2章:魔法の学校とチェスの哲学
入学試験当日には多くの受験者で校内は溢れかえっていた。受験資格は14歳から18歳までの男女ということもあって、周りを見回すと大体は俺より歳上だった。
「ところで、ルナの歳はいくつなんだ?」
俺はずっと疑問に思っていたことを聞く。
「歳?」
「だから年齢。生まれて何年間経っているものかって話」
ルナは訳がわからないといった感じで首を傾げる。
「私たちが暮らしていたところじゃ誰もそんなもの数えたりしなかった。だって、どれだけの時間生きてきたか分かったとしても、そんなことが一体なにの役に立つの?」
「そうだな……例えばさ……」
考えたけど、年齢を知っていることがなんの役に立つのかなにも思い浮かばなかった。考えてみればルナの言うことにも一理ある気がした。年齢なんていったいなんの意味があるんだろう。
結局、ルナの受験票には14歳と書き記しておいた。少しちんちくりんなところもあるけど、そこまで外れてはいないはずだ。
そもそもメニリィは俺たちに年齢のことなど一度も尋ねなかったのだ。それほど大事なルールではないのだろう。
俺たちたちがまず向かったのはグラウンドだった。相変わらず常識外れの広さでサッカーと野球とラグビーを同時にやってもまだ余裕がありそうだった。
てっきり、俺は教室のようなところで椅子に座って問題を解くものだとばかり考えていたのだがどうやら違うらしい。
この試験(というか学園そのものだけど)はかなり俺のイメージとは異なっていた。
そもそもとして、教師らしき姿が見えないのだ。取り仕切っているのは制服を着た学園の生徒で、そのほとんどが女性だった。ときおり男子生徒の姿も見えるが、大体は道具の運搬やらの雑用で、中心は女子生徒だ。
試験の一番最初にやらされたのは、列に並んで一枚の白い紙を受け取ることだった。表も裏もなにも書かれていない。
俺に紙を手渡したのは背の低いピンク髪の女の子だった。名前はアリスだったか。ナイフを投げつけてきた要注意人物だ。
「なんですかこれ?」と俺は尋ねる。
「適性検査。すぐにわかるよ」
しばらく待っていると、手元の方から一本ずつ黒い線が浮かびあがってくる。数えてみると、等間隔に10本並んでいる。
ルナの方はかなりの時間が経ってから3本の線が浮かび上がった。それからしばらく待ってみたけど、それ以上は増えなかった。
「あ〜、ヤバイねこれ」
紙を配り終わったアリスが、俺の手元を覗き込んでくる。
「これっていったいなんの紙なんですか?」
「ドール適性試験紙。ちょっと細工がしてあってさ、ドールの適性度合いによって浮かび上がる本数が変わるの。最も適切があるのは10本で、最低は1本。男の子で最大ランクの適性はみたことないな」
「つまり?」
「一次試験は余裕で合格ってことかなぁ」
俺はホッと胸を撫で下ろした。
まったく適性がなくて門前払い、ということになったらいくらなんでも悲しすぎる。
「私はダメ?」とルナはアリスに尋ねる。
「3かぁ。さすがにこれじゃあドールは無理だねぇ。残念」
「無理なの?」
ルナはアリスを見て、それから俺の方を向いた。
「まあドールになれなかったとしてもサポーターとして入学する道は残ってるから」
「サポーターってなんですか?」と俺は尋ねる。
「そんなんも知らないの?」
アリスは呆れたように首を振る。
「レガリアって武器でシャドウと最前線で戦うのがドール。その補佐をするのがサポーター。基本的にはドールとサポーターのペアで任務に送られるのよ。って委員長から聞いてない?」
「まったく」
試験を受けるまでの数日間、俺たちがメニリィから教えてもらったのは食堂と寮とトイレの場所ぐらいだ。
〈試験に関してはどうにでもなると思うし、もしなにかあったらそのときに考えればいいのよ。私も手を貸してあげるから〉
メニリィが今日、俺に言ったことだ。
「委員長マジでなにも教えてないのなぁ」
アリスは肩を落とすと、ルナの方に向き直った。
「ルナちゃんはこの後、校舎の中で試験を受けてね。簡単な筆記試験と、それから格闘試験。それから魔法の試験も。まあ頑張って」
「筆記? 格闘? 魔法?」
ルナは目をぐるぐる回している。
「それって俺も受けるんですか?」
格闘はまあいいとしても、筆記なんて出来ないだろうし、魔法については基礎知識すらないのだ。散々な結果になるのは目に見えている。
