1章:1/4英雄譚と主人公交代
朝起きた俺が真っ先にしたのは、小銭袋を持って村の鍛冶屋に行くことだった。
ルナに頼ろうとしたのが全ての間違いだったのだ。
確かにルナは強いかもしれない。この昨日の男の言葉や一撃で影を倒す力を鑑みるに、物語の主人公として申し分ないだろう。
100歩譲って、魔王の血を引くの少女の従者として世界に名を残すのもやぶさかではないとしよう。
しかし、それも命あってのことだ。
このまま彼女に血を提供し続けたら、凱旋門をくぐる前に間違いなく死んでしまう。
自分の力で生きていくしかないのだ。
逞しい身体の男に小銭袋ごと手渡して、出来るだけ良い武器が欲しいと言った。
男は案の定顔を顔を歪める。
「武器が欲しいと言われてもね、これじゃあハンティングナイフぐらいしか渡せないよ。あんたここら辺で見ない格好だね。うさぎ狩りにでも行くのかい?」
「影を退治に行くんだ。大変なんだろう?」
鍛冶屋の主人は驚きで目を丸くする。
「そりゃあ大変っちゃ大変だけどよ。あんたが倒しに行くのか? 言うまでもないと思うが一端の剣士がどうこう出来る話じゃないぜ。それとも、実のところ凄腕の剣士だったりするのか?」
「そんなところ。旅をしてたんだけど道中で剣を折っちゃったんだ。ずっと愛用していたんだけどね。剣がないと影とも戦えない。困ってるんだ」
男は腕を組みながらしばらく思案した後、二度三度と自分に納得させるように頷いた。
「いつまで経っても都から人形の一つも派遣されてこないことに頭に来てたんだ。もしあんたが解決してくれるならそれに越したことはない。分かったよ」
「ありがとう」
俺の心はかすかに痛む。良心の咎め……だがそんなことを言っている場合ではない。命に関わることだ。
「こう見えても昔は名工とチヤホヤされた時期もあるんだ。待ってな。とっておきのを持ってくる」
彼が奥から持ってきたのは両刃の剣だった。ずっしりと重く、その刃は冷たく光っていた。悪くない。
なぜあんな嘘をついてまで武器を手に入れたのかというと、俺は一つの可能性を考えていたからだ。
天使がこの世界で不自由なく会話をできるように細工したということは、俺の身体はこの世界で生きていけるように適応されているのかもしれない、ということだ。
未知の文字が読めるなら、もしかしたら未知の敵とだって戦えるかもしれない。
飛躍しすぎているし都合が良すぎる考え、だとは自分でも思う。けれど、そんな可能性にすがるしかないのだ。
俺は宿の裏手で剣を振ってみる。何度か繰り返しているうちにさまになってきたように思える。
もちろん、それがお粗末なのは理解している。
流派もなく、型すらも知らない。基本の「き」の字もない。悪く言えばただのチャンバラだ。
けれど俺は一心不乱に剣を振り続けた。
確かに『影』と呼ばれる化け物は一目で凶暴だと分かる。まともに戦って勝てる望みは薄い。
それでも1つだけこの世界に対する確信があった。
『この世界ではどんな生き物でも斬れば血が流れる』
とにかく自分を信じるしかない。
俺たちが『影退治』に出かけたのはその日の夜だった。
「影が活発になるのは昼間じゃなくて夜なんだ。だから陽が落ちてからは外を出歩かない方がいい。死にたくないならな」と言ったのは宿屋の主人だった。
ルナは一人で解決しようとしていたらしく、扉の音に目を覚ますと彼女は部屋を出て行くところだった。
ついていくよ、と俺が言ったときルナはあまり良い顔をしなかった。
「危ないよ。きっと私一人でなんとか出来るから。ミツルは寝てていいんだよ」
もちろんそんな言葉は聞かなかった。
葛藤がなかったわけではない。下手をしたら命を落とすのだ。
1、もしルナが怪我をしたとき運べる者がいないと危険だから
2、弱い影なら俺でも倒せるかもしれないから……経験を積むのは大事だ
3、小さな女の子を一人で戦わせて自分は安全なところで寝ているなんて嫌だから
一番のウェイトを占めている理由は3番目だった。
俺にだってささやかなプライドはある。
主人公にはなれないかもしれない。それでも、主人公を支える従者ぐらいになら、きっと俺にでも出来るはずだ。
俺たちは、森を北へ北へと突き進んだ。この村に来たときの巻き戻しのように。
森の中は驚くほど暗い。それぞれランタンを手にしてはいたが、景色どころか足元さえ覚束ない程だった。
それでもルナは怯むことなく進む。時折、彼女のランタンの灯りが大きくぐらつく度に、俺は暗闇から彼女の手を引いた。
「ありがとう」
「ほら、俺だって少しは役に立つ」
影の存在は夜においてもすぐに分かった。
彼らの目はまるで警告灯のようにゆらゆらと光るからだ。明確な悪意が、木の陰から俺たちの肌を刺した。
「『魔血の大鎌』」
最初に遭遇した影は一匹だけだったが、歩を進めるにつれて徐々に数を増やしていく。ルナはそれでも冷静だった。彼女が鎌を振る度に、赤い2つの点が地面に落ち、やがて消えていった。
俺が剣を抜く暇もなかった。
ルナがその場にうずくまったのはちょうど10匹目の影を倒したときだ。
ランタンで照らしてみると、ストッキングが破れ、そこから血が滲み出ていた。
「これぐらいなら大丈夫」
いつもの抑揚のない口調のせいでそれが強がりなのかどうか判断できない。
「この程度はなんともないよ」
しかし、やはり多勢に無勢と言うべきなのだろうか。次第にルナは息を切らすようになり、姿の見えない影の攻撃をうまく避けきれなくなってきた。森を抜けた頃には、ルナの服の所々が引き裂かれ、傷口から血が流れていた。
「少しだけ休ませて」
ルナはそう言うと、木の幹にもたれかかった。
「本当に平気なのか?」
「大丈夫。魔王の娘だから。簡単には死なないようにできてるの。傷の治りも早いの」
『魔王の娘』という肩書きは伊達じゃないみたいだ。
「ねえ、あれ」
ルナは北の空を指差す。
遠くの方にぼんやりとした光が見えた。目を凝らすとまるでドームのような形をしている。
「あの光からすごい嫌な感じがするの。きっと男の人が言ってた『魔力の渦』なんじゃないかな」
渦、と呼べるような形ではないが、ルナの予想は当たっているような気がした。この世界に似つかわしくない不自然な形は、どことなく不吉な予感がする。
つまり、あそこが目的地ということか。
草むらから影が飛び出して来たのはそのときだった。
ルナに飛びかかったその黒い影を、とっさに抜いた剣でなんとか弾き飛ばす。
「ガウゥゥ」
その影は狼のような形をしていた。標的を俺に変えて再び飛びかかってくる。俺は剣を顔めがけて思いっきり振った。
ガキィン!
影は刃を牙で噛むと、そのまま俺を押し倒した。
剣で口が傷だらけになろうと、まるで御構い無しというように噛み付こうとする。
「くそっ……」
その牙が喉元に届こうとしたその瞬間、影から力が抜けていく。ルナの大鎌がその身体を真っ二つに切断したのだ。
俺の身体はしばらく動けなかった。
「怪我はない?」
「うん。助かったよ」
ねえ、とルナは言う。
「ミツルは戻ってもいいんだよ。私一人でもきっと大丈夫だと思う。ミツキだって怪我したくないでしょ?」
ルナが親切心で言っているであろうことは分かっている。しかし、その言葉に俺は少し傷付く。
足手まといだと、そんな風に言われてるような気がするのだ。
「俺にだって出来ることはあるよ。それに、もしルナになにかあったとき、例えば足を挫いたりしたときに運べる人間がいないと困るだろ?」
ルナは首を傾げる。
「ミツルは私のことが大切なの?」
「大切?」
どうだろう、と俺は内心首を捻る。
どうでもいいと言ったら嘘になる。けれど、大切と言われたら違うような気がする。なにしろ俺たちは出会ったばかりなのだ。
「まあそんなところだよ」
ルナは渋々と頷く。
「もし危なくなったら一人でも逃げてね」
「分かってるよ。こんなところで死ねないよ」
そう、まだ死ねないのだ。俺の目的はあくまで天使を殴り飛ばすことだ。
そのドーム状の『魔力の渦』は、近くで見ると発光する一つの巨大な生命体のように見えた。触れてみるとぬめりとした感触が指に残る。
「気味が悪いな」
しかしドームの壁が俺たちの行く手を阻むことはなかった。ちょっと身体を押し付ければ、すんなりと俺たちを中へと入れてくれる。
見た限り、ドームの中は外となんら変化がないように思えた。強いて言うなら、ドーム自体が発光しているおかげで昼間のように明るいことぐらいだ。『建物』というよりは『境界線』といったところか。
その違いをハッキリ認識し始めたのはしばらく歩いてからだった。中心点に向かうにつれて、気分が悪くなるのだ。
肌にまとわりつこうとする目に見えないネバネバとした感覚は、根気よく読み取ってみると、憎しみとか嫉妬とかいうような悪意だった。
ルナは弱々しげに言う。
「ここには長居したくない」
ドームのちょうど中心地で俺たちは足を止めた。
そこにあるのは見上げるほどの大きな岩山で、頂きには一匹の影が佇んでいた。
二つの首を持つ竜の形をした黒い影だった。
それだけじゃない。
岩山の周りにはグルリと囲うたくさんの影の姿。おそらく100か、200か、あるいはそれ以上だ。
無数の赤い目は一つの共同体のようにじっと俺たちを見つめていた。
「あの竜が親玉みたいだな。だいぶヤバそうだけど……」
「木の陰に隠れてて」
「ルナ?」
「ちょっとだけ……頑張るから」
ルナが影に向かって走り出すのと同時に、竜が天に向かって吠える。それが号令のように無数の影たちはルナに群がった。
「ルナ!」
いくらなんでもあれだけの数を相手にするのは無謀だ。
しかしルナは怯まずに突っ込む。大鎌を振るい、まるで人混みを掻き分けるように切り進む。影は我先にと飛びかかるが、牙が届くことはない。
俺は思わずその場に立ち尽くした。
その姿はまさにラノベの中に出てくる主人公そのものだった。
ルナの腕に一匹の影が噛み付いたのは、あと一歩で竜に辿り着くというところだった。
痛みに顔を歪めながらもルナは一振りでその身体を払いのける。そして腕から流れ出る血を手ですくい、それを宙に払った。
「『魔血の矢・天泣』」
霧のように宙に舞った血は、細長い針に形を変え、機銃掃射のように大地に降り注ぐ。細い針は影の首元を貫き、その肉を裂いた。
耳を覆いたくなるような影たちの悲鳴。
舞っていた砂埃が晴れると、あれだけの数がいた影はほとんどが地面に倒れ伏していた。
ルナは岩山の頂きに佇む影の竜に向かって走り出す。
残るは竜の影のみだった。
「グォオオオオオオ」
竜は蟻を潰すように交互に首を叩きつけた。
その度に竜の鎮座する岩山は砕け、地面は大きく揺れた。
ルナは隙を付いて何度か斬りかかるが、その度にもう片方の首が巧妙にブロックする。竜の首は鞭のようにしなやかだった。
地面を掴んでいた竜の爪がルナを襲ったのは、大鎌の一撃を牙で弾かれた瞬間だった。
竜は勢いよくその身体を地面に叩きつけると、爪を身体に突き刺して自由奪う。重機のような爪先が、痛ぶるようにルナの足を刺し肩を刺し腹を刺した。
ルナの悲痛な叫び声が木霊する。
「ルナっ!!」
(助けないと……)
でも俺は動けなかった。足はガクガクと震え、強く握りしめていた剣はいつの間にか手から離れている。
なんのための剣を手に入れた?
なんのためにここまできた?
頭では分かっている。しかし、身体は岩のように硬直して言うことを聞かない。
竜がしばらくいたぶっていると、やがてルナの悲鳴は聞こえなくなる。抵抗していたも眠ったようにぐったりしていた。
ルナがやられた?
嫌な考えが頭によぎる。
(嘘だろ?)
でも、当たり前のことだった。
忘れていたわけじゃない。ただ、実感が湧かなかったんだ。
『ここは人が死ぬ世界だ』
竜の右首がその身体を喰らおうと首を伸ばす。
俺はそのときにある違和感に気付いた。辺りに散らばっていた血の針が一本もないのだ。
ふと空に目をやると、幾千もの針が束ねられ、一本の血の矢へと姿を変える。ダモクレスの剣のように矢の先端は竜の頭上に向けられていた。
ルナは喉を切り裂くような声で叫んだ。
「『魔血の矢・神立』」
赤黒い矢はまるで釘のように右の首を貫ぬくと、そのまま地面に打ち付けた。
「ガァアアアアアアア」
竜の右首はなんとか抜け出そうと暴れまわり、残った左の頭は矢を懸命に砕こう牙を立てる。ルナは竜が矢に気を取られているうちに爪の間から這い出ると、鎌を手にする。
ルナが左首を斬り落とすと、意識を無くした竜は岩山から転げ落ちた。
ちくわ