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魔王の娘とシリアスクロニクル  作者: タマキ サクラ
13/15

2章:魔法の学校とチェスの哲学

 

 みなさん入学おめでとうございます。

 えーっと……生徒会長として挨拶の機会を与えられたことを喜ばしく思います。

 本来ならば、とって付けたような季節の挨拶をして、それから喜びの言葉を述べて、云々と続けたかったのですが、用意した原稿を部屋に忘れてしまって……困りましたね。

 そうですね、生徒会長としての挨拶は取り止めにしたいと思います。即席で考えたところで、どうせ出来の悪い作文になるのは目に見えてます。


 ただ、このままなにもせずに終えるというのも味気ないですね。では、その代わりと言ってはなんですが、少々チェスのお話をしたいと思います。つまりは私の哲学についての話です。

 お付き合いください。


 私が初めてチェスに触れたのは初等学校を卒業し、帝都の中等学校に入学してからになります。貴族の子がステータスとして幼い頃からチェスを覚えさせられますから、まあ私は遅い方だったということです。

 そもそもとして、幼い頃の私はチェスに興味はありませんでした。バカな貴族どもがくだらないプライドのためにやるチェスというものにむしろ嫌悪感すら抱いていたと言ってもいいでしょう。

 私がチェスを触るまでにはちょっとした経緯があるのですが……やめましょう。本題に入ります。


 チェスというのはある意味でとても単純なゲームです。

 プレイヤーにとって敵は一人しかいない。駒は決まった方向にしか動けず、皇帝を取れば勝ち。そしてどんな打ち方をしてもその結果は三通りしかありません。勝つか、負けるか、引き分けか。

 そして我々はその単純な原理を、引き伸ばし、刻み、丸め、どこまでも複雑にし、時間をかけ、その末に勝敗を付けようとします。

 チェスをしない人間からしてみれば、とても馬鹿げたことに思えるかもしれません。かつての私もそう考えていました。

 勝ち負けを決めるだけならクジを引いた方が効率的です。プライドをかけるなら決闘でもすればいい。その通りです。

 しかし、それは誤った考えでした。我々がチェスを打つのは、勝つためでも、プライドのためでもないからです。


 古い話をしましょう。かつて南の王国と戦争した三代前の皇帝はチェス好きとして有名です。

 彼は非常にプライドが高く、横暴で、悪趣味な皇帝でした。彼のエピソードを聞くと、私は思わず鳥肌が立ちます。オーダーを間違えたシェフの舌を引き抜き生きたまま鍋に放り込んだとか、撤退命令を出した将校を串刺しにしてその骸を連隊旗のシンボルとしたとか……。

 そんな皇帝ですが、彼はその生涯で約二万局チェスを打ち続け、勝ったり負けたりを繰り返しながら、その棋譜のほとんどを後世に残しました。

 彼は常勝不敗という訳ではありませんでしたが、間違いなく優れたチェスプレイヤーでした。

 彼はそれまでの定石と信じられていた保守的な打ち方を否定するような、前衛的で斬新でユーモアに富んだ打ち方をしました。多くの家臣は、彼の滅茶苦茶な打ち筋に驚きました。影で笑う者もいました。もちろん多くの試合に負けました。

 しかし、彼はどれだけ負けても自由に打つことをやめませんでした。むしろ気楽に、勝つための方法を自分なりに模索しました。そしてその自由さを徐々に洗練されたものへと変化させたのです。

 棋譜を読むと彼が勝利に執着心を持っていないことがわかります。彼にとってチェスとは楽しむための手段であり、その結果として勝利がもたらされると信じていました。それは正しい考えでした。

 おおよそ六十年間に渡る人生を使い、彼はチェスの世界に可能性を提示し続けました。彼の残した棋譜の数々は、ある種のバイブルとして現代のチェスプレイヤーの間で信奉されています。

 彼は成果の上がらない戦争に固執した暗愚な皇帝と描かれることがありますが、チェスに関して言えばあの時代で唯一その本質を見抜いていた慧眼の持ち主だったと言って差し支えないでしょう。

 私はその残忍な皇帝を一人のチェスプレイヤーとして心から尊敬してます。それは彼がチェスというゲームに真摯に向き合った数少ないプレイヤーだからです。


 チェスというのは単純なゲームです。顛末は三つしか訪れない。しかし、その過程は無数にある。我々は勝利やプライドのために駒を握るのではありません。勝ちを目指すその過程に、ささやかな価値を見出そうとするのです。

