少女救出
「くそっ!」
迷ったのは一瞬。逃走の最短ルートとは全く別の方向へ足を向ける。
「誰か助けて!」
少女の声のする場所。
「あの馬車か!」
少年は瞬く間に走行中の馬車との距離を詰め、勢いよく扉を開けた。
目前の光景に、少年の頭に血がのぼる。
片腕で少女の両腕を抑え、衣服に手をかけようとしていた男。その男と目が合う。
「だ、誰だ!きさっ……がふっっ……」
その男が最後まで言い終わる前に、少年は思い切り横面に拳を叩き込む。その衝撃で、馬車の反対側の壁に激突する男。
「早く来い!」
少年は少女に、手を差し出す。少女は目に涙を浮かべながら、少年の手を力強く掴んだ。
しかし、いまだ走り続ける馬車から少女を抱えて飛び降りようとしたとき、少女が軽い悲鳴を上げた。
見れば、男が少女の片足を掴んでいた。
「貴様ら許さんぞ……このわしの顔を……小僧!貴様は殺す!マリン、お前は家でたっぷりとお仕置きだ!」
「いや、放してよ!」
少女は掴まれていないもう片方の足で男の顔を蹴り払おうとするがまるで効果がない。
「おい、モネ!このガキをどうにかしろ!」
男が誰かに向けて言葉を発すると、馬車が動きを止めた。少年は好機だと思い、力ずくで少女を引っ張り上げようとするが、少女の足にしがみついた男までもが付いてくる始末だ。
早くしないと追手が来てしまう。
どうすればいい……
焦りが、少年の思考を鈍らせる。
そうこうしているうちに、操縦席の方から女がやってくる。片足を引きずらせながらやってきたモネと呼ばれた女は、驚いた様子で三人の様子を代わる代わる見ながら立ちすくんでいた。
「何をしているこの愚図が!さっさとそこのガキを絞め殺せ!」
男の恫喝。
モネは少年と少女を交互に見ているだけで動こうとしない。
一向に進展しない状況に、最初にしびれを切らしたのは男の方だった。掴んでいた少女の足を皮切りに、少女の体を伝ってこちらに近づいてくる。少女は阻止しようと必死にもがいているが、少年にとっては都合がいい。
近づいてきたところを一思いに殴り飛ばしてやればいいだけだ。
だが、その安直な考えは次の男の行動で間違いだったと気づかされる。男は懐から刃物を出したのだ。
「……!」
男の不適な笑みに、少年は少しの怯みを見せる。
一度、少女を放して体制を立て直すか。しかし時間が……
迷っているうちに、男と少年の距離が縮まる。男が手に持った刃物を、少年の腕目掛けて振り下ろそうとした瞬間、男の動きが止まった。いや、止められた。
「あなた達、早く逃げなさい!」
いつの間にか男の後ろに回り込んでいたモネが男を羽交い絞めにしていた。
「んな、貴様!裏切るのか!」
「私は、あなたの味方になったことなど一度もないわ」
「くそがぁ!……ぶふぇっ」
少年は、無防備になった男の顔面に向けて再び渾身の一撃を食らわせる。そこで、ようやく解放された少女をかばいながら体制を立て直すが、どれだけ頑丈なのか男の方も起き上がってきた。
「……けっこう強めにやったはずなんだけどな」
「き、貴様ら許さんぞ」
顔面を通常の二倍近く腫らした男は、血走った眼を三人に向ける。
「さぁ、あなた達はもう行きなさい。この男の相手は私がしておくわ」
少年にとっては願ってもない申し出だが、やはり後ろ髪をひかれる思いにかられる。それは少女の方も同じだったようで、
「でも、それじゃあ……あなたが……」
「気にしなくていいわ。さぁ行って」
「で、でも……」
「いいから行きなさい。他人のことばかり考えていては、助かるものも助からないわ。何が一番大切なのかよく考えるの。どのみち私はうまく歩けないから無理なの……わかったら、さぁ早く!」
そうこうしているうちに、遠くの方からこちらに近づいてくる多数の足音が聞こえてくる。間違いなく追手だ。
「その子をよろしくね」
最後にモネは少年に向かって言葉をかける。
少年はその言葉に応えるように力強く頷き、少女の手を引いて走り出した。
「ま、待たんか!マリン!……よしもういい!小僧!お前はもういいから、マリンだけでも置いていけ!頼む!1億も払ったんじゃ……」
当然少年に止まる気などない。
男の懇願を横目に、少女を背負うかたちで再び逃走を開始した。