「あんたはこのままグラウンドに残ってちょっとした実技試験をするの。シャドウと戦えるなら余裕だよ」
「ここでミツルと離れ離れ?」
ルナは悲しそうに尋ねる。
「ドールとサポーターじゃ受ける試験が違うからね。もちろん別行動だよ」
ルナは俺の袖を掴む。俺にしてもこのままこいつ一人で受験を受けさせるのは不安だった。
「こいつ一人にして大丈夫ですかね。すぐ迷子になりそうで怖いんですよ。最近もよく転ぶし」
コクコクコクコクとルナは首を縦に振る。どうやら一人にはなりたくないらしい。
それなら、とアリスは言う。
「それならルナちゃんは私が連れてくよ」
「いいんですか?」
「この後さあ、面倒臭いことに筆記テストの試験官をしなきゃいけないんだよねぇ。だからそのついでにね。委員長の推薦もあるわけだし、無下には扱えないよ。ルナちゃんの面倒はアリスに任せなさい」
ありがたい提案だった。
いくら要注意人物とは言っても、生徒会の副会長なのだ。頼っても大丈夫だろう。
「え、でも」
なにやら口ごもるルナを引っ張ってアリスは校舎の方に歩いてていく。そうやって見るとまるで親に連れられる子どもみたいだ。
そんな後ろ姿を見送りながら、ルナが入学できなかったらどうしようかと俺は考えた。
さっきの様子からして試験に受かるか怪しいラインだ。いくらメニリィ推薦があるとは言え、落ちるときは落ちるだろう。
そうなったら、寮にはいられない。どこか安い物件を探して、俺が養っていくしかないのだろうか。この歳でそんなことになるなんてあまり考えたくはないのだが。
『袖振り合うのも他生の縁』
誰かの言葉を思い出す。
(まったく多少どころの話じゃない)
次の試験が始まるまでの間、俺はグラウンドの隅の階段に腰掛けて、適性検査の結果に一喜一憂している受験生を眺めた。笑ってたり、泣いていたり、あるいは怒っていたり様々な人がいる。そんな光景に俺は馴染めなかった。いっそ冗談で笑ってみようかとも思ったけど、あまりにバカバカしくてやめた。
彼に話しかけられたのはそのときだった。
「君もこれからドールの実技試験を受けるのかな?」
振り返ると、そこにいたのは俺と背丈の変わらない金髪の男の子だった。彼も手にはさっきの紙を握っている。ニキビひとつ無い綺麗な顔はイケメンと言って差し支えないレベルだ。
「うん。適性はあるらしい」
そう言って俺は紙を見せる。
「すごいな適性レベル10か。歩いている最中にこっそり他の受験生のシートも覗いたけど、10なんて初めて見た。僕なんて7しかない」
「そんなにすごいのか?」
「そりゃあすごいよ。適性レベルが高いほどドールとしては優秀なんだ。それだけ強い力が使えるってことだから。今の学園の生徒でもレベル10は生徒会長の他には片手で数えるぐらいしかいないって話だしね。とても素質があるってことだよ」
と言うことはかなり凄いのだろうかあまり実感がわかない。ドールというものの仕組みさえ漠然としているのだ。
ふと、彼は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ごめん。急に喋り出して。最初に名乗るべきだったね。僕はソーマ。ヴェーダって名前の南東の小さな村から来たんだ」
「俺の名前はミツル。田舎者だから世間知らずだけど、よろしく」
「よろしくミツル。男のドール候補に会えてよかった。周りが女の子ばかりでちょっと気落ちしてたんだ」
周りを見てみれば女の子ばかりだ。そういえば、そんなことを誰かが言っていたのを思い出す。性別が適性レベルに与える影響はかなり大きいようだ。
「女の子は嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。ただ、僕は昔から男友達と遊んでいたし、通っていた剣術学校でもクラスほとんどは男だったんだ。だからどういう風に接するべきかイマイチ掴めなくてさ。そもそも女の子とあまり話したことがないんだ」
「女の子にモテそうだけど」
そう言うと、ソーマは少し顔を赤くした。
「そりゃあ、村の女の子から告白されたことは何度かあったけど……でも、みんな断ってきたんだ。小さい頃から、都の学校に通うことは決めていたからね。いずれ付き合った相手を田舎に置き去りにしてしまうことを考えたら、恋人をつくることに抵抗があってね」
そういうものだろうか。