 いいですか。ゲームに勝つか負けるかは大切なことではないのです。


 私が伝えたいことの一つは、あなた方には良いチェスを打ってほしいということです。人生において勝ち負けは存在しません。もちろん引き分けも。あるのは過程だけです。

 中にはシャドウを倒してより良い帝国にする、という崇高な信念の元に入学してきた者もいると思います。故郷に錦を飾りたいと。家から出たい一心でこの学園に転がり込んだ私と比べれば、素晴らしい考えです。

 こんなこと、本来言うべきではないのかもしれませんが……それでも言わせていただきます。そんな信念は今すぐに捨ててください。そんな信念がなくとも、我々は戦うし、戦わなければならない。


 我々があなた方に求める一番のことは、この学園生活を楽しんでほしいということです。

 何故なら、ここがあなた方の、人生において最も大切な過程だからです。信念という鎖に縛り付けられて、大切な物を見失わないでほしい。

 もう一度言います。大事なのは勝敗ではなくて過程です。それだけは忘れないでください。

 ドールの人生というのは得てして短いものです。



 そしてもう一つだけ。

 チェスを打っていると、一局に一回は必ず難しい選択を迫られることになります。僧正を動かすか、皇帝を動かすか、あるいは猫を取るか。

 そういう時、私はある考え方をします。

 これは私のチェスの哲学なのですが……『考えすぎないこと』です。

 この話をすると、ほとんどのチェスプレイヤーから反感を買うことになります。打ち終わった後にそんなことを言うと、対戦相手は嘲笑するかそうでなければなければ怒り出します。

 チェスとは論理的に思考するゲームです。私がやっていることはチェスというゲームに対しての最大の裏切り行為なのです。

 けれど、私はこのやり方で戦って、それで今まで勝ち続けてきました。あらゆるトーナメントで賞を獲得しました。意地の悪い貴族連中にだって負けたことはありません。

 なぜなら、考えすぎることは悪しき影を自ら生み出す行為だからです。

 僧正を動かせば皇帝が丸裸になるかもしれない。皇帝を動かせば騎士が回り込むかもしれない。猫を取れば、鼠に齧られるかもしれない。悪しき影は、あらゆる可能性を提示して私たちを闇の底へ引きずり込み、判断力を根こそぎ奪おうとします。

 もし思考のるつぼにハマりそうになったときはこれを思い出してください。

『黒の皇帝を取れば、試合に勝てる』

 あなた方は白のポーンです。悪い可能性を考えず、ただ前に進んでください。未来のことを考えて、立ち止まりなどしないでください。その先で悪いことが起こったのなら、そのときに考えればいいのです。もし悲しいことが起こったら、誰かと涙を流せばいいのです。

 あなた方は一人ではありません。どこかで躓いたとき、手を差し伸べる者は必ずいます。


 私は、私たちは、あなた方の学園生活がより良いものになることを、心から祈っています。


 ……ご静聴ありがとう。





 *




 入学式が終わると、入学祝いということで俺たち新入生は校舎の地下にある広いホールへと連れられた。そこはホテルの宴会場のようになっていて、料理が並ぶ長いテーブルがあり、壇上があり、吊るされたシャンデリアがそれらを照らしていた。

 要するに立食パーティだ。

 誰が合図をするでもなく宴会は始まった。挨拶も紹介もなかった。壇上にはマリアやアリス、他にも生徒会らしき者もいたが彼らは座ってただ雑談をしているだけだった。

「美味しい」

 ルナは芋と肉の入ったパイをガツガツ食べながら言った。

 台の上にはあらゆる種類の食事が用意されていた。数種類のパイにフライドポテト。揚げ魚に野菜の入ったゼリー。パンがあって、サラダがあって、スコーンやケーキもある。

 いくつかつまんでみたけど、有名な店のシェフがわざわざ新入生のために用意したというだけあってどれもびっくりするぐらい美味しかった。

 ルナはパイをあらかたそれを平らげてしまうと、次は魚のフライを皿から溢れそうになるまでこんもりと乗せ、脇目も振らず一心不乱に食べ始めた。一人で大食い大会でも開いているような食べっぷりだった。


