二章 第九十五話 エレメント城戦9
ユーバはヴィルソフィア・クリスと対峙する。
顔の半分まで覆われていたであろう髪は、今は後ろで束ねられていた。
もしかしたら髪で顔を隠しているのは神秘性を増させるためのカモフラージュだったのかもしれないとユーバは考える。
その美しい青色の瞳がこちらを見つめる。
彼女はおそらく、ユーバがいきなりこの部屋に現れたことが理解できないのだろう。
その瞳に戸惑いが生まれる。
だが、それもすぐ終わりだ。
ユーバが敵側の戦力であるとわかると、すぐに落胆を目に浮かべた。
…いや、その中にはこちらに期待するような雰囲気もあるのかもしれない。
何を期待しているのだというのだろうか。
敵兵であるユーバに。
そして、ヴィルソフィアがこちらにそのあまりにも美しすぎる顔を向けて、
「…もう終わってしまったのですね。この戦いも。」
「…まだ勝利はしてないけど、多分クロノオの勝ちだと思うよー。」
ユーバは何の気無しに自身の予想を語る。
だが、その言葉を聞いたヴィルソフィアの反応は驚くべきものだった。
彼女は一瞬泣き笑いのような表情を浮かべると、
「では、これで全て終わりですね。」
次の瞬間、彼女は懐から短剣を取り出し、それを自分の首元に刺し、
「やめたほうがいいよ。」
「…どうして?」
——刺す一瞬前に、ユーバがヴィルソフィアの手を掴む。
その動作の真意を理解できなかったのか、ヴィルソフィアはこちらを警戒の眼差しで見つめている。
——諦念、戸惑い、安堵、警戒
そんな感情をユーバは彼女から読み取った。
「どうして…!もうエレメントは負けたのでしょう?私はこの国を守りきれなかった!私はこの国を守るべき存在であるのに…!」
「だけど、君の責任ではないはず…。」
「そんなことはありません!私がもっとしっかりしていたら、兵たちが死ぬこともなかった。全て私の責任なんです!私はこの国を治めなければならないのだから…。」
そんなヴィルソフィアの悲痛な叫びを聞いて、ユーバは悟った。
この現人神と祀られている彼女は、ただの子供であるのだと。
だって、もし彼女が現人神と呼ばれるような存在であったならば、人々の不幸や国の敗北を自分のせいと考えないだろうから。
でも、彼女は違う。
エレメントの敗北も不幸も絶望も、全て自分のせいだと考えてしまう。
端的に言えば、彼女は優しすぎるのだ。
国を手中に治め、自由自在に操るには優しすぎる。
ヴィルソフィアはユーバの手を振り払うと、
「敵に同情はされたくありません!私は…、私は…!!———ッ!」
短剣を自分の首元に当てる。
そして、そこから美しい紅の血が流れ出すと、それを見て彼女の目を恐怖が支配する。
そして、そのまま膝をついて泣き出してしまう。
見ていられない。
ユーバは率直にそう思った。
こんな幼い少女がこんな大きな責任を負う必要なんかない。
だから、ユーバはそのままヴィルソフィアの短剣を燃やしてしまう。
加護の力を使い、彼女の手を傷つけないように。
その事に彼女は抵抗せず、ただ自分の首から流れる血を虚に見つめている。
「…私を…。」
ヴィルソフィアから漏れ出たかすれた声。
もしかしたら自分の血を見て死ぬ怖さを知り、死ぬことを諦めたのかとユーバは安堵し、
「私を…殺してはくれませんか?」
その安堵は、最悪の形で裏返るのだった。
テルルは自身の『魔道の加護』に全神経を集中させる。
魔力を肌で感じ取り、それを操る。
それだけの操作のために世界の色が変わり、時間は緩慢に進む。
「………っ……。」
脳に微かな痛みを覚えて、テルルは少し呻き声を上げてしまう。
だが、ここで立ち止まってはいられない。
魔法発動の準備が終わるとテルルはハッと目を見開き、
