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いかんいかん、浮かれるな。夢とはいえ見栄をここで貼らずしていつ貼ろうと言うのだ。
「好きな理由は?」
「えっと、えへへー。秘密」
「秘密ですか」
「秘密です。さあ、着きましたよ」
なんと、あっという間の出来事か。体感時間にして3秒あったかどうかというくらいである。
実際のところは徒歩×雨と、言うこともあり15分くらいは歩いている訳だが。
喫茶店の中は静まり返っていた。老人が新聞を読んでるくらいで他は誰もいなかった。
寂れ過ぎではと思わなくもないが、歌夜さんが贔屓にしている店だ。何か秘密があるのだろう。
「少しお腹空いてるの、何か食べてもいいかな」
「ええ、勿論です。私も歌夜さんに合わせましょう」
「うーん」
「ど、どうされました?」
「さん付けは嫌いなのです」
「これは失礼しました。では、どうお呼びしたら……」
「かや」
「えっ」
「かや」
「えっと、か、や……」
いかん、私にはハードルが高すぎる。何故だ、何故名前を呼ぶだけでこんなにも動悸が激しくなるのだ。客観的に見れば平仮名2文字を声にしているだけなのに。
存在に対して文字を当てはめる。それだけで意味が出来てしまう。そうした意味が心に影響を与えるのだとしたら心とは難儀なものである。
しかし、歌夜さんは私が拙くも呼び捨てにしたら極上の笑顔を見せたのだ。
歌夜さんの周りだけ何故か光って見える。
これは確実に幻覚というか妄想的なものだろうが妖精的な神秘的なものを歌夜さんの周りに写っているように感じている。
末期なのは重々承知。
はて、そんな私に用とはなんだったのだろうか。結局そこの部分が不透明である。
奴隷になってくださいとかだろうか。勿論喜んでこの身、この命を、差し出そう。
死ねというのであれば臓器を売った後に死のう。
歌夜さんは手を挙げ、店員を呼び止めて注文をしている。
嫉妬で狂ってしまいそうなのをどうにか堪えていると、「あっ、珈琲で良かったですか?」と律儀にも私に聞いてくださったので問題ないと返答をする。
なんと、心優しいお方か。
注文の品が来る前に改めて聞いてみる事とする。
「それで、私に一体どのような要件があったのでしょう?失礼ですが接点は無いに思えるのです」
「あっ、そうでした。えへへー、貴方とお喋り出来て満足していました。失念、失礼。えーと、お恥ずかしいのですが、私、勉強出来ないんですよね。さっぱりです」
「いやいや、とは言っても私たちの大学はそこそこ偏差値高いですよね」
「あ、裏口使ったので」
裏口とかあったんですね。交通料高そうですし、知ったらいけない事を知った気分です。
「誰にも言っちゃ駄目ですよ。死んじゃうから」
……命握られましたかね、今。
ま、まぁ、良いんですけどね。ええ。
「な、なるほど。勉強を教えるとかそんなような事でしょうか」
「ですです。教えてくださいますか?」
諸君、いい事を教えよう。お願いに見せかけた命令というのは悲しいかなこの世に生きている限り出会ってしまうこともあろう。そんな時の対処法はこうである。
「はい」
否定しない事、それだけである。こうなった時点で人権はないと心得よう!