「こぼすなよ。それから、その制服も汚すなよ。怒られるぞ」

 パイのカスがついたルナの口元をハンカチで拭いながら言った。


「ん。こぼさない」


 ルナは皿を空にすると、別の食べ物を求めて会場のどこかにヒョコヒョコと歩いていく。

 俺は柱に寄りかかって、ため息をついた。食べ物を前にすると目の色が変わる。可愛らしいと言えばその通りかもしれないけど、あまりに脳天気な立ち振る舞いに不安にならざるを得なかった。


「なんで浮かない顔してるの? 具合でも悪い?」

 俺に声をかけたのはメニリィだった。彼女は水の入った細長いグラスを俺に手渡すと、心配そうに顔を覗き込んだ。

「ああ、いや、ちょっと緊張しちゃって」


「なんで緊張してるの」とメニリィは笑った。「せっかくのお祝いの席なんだからもっとはしゃいだって誰も文句なんて言わないわ」


「なんか、こういう席って初めてなんですよ。だから、どんな顔していればいいのか分からなくて」


「ニコニコって笑ってればいいのよ。ご飯を食べて、誰かと話して、飲み物を飲んで。そうしていればきっと楽しくなるから。手始めにそれ飲んでみたら」

 俺は言われた通りに口を付ける。一口飲み込んだところで、思わず口を離した。水だとばかり思っていたが、アルコールの臭いが口にいっぱいに広がる。


「これお酒じゃないですか」


「フランダズ地方の白ワインよ。なかなか美味しいでしょ」

 そう言って、メニリィはグラスのワインをツーっと飲んだ。


「いいんですか? お酒なんて」


「学内での飲酒は原則禁止なんだけどね。まあせっかくのお祝いなんですもの。無粋なことは言わないということで」


 はあ、と俺は頷く。

 そもそもとして未成年がお酒を飲むのはダメなのでは、と思ったがここは違う世界なのだ。国によっては飲酒できる年齢が異なったり、あるいは口にしてはいけない宗教があるように、この世界のルールもまた違うのだろう。


「そう言えば今日はルナちゃんと一緒じゃないのね。いつもは恋人みたいにくっついてるのに」


「恋人って……悪い冗談はやめてくださいよ」と俺は言った。もしかして、他人からはそんな風に見えていたりするのだろうか。さすがに態度で察してくれるとは思うのだけど。「あいつなら何かに取り憑かれたように食べまくってますよ」


 スコーンをむしゃむしゃと頬張るルナのその姿に、周りの人はドン引きしていたし、メニリィも引きつったように笑った。


 ルナがサポーターとして合格したと耳にしたとき、俺は信じなかった。夢でも見ていたのか、あるいは番号を勘違いしているのだろうと思った。だから俺が一緒に確認に行って、実際にその受験番号が張り出されているのを目にしたとき、俺は心から喜んだ。

 これで、俺はこいつの世話をしなくてもいいのだ、と。俺たちは別々の寮で生活し、別々の授業を受け、おそらくは別の人生を送るのだと。

 語弊のないように言っておくが、ルナのことが嫌いなわけではない。愛着のようなものがないわけでもない。ただ、保護者のように面倒を見るのは御免だ、とただそれだけのことだ。

 ふと、喜んでから、ちょっとした罪悪感が湧いた。それはルナに対してではなく、他の受験者に対してだ。俺はルナが合格できたのはメニリィの推薦があったからだと確信していたし、そんなズルいことで他の受験者の席を奪ったと思うと、俺の良心がチクチクと胸の端を突いた。

 けれど、それは俺の勘違いだった。

「推薦なんかがなくたって、学園はあの子を欲しがったわよ」と合格を伝えるためメニリィに会ったとき、彼女はそう言った。「いくら座学が優秀でも、武術に秀でていても、才能には勝てないの。努力は誰にでもできる。でも、才能は育てられない」

 努力を否定するその言い方はあまり好きではなかった。それでも、それがこの学園においてのやり方だろうし、俺もその才能の一部を享受している身なのだ。文句なんて言えるはずもなかった。


