配下の憂鬱
オーギュストはうつむいたまま、自身の不運を深く呪っていた。
ただ、伝令役としてジェスからの報告事項を伝えにきただけだったはずだ。それがどうしてこんなことになってしまったのか。
自分の目の前で、地団駄を踏みながら泣きわめく少女。この少女が単なる少女であったなら、もう少し対応も簡単だったかもしれない。しかし、目の前の少女こそ自分の主であり、吸血鬼の頂点の一角なのだ。
このままでは、不味いのではないか……
自分の主があからさまな醜態をさらしており、それを黙ってやり過ごすのは、配下のものとしてどうなのだろうか……後で咎められたりしないだろうか……
いや、そもそも喚いている内容も問題な気がした。フェリトナの言っていることは、誰がどう聞いたって嫉妬でしかない。
オーギュストは今回の遠征の目的を「お忍びで奴隷を買いにいく」としか聞いていなかった。どうして隠れて奴隷を買いにいくのか、誰に隠しているのかなど疑問はあったが、配属されて半年程度の自分が気にするようなことではないと、深くは考えなかった。
しかし、今のフェリトナの様子は、あの奴隷の少年が彼女にとって特別な何かだと物語っている。
そして、自分はそれを知ってしまった。
ここが問題だ。
口止めのために、首をはねられる可能性だってある。かなり理不尽かもしれないが、この理不尽こそが王族の力でもあるのだ。
だが、既に聞いてしまったものは仕方がない。あとは、これ以上事態を悪化させないように努めるだけだ。
オーギュストは覚悟を決めて口を開く。
「フェ、フェリトナ様……それくらいにしておいた方がよろしいかと……」
しかし、フェリトナには届かない。現在フェリトナは「一体見張りは何をしていたのか」と怒りの矛先を、見張りを命じた部下に向けつつある。
……まずい。
これ以上は本当にとばっちりを食らいかねない。オーギュストは意を決して、もう一度呼び掛ける。
「フェリトナ様!それ以上は、フェリトナ様の品位が下がってしまいます!どうか、落ち着いて下さい!」
先ほどよりも声量を上げた声。だが、フェリトナ自身の泣き声にかき消されているのだろうか、一向に届く気がしない。
(……どうしたらいいんだ)
泣きたいのは自分の方だとばかりに、頭を抱える。
先ほどからフェリトナの踏む地団駄のせいで、地面にあり得ない凹みが出来ている。自分の身体が凹まされるのも時間の問題かもしれない。
正攻法では無理だと悟ったオーギュストは、一か八かの手段をとることにした。
「フェ、フェリトナ様……あの少年の名前はお聞きになったのでしょうか?」
「……」
ぴたりと、フェリトナの声が止んだ。
単に呼び掛けるだけでは届かないというのであれば、内容で勝負するしかない。
フェリトナの、先ほどまでとは明らかに違う反応。
自分の選んだ言葉は正解だったのだろうか……
緊張で、呼吸を忘れてしまいそうだ。
オーギュストは次のフェリトナの言葉を黙って待つ。
「……て……いわ……」
「あの……申し訳ございません……よく聞き取れませんでした……」
「……聞いていないわ……」
「左様ですか……」
「……ふぇ……ふぇぇ……」
自分から話をふったものの何と返していいか分からず、言葉に詰まっていると、再びフェリトナが嗚咽を漏らし始めた。
「あ、あの……えっと、つまりですね……フェリトナ様はまだ彼のことをよく知らないということですよ!その、なんといいますか……彼の好みの女性のタイプであるだとか……ですので、彼があの少女に対して好意があると決めつけるのは早計ではないでしょうか……と思うのですが」
オーギュストはフェリトナが泣き出す前に、思い付く限りの言葉を並べる。
「……じゃあ、どうして……ぐずっ……わざわざあの女を……迎えに……」
「そ、それはですね!ほらよくお考えになってみて下さい!たまたま、迎えにいった相手が少女であったからそういった先入観が生まれてしまっただけです!たとえば、ほら迎えにいった相手も同じ年頃の少年であったならどうでしょうか?友人であるがために迎えにいったということになりませんか?きっと、あの二人だって男女の仲ではありませんよ!そもそも、そんな年でもありませんし、なにより奴隷収容所でそんな余裕があるとも思えません!」
「……ん……確かに……一理あるわ……」
少し落ち着いたのか、フェリトナは目元をごしごしとこすり、溢れだしていた涙を懸命に拭っている。
オーギュストは、ようやく泣き止んでくれたことにひとまず安堵する。
ここまで自分はよくやったはずだ。あとは、自然にここを立ち去ればいい。内心で自分を誉めつつ、ほっと胸を撫で下ろした。
「では、フェリトナ様。自分は再びジェス様の班に合流し、少年の捜索に加わりたいと思います」
そのまま、流れるような動きで「それでは失礼いたします」と一礼し、その場を後にしようとする。
しかし、そう上手くはいかない。
「待ちなさい……あなた、名前は?」
「え?あ、はい。右翼一番隊所属、オーギュスト・サドナーです!」
「そう……ではオーギュスト、さっきまでのことは忘れなさい。あなは何も見てないし、聞いていない……いい?」
「はっ!承知いたしました!」
先程のフェリトナの姿は、自分以外にも結構な数の人が見ているんだが?と突っ込みたくなったが、黙っておく。本人が気づいていないなら、問題ない。
だが、名前を聞かれたということは、覚えておくということだろうか。自分の主人に顔と名前を覚えられるというのは、下の者からしたら、名誉なことだ。しかし、今回に限っては、どう考えたって悪い意味で覚えられてしまった。
要は、今回のことを他言したら、真っ先に白羽の矢が立つということだ。
胃が痛い。
そもそも、さっき周りで目撃していたものがばらす可能性だってある。そうやって、噂になってしまった場合も自分の責任になってしまうのか……
(ジェス様には、一応報告しておくべきだろうか……)
だが、フェリトナは「誰にも言うな」ではなく「忘れろ」と命じた。なら、命令通り最初から知らなかったことにしておく方が無難だろう。
「……そう言えば、あなたも男だったわね」
唐突にフェリトナがそんなことを言ってくる。
「……?」
一体どういうつもりでの発言なのかさっぱりだったが、嫌な予感だけはする。
「ねぇ、わたしとあの女どっちの方が魅力的かしら?」
オーギュストは頭痛を覚える。
両サイドで結んでいる片方の髪を、くるくるといじりながら、そっぽを向くフェリトナ。自分自身でも、気恥ずかしい質問をしている自覚があるのだろう。
王族の第4王女、フェリトナ・オーロード。その直轄の部隊に配属されて半年程経つが、こんな面倒な仕事に直面するとは、思ってもいなかった。
だが、今回のこの質問の関しては簡単だ。
答えは決まっている。
「もちろん!フェリトナ様でございます!」
「どこらへんが?」
「……」
間髪いれずに、返された返答にとっさに言葉が見つからない。しかし、ここで時間を掛けるのはまずい。
「フェリトナ様の方が大人の魅力があります。あれぐらいの年頃だと歳上の女性に惹かれる傾向がありますので、同じ年頃でありながらも大人っぽさを携えたフェリトナ様の方が、魅力的かと」
「……そ、そうかしら……」
「はい!間違いありません!」
フェリトナは、明らかに照れている。この返しは間違っていなかったという証拠だ。
「他には?」
「……はい……あとは、フェリトナ様は慈悲深く、リターニャ様ゆずりの美貌と器量を兼ね備えております。フェリトナ様に、太刀打ちできる女性など皆無でしょう!」
オーギュストは思い付く限りの褒め言葉を並べておく。幸い、目の前にいる自分の主は、確かな美しさを持ち合わせているので、大袈裟な言い回しも嘘にはならない。
「そ、そう……もういいわ……ちょっと恥ずかしくなってきちゃったわ」
そっぽを向きながら、パタパタと手で顔を仰ぐフェリトナ。「もう行っていいわよ」との言葉を貰い、ようやくオーギュストも重責から逃れられる。
しかし、
「待って」
フェリトナの制止の声に、再び足を止め振り替える。
そこにあるフェリトナの表情には、先ほどまであった無垢な少女の面影はなかった。
あるのは、冷酷で、無慈悲な支配者の顔。
「念のために、一緒にいる女は始末しておきなさい」
このときオーギュストは、再認識した。
フェリトナが、紛れもなく王族の血を引くものだということを。