二章 第九十九話 『ヴィルソフィア・クリス』
過去回です。
生まれた時から私はこの国の現人神だった。
それは運命的と言えるほど輝いているわけではなく、悲劇的と言えるほど不吉な道だったわけでもない。
私の母が私を産んですぐ死んだ。
皆は空に帰られた、とかいうけどただ実際に死んだだけだ。
だって彼女は現人神でもなんでもなくただの人間なのだから。
私がなぜこんなドライな視線でこの私の家系、現人神の家系というものを俯瞰できるのか。
それは全てザンの影響だ。
私の語り役として幼い頃から様々なことを教えてくれたザン。
彼自身そこまで敬虔深いエレメントの宗教の教徒というわけではない。
なので私が何かの天上的存在ではないことはすでに知っていた。
だから彼は皆がいないところでことあるごとに私に言った。
「お前は現人神なんかではない。自惚れはよすことだな。」
「…!」
「お前はただエレメントの民の心を安らかに保つためのいわば装置だよ。」
今思えばかなりひどい言葉だなと思う。
でも、それは事実だった。
私たちの家は4世代にわたってエレメントの現人神をしている。
その目的はたった一つ、エレメントの心を一つにしようと目論んだ4世代前のエレメントの権力者のプロバカンダだ。
東にはファントム、南には天使国家、南西にもそこそこ大きな国が一つ。
あまたの強敵に囲まれて日々怯えながら暮らしてきたエレメント民の救いとなるための、いざというとき国がエレメント民を動かしやすくするための道具。
それが私の、ヴィルソフィア家の家系だった。
私たちは名前で呼ばれることを許されていない。
これは先代も先先代も同じだったらしい。
ザンによると、それは一種のおまじないなんだとか。
私たちヴィルソフィア家の人間がそれぞれ一人一人と認識されず、集団でヴィルソフィア家の現人神たちと認識されるよう。
私たちの中から個性というものを抜き取り、物としての機能面を強調するためなのだと。
つまりは、人一人ひとりに名前がついているのに対して、小麦の一粒一粒に名前がついていないのと同じだ。
ヴィルソフィア家は、ある機能を有した人間を輩出する家なのだと。
直接ザンからそう言われたわけではないが、きっとそういうことを言いたかったのだろうと、私は推測した。
そして、私の必要性というものを考え出した。
このヴィルソフィア・クリスという一人の人間の必要性について。
ただそこにいるだけで人々は笑顔になる。
ただ喋らずにいるだけで話はいい方向に進んでいく。
だが彼らがクリスという一人の人間を見ているのではなく、ヴィルソフィア家の現人神として見ていることを、私は知っていた。
別に私じゃなくてもいいんじゃないのか。
私が私だからこそできることは何一つないんじゃないか。
難しく言えばアイデンティティの欠如が私の課題だった。
「私にもやらせてください!」
「私もできます!」
「お願いします!」
ザンに、ずっと言ってきた言葉。
自分だからできること、私だからできること、クリスだからできること。
それを探すようになったのは、最近のことだ。
でも、ザンはいつもそれを拒否する。
幼いからだとか、危険だからだとか、そんな言葉で私を拒絶した。
でも、私はザンが本当は自分のためにそう言っているのだと知っていた。
私がいろいろなところで活躍しだすと、ザンの権力の一部を私に奪われかねないのだ。
立場的には私の方がザンよりも上で、私が自立しだすとすぐにザンの仕事のいくつかが私に回ってくる。
それが彼には耐えられなかったのだろう。
エレメントという国を裏から牛耳り、すべてのものを思うがままに支配しているザン。
そしてそれですら彼の野望の一部でしかなく、その目はもっと遠くの方へ向いていた。
それが別に悪いことではない。
ただただクリスには不満だっただけだ。
私もエレメントのために何かをしたい。
そして、その機会は訪れた。
クロノオがエレメントを追い詰め、エレメント滅亡に王手をかけたときのことだった。
私は何も知らされていなかったが、エレメント場内の兵の慌ただしさとその会話の断片からエレメントが負けそうだということを知った。
目の前が絶望一色に染まった気がした。
エレメントの滅亡。
そのような事態がもし、万が一起こってしまったら私はどうすればいいのか。
ふと頭に思い浮かんだのは、責任を取って自ら命を断つことだった。
馬鹿げていると今なら思う。
でも、それは私ができる国の王としての役目、責任でもあった。
それをすることが今まで何もして来なかった自分への怠惰の代償と、苦しめてしまったエレメント民への贖罪な気がした。
だが結局、私はそんなことはしなかった。
もう一歩のところでユーバに止められて、短剣を燃やされたのだった。
彼には感謝しかない。
私の馬鹿げた行いを止めてくれたどころか、新たに進むべき道を照らしてくれたのだった。
今度は本当に国王としてエレメント民を守る。
それは私にとってこれ以上ないほど素晴らしい提案だった。
私は二つ返事でそれを了承し、そこから私の国王生活は始まった。
楽しかった。
嬉しかった。
いろんな人が私を国王と呼んでくれる。
みんな辛いはずなのに私を見るだけで笑顔を浮かべてくれる。
それが本物なのだと知った途端、私は全身が幸福に包まれたような感じがした。
これが国王。
これがエレメントのために尽くすということ。
私は勉強だってたくさんした。
もともとザンから様々な教育を受けていたので礼儀作法なんかは完璧だ。
そしてザンがいなくなってからは他の国のことや政治、税金、その他様々な事業について勉強し始めた。
残ったエレメントの中枢で働く人々にわざわざ時間をとってもらい、いろいろなことを学ばせてもらっている。
頑張ってきたはずだ。
完璧には程遠くても、いろいろな人の助けを借りていても、それでも国王としてエレメントのために尽くしてきたつもりだ。
それなのに、他国の軍師から見たら基礎もできていない世間知らずなのだろう。
思えば台本を用意したとしても、それに一言一句従って会談をしていたらわざわざ会談をする意味がなくなる。
細かなことや相手の意図を尋ねたりするためにわざわざ時間をとって会談をしているのだ。
台本通りにことが進むはずがあるまい。
ああ、それを知らずに馬鹿な真似をしてしまった自分の浅慮さよ。
少し前の自分を呪わずにいられない。
心が折れかけ、泣きそうになったとき彼は唐突にこの部屋に来たのだった。
窓を壊して部屋に入ってくる非常識な人だとは思わなかった。
だけど、窓を割りながは部屋に侵入するヒムラの横顔はとても格好良くて。
「あなたは…。」
「ヴィル…クリス様!どうされましたか?」
窓が割れた音を聞きつけ、門番の一人がこちらに尋ねてくる。
もし侵入者がいることを報告したら、すぐに門番がヒムラを捕まえて行ってしまうだろう。
見るとヒムラは困ったような顔で口に人差し指を当てている。
クリスは少し悩むと、
「…いえ、なんでもありません。」
「わ、わかりました。」
これでヒムラが門番に見つかる可能性は無くなった。
ヒムラは安心したように胸を撫で下ろすと、
「いきなりこんなことをしてごめん。だけど伝えたいことがあるから。」