「ほら委員長! こっち来て一緒に食べようよ」

 俺はアリスの声に我に帰った。壇上からメニリィを呼んでいる。

 いま行きます、と返事してからメニリィは俺の方を向いた。

「まあ、ミツルくんも楽しんでおいた方がいいわよ。明後日からは学園の授業も始まるし、楽しんでおけるときに楽しんで置かなきゃ勿体無いわ。マリアちゃんも言ってたでしょう」

 それだけ言うと、メニリィはアリスの元に歩いて行った。


 楽しむ、と言っても、どんな風に楽しめばいいのか俺には分からなかった。誰かと喋ろうにも、ルナは食べ物に夢中になりながら口の周りを汚しているし、唯一の知り合いであるソーマは女の子と談笑している。試しに俺も女の子に話しかけてみようかとも思ったが、そんなことする度胸もなかった。


 俺は諦めて、料理を取りに行った。どれにしようかと迷っていると、ふと肩がぶつかる。


「あっ、ごめんなさい」


 どこかで聞いたことのある声だった。ぶつかった相手は青髪の女の子。彼女は俺を見ると、あっと口元を覆った。

「ミツルさんでしたよね。お久しぶりです」


 えーっと、と俺は頭をひねった。

「なんて名前だっけ」


「ミアです」と彼女は言った。「この前は助けていただいてありがとうございます」


「ああ、そうだミア。思い出したよ。合格できたんだ。おめでとう」

「あ、ありがとうございます」

 ミアは頭を下げると、照れ臭そうに笑った。白を基調とした制服は彼女によく似合っていた。相変わらず歳上には見えなかったけれど、学生らしくはあった。

「制服似合ってるじゃん」


「そ、そうですか?」

 ミアは腰を捻って自分の背中や腕の辺りを眺めた。それから不満そうな顔で俺を見た。

「入学はしたんですけど、なんか落ち着かないんです。憧れてた制服のはずなのに、なんか自分に馴染んでいないような気がして」


「慣れてないだけだよ」


「変じゃないですか? 本当に似合ってます?」


「アイツよりは似合ってる」

 俺はルナの方を指差した。サポーターの方は青を基調とした色違いの制服なのだけど、彼女の制服のサイズは背丈にあっていなかった。大きすぎるのだ。袖を捲らないと手は出ないし、リボンも変な方向に曲がっている。

「それにもし気になるならソーマに見てもらえばいいだろ?」


「話しかけようとは思ったんですが……」


 まあ、話しかけられないだろう。

 ソーマは女の子たちの輪の中心にいて、爽やかな笑みを惜しげなく振り撒いている。グラスを手にするその立ち振る舞いは王子様のようにとても優雅だ。


(女の子と話すのは苦手とか言ってなかったか?)


 ああやってチヤホヤされるのも満更でもないのかもしれない。それとも、適応しただけなのか。なんにしろ、俺からしたら羨ましいったらありゃしない。


 俺はそれからしばらくミアとたわいのない会話をした。住んでいた街の事とか、趣味とか、好きな本とか、そう言う話だ。はっきり言って話はあまり噛み合わなかった。

 どこの生まれなんですか?と尋ねられても、遠い山の奥、と誤魔化すしかなかった。

 好きな劇は?と訊かれてもなに一つ思い浮かばなかった。

 ラノベの話をしようにも、当然通じなかった。

 だから俺たちが話したのは、どちらかかと言えば、内面的なことばかりだった。子どものときの性格とか、好きな食べ物とか、あるいは恋愛についてとか。もっと気の利いた話題はあったのかもしれないが、彼女の一人もできたことのない俺にとってはこれが精一杯だった。


「ミアって恋人とかいるの?」

 俺が尋ねると、彼女は顔も耳も熟れたリンゴのように真っ赤にした。


「そ、そんな人いません」


「意外だな。なんかモテそうな気がするけど」


「モテませんよ。それどころか、男の子はみんな私をからかうんです。背が低いとか子供っぽいとか。告白みたいなことされたこともあるけど、全部おふざけですよ。だって、柱の陰でコソコソと他の男の子が見てるんですよ? 私の反応を見て面白がってるんです。ひどいと思いませんか?」


「それはひどい」

 おそらく、男の子の中にはミアに恋する奴もいたのだろう。それでも、周りの反応が気になり素直に言い出せなかったのではないだろうか。そんなことをしたら馬鹿にされる、と。

 彼らの不幸は、ミアの想像力が間違った方向に広がったことだろう。自業自得とも言えるけど。


「私、そういうこともあって、男の人は苦手なんです。あっ、ソーマさんやミツルさんは別ですよ。助けていただいたし……とても親切だと思います」


「ソーマも似たようなこと言ってたよ。女の子と付き合ったことはないし、話すのも苦手だって」


「じゃあ、同じですね」

 明るくなったその表情は、一瞬のうちに沈んだ。きっと同じことを考えたのだろう。

 俺たちはソーマを見た。相変わらずいい顔で女の子たちと笑みを交わしている。


「まあ、そうは見えないけどな」と俺は言った。


「見せませんね」とミアは拗ねたように唇を突き出した。「なんか、モヤモヤします」


 もしかして、ミアはソーマのことが好きなのではないだろうかと思った。危ないところを助けてもらったのだ。それも首席で入学したイケメンに。恋に落ちても不思議ではない。


「きっと、そのうち恋人はできると思うよ。ミアは顔も性格も……なんて言えばいいんだろう、とても女の子って感じがする。ソーマだって、ミアのこと結構気にしてるみたいだから」


「本当ですか?」

 言ってから、自分の声の大きさに恥ずかしくなったのか、ミアは頬を赤くした。どんな表情にしようか迷って、その末に彼女は薄い笑みを浮かべた。

「でも、ドールの恋愛って少し悲しい気がしますね」


「悲しい?」


「悲しいと言うか、虚しいと言うか」


 ミアはそのことについてそれ以上深くは語らなかった。それはいつか見たソーマの表情にも似ていた。彼らにとって、恋愛とは悲しいものなのだろうか。

 俺にはよくわからなかった。



 入学祝いの宴は夜まで続いた。とある二人がちょっとしたハプニングを起こしはしたが、まあ無事に終わった。

 一人はルナだった。

 料理を取りに行く途中に転んで、積まれていたありったけの皿を粉々に砕いてしまったのだ。はっきり言って、なにかやらかすところまでは想像できていた。皿を割ることはまあ想定内だった。

 問題はその枚数だ。ちょうど補充されたばかりの皿は山のように積まれていたし、付け加えるならそれはちょっとしたブランド物だった。一枚で銀貨数枚分はするのだと言う。

「天引き」とアリスは冷たい声で言った。「二人の給料から差し引くから」

「二人!?」と俺は叫んだ。「俺は関係ないじゃないですか」

「監督者としての義務を疎かにしたからよ。ちゃんと見てなきゃダメでしょ」とアリスは割れた皿の枚数を紙にメモしながら言った。

 どうやら、彼女にとって俺はルナの保護者という立ち位置で固定されてしまっているらしい。まあ、実態としてあながち間違っていないのだから仕方ないのかもしれない。恋人と思われるよりはずっといい。

 キョトンとした顔で俺を見上げるルナをみてこう思った。

 出来の悪い娘を持った父親はきっとこういう気分なんだろう。


 もう一人は生徒会長のマリアだった。

 新入生用の食事に手を付けようとしたところを、一人の女の子に捕まったのだ。

「離して! なにするのよ!」

 マリアは後ろから襟を掴む相手に怒鳴った。

 ドールの制服を着た、ブロンズの髪の女の子だった。高い背や大人びた顔つきはマリアとは正反対で、いかにも優等生という見た目だった。

「なに言ってるんですか。それは新入生のために用意された食事ですよ。食べちゃダメって自分で言ってたじゃないですか。そもそも会長はさっき学食のご飯食べましたよね。それでも足りないって言うからせっかくスープまで作ってあげたのに」


「いいじゃない少しぐらい。減るもんじゃあるまいし」


「減ります。食べたらその分しっかり減りますからね。子どもみたいに駄々こねないでください」


 漠然とやり取りを眺めていると、メニリィはやれやれという表情で俺の元にやってきた。

「なんですかあれ?」と俺は尋ねた。

「気にしないでね。ちょっとしたじゃれ合いだから」

「じゃれ合いですか?」

「喧嘩するほど仲が良いって言うでしょ。その典型かな。マリアちゃんとクロエちゃんっていっつもイチャイチャしてるのよ。あんなにベタベタして。見てるこっちまで恥ずかしくなっちゃう」

 どう頑張ってもイチャイチャやベタベタには見えなかった。少なくