全力で否定する。
「それはあのおじさんが勝手にわたしにつけた名前!わたしの名前はナリア!」
「ナリアか……」
「うん、あなたは?」
「おれはリン」
「……リン……うん!覚えた……絶対忘れない……」
「おおげさだな……」
「おおげさじゃないよ……だって、やっと聞けた」
「そんなに知りたかったのか?」
「うん。ずっと前から」
「……変な奴……それよりも、これからどうするか考えないとな」
「リンは行きたい場所とかあるの?」
「とりあえず吸血鬼のいない方向だな……」
「リンは吸血鬼に買われてたんだよね……なんか凄い人数の追手だったけど」
「……吸血鬼の王族に買われたからな」
「……王族?」
「知らねーのかよ……吸血鬼の中で一番偉い奴のことだよ」
「そうなんだ……どうしてそんなに偉い人がリンを?」
「わからん。こっちが聞きたいくらいだ」
「じゃあ、その王族がいない場所だとどこになるんだろ……南の方は人間が多いって聞いたことあるけど」
「いつの情報だよ、それ。今はどこもたいして変わらないらしいぞ。というよりお前、もしかしてこの街から出たあとの話をしていないか?」
「……?そうだけど……あと、お前じゃないよ……」
「まだこの街から無事に出られるとは限らないんだぞ」
「そうだけど……」
「まぁいいや。少し休んだら動くぞ」
「うん!」
「緊張感のない奴だな」
「それで、リンは外に出たらどこに向かうの?」
「まだ決めてない。お前は行きたい場所とかあるのか?そう言えば、お前って北の方出身だったよな?」
「うん、特に行きたい場所とかはないかな……あと、お前じゃなくて、ナリアだってば!」
「はぁ……わかったよ……ナリアは家族とかいないのか?」
「うん……いないよ……」
「……そうか」
「リンは?」
「おれは………おれも……いないかな……………………たぶん」
「……そっか」
「……」
「……」
「……なんか少し寒くなってきちゃったね……」
「あぁ、もう太陽も出てないしな。おまけにこの薄着だ」
「…………」
「お、おい……お前、なにして……」
「こうすれば、暖かいでしょ?」
「それは……そうだけど……」
「……ねぇ……わたしもリンについていっていいかな?」
「……好きにすればいいんじゃないか……どこに行くかはナリアの勝手だしな」
「じゃあ、そうする!」
「お、おい……だから、あんまりくっつくなって……暑いだろ」
「ふふ……リン、顔真っ赤だよ」
「うっせーな!お前が……」
「お楽しみのところ邪魔して悪いな。迎えに来たぜ」
「「⁉」」
突如かけられた声に、一気に血の気が引いていくのがわかった。