告白されたら付き合ってしまえばいいのに。そもそも長く付き合い続ける保証もないのだし。
それでも、俺はそういう考え方が嫌いなわけじゃなかった。きっとソーマのような男を誠実と呼ぶのだろう。
俺たちはそれから試験官の指示に従ってグラウンドの中央に向かう。これから実技試験が始まるのだ。なにをするのかはまだ知らない。
アリスの言葉を信じるならそれほど心配することでは無いだろう。
「どうして私はドールになれないんですか!」
ふと怒鳴り声のする方に目をやると受験者らしき女の子が試験官の学生に向かって、すごい剣幕で睨みつけている。
「だってあなた適性レベルが4じゃない。ドールになる資格があるのは適性レベル6以上よ。あなたはこれからサポーターの試験を受けてもらうわ」
「適性がなくたって、ちゃんと戦えます。足手まといにはなりませんから。たくさん剣の修行を積んできたんです。死ぬ覚悟だって出来てます。だからお願いします」
しかし、試験官は首を縦には振らない。
「どうしてですか? こんなの不公平です」
彼女は俺たちの方を指差す。
「この合格者の中には、私より努力してない人が大勢いるはずです。それなのに、ちょっと運が悪かったからって、私の努力を否定するんですか? そんなのおかしいですよ」
「そんなこと言われてもね」
困り果てる試験官の元に走り寄る姿があった。メニリィだった。
彼女はその受験者に穏やかに話しかける。
「あなたの熱意はとても素晴らしいと思うわ。でもね、私たちとしてはそれをサポーターの方面で活かして欲しいの」
「私はシャドウを倒すためにここに来たんです。サポーターになってドールの影でコソコソするためじゃないんです」
「そんなことないわ。場合によってはドールの代わりに剣を振るうこともあるのよ。それにサポーターにはサポーターの役割があって、ドールにはドールの仕事があるの。どっちかだけじゃ学園は破綻してしまう。あなたなら分かるでしょう」
でも、となおも言う女の子の口元をメニリィは指で塞ぐ。
「あなたをドールにしてしまったら、他の適性のない子も大勢ドールにしなければいけなくなってしまうわ。そんなことをしたら、きっとたくさんの犠牲者が出てしまう。私たちはそんな風に大事な生徒を失いたくないのよ。私はあなたがもっとも得意なことを一生懸命頑張って欲しい。それに、サポーターとしてドールを助けるのも立派な仕事だと私は思うけど」
女の子は目に涙を浮かべると、なにを言い返すわけでもなくそのまま校舎の方に走り去っていく。
「意外だな。こういうところでゴネるのって男の方が多いもんだと思ってたけど」と俺はソーマに言った。
「男は最初からドールになることなんて期待してないからね。ドールになれたらラッキーぐらいの感覚なんだ」
ソーマはやりきれないといった風に首を振る。
「僕が言うのもおこがましいかもしれないけど、彼女たちの気持ちは痛いほど分かるんだ。彼女たちのほとんどはこの学園に命を捧げに来てるんだよ。比喩とかじゃなくて、本当にそういう覚悟でここに来るんだ。それなのに才能がないから、って一言で想いを否定されるのはあまりに酷だよ。そういうルールだから受け入れるしかないけどさ、ルールだからこそどうにもならない分とても傷つくんだ」
不意に、俺がここにいるには場違いなのではないだろうかという気がした。俺には覚悟なんてつま先ほどもないのだ。
お金と居場所のために、メニリィの誘いを受けたにすぎない。
「なあ。そういう覚悟のない人間が学園を受験するのって間違ってることなのか?」
「そんなことはないさ」
ソーマがそう言うのは予想外だった。
「でもさっき」
「気持ちは気持ちだよ。あるに越したことはないけど、なきゃいけないわけじゃない。ドールとしての仕事はシャドウを倒すことなんだから。そのためなら、動機なんてなんでもいいんじゃないかな」
それから恥ずかしそうに耳を掻く。
「ここだけの話、僕がドールになろうと思ったのはお金目的なんだ。ドールになれば、村で畑を耕すよりずっとたくさんお金が貰えるからね。身体の弱い妹のためにも人一倍稼がなきゃいけないんだ」
「妹?」と俺は尋ねる。
「そう。命よりも大事な妹だよ」
ふと、目があったメニリィは俺に向かって手を振った。
期待してくれる人もいるのだ。今はまだ目的らしい目的もないけれど、そのために頑張ってみることも悪くないのかもしれない。
マイリス等々よろしくお願いします