「「大地炸裂」「大地炸裂」「大地炸裂」!!!!!!!」
魔法を三連発。
エレメント兵とファントム兵に向かって放つ。
いきなり現れた、否、いきなり現れたように見えた魔法は、彼らを混乱させたようだ。
普通魔法陣が現れて少しタイムラグが発生してから魔法は発動するはずだ。
だが、テルルの放った魔法は魔法陣が現れず、兵たちは混乱していた。
だが、実際は魔法陣を出していないのではなく、あまりにも早すぎる魔法発動に魔法陣が現れたと認識する暇もなかったのであった。
テルルの加護を使えば、魔法を一瞬で発動させることなど造作もない。
魔法が発動し、大地が割れる。
そして、
「左右のクロノオ兵。走れ走れ!!!」
左右のクロノオ兵を前進させる。
それに気がついたエレメントファントム兵はそれを阻止しようとするが、大地が避けているので思うように動けないでいる。
その間にクロノオ兵は必死で駆ける。
これが、テルルがクロノオ兵が左右を突破するための方法だった。
魔法によって何らかの混乱を起こし、その間にクロノオ兵を外側に逃す。
外側に逃したらそのまま包囲して作戦は完了だ。
成功確率は五分五分。
それも、テルルが加護と魔法をフル稼働させなければ成功は厳しい。
これが、アカマルがテルルを心配した理由だった。
最悪の場合、魔法の使いすぎはテルルを死へといたらしめる。
だが、それでもテルルはこの作戦を行うことを許可した。
故に、テルルはなんとしてもこの難関を乗り越えなければならない。
「…!!!!」
魔法を次々と、何十も何百も一斉に発動させる。
炎が舞い、大地が割れ、風が巻き上がる。
時々兵の傷を癒しながら、どんどん魔法を使う。
苦しい、つらい。
それでもまだ魔法を使い続ける。
頭が痛い、肩が痛い、膝が痛い、手が痛い、足が痛い、心が痛い。
それでもまだ突破できない。
死んだほうがマシな苦しみ。
それを考えた瞬間、テルルはフッと笑う。
死ぬなんてばかばかしい。
死ぬ覚悟はできていても、自ら進んで死のうとするなど愚の骨頂だ。
だって、テルルにはこの軍部で得たものがたくさんあるのだから。
ここで死ぬなど本当にバカバカしい限りだ。
———兵たちは必死に走る。
魔法に守られながら、それでも傷を負いながら、勝利に貪欲に食らいつく。
この一歩一歩がクロノオの勝利につながるのだと信じて。
それを助け、ともに痛みを分かち合う。
そして、最後には誰かと肩を組みながら笑い合う。
それが、テルルが己に課した使命だった。
兵は走り、敵を守りを抜け、そして…そして!
「…!抜けた!!!」
何名かの兵がエレメントとファントムの包囲網を突破する。
そしてそれに釣られて、大勢のクロノオ兵が包囲のそとに流れた。
見るとドルトバやアカマルのところも包囲を突破していた。
———作戦の成功。
それを自覚し、テルルは不思議と口元がにやける。
何だろうか、この安心感は。
何だろうか、この達成感は。
今までテルルが経験したことのない感情が溢れ出す。
それは、誰かとともに勝ち取った勝利の二文字だった。
手を上げて喜ぶのをグッと堪え、
「作戦完了!!!」
テルルのその一言に、兵は歓喜する。
そして、
「では、包囲!!!」
———この瞬間、クロノオの勝利は確定した。
エレメント軍、ファントム軍は完敗。
エレメント軍4000のうち、半数が死亡、半数が投降した。
そして、ファントム軍10000のうち、二割が死亡、五割が敗走、三割が投降した。
この戦争は、クロノオの勝利をもって終了したのだった。
だが、懸念事項は二つ残る。
一つはエレメントの現人神ヴィルソフィア・クリスの処遇。
そしてもう一つはエレメントに突如現れた魔人の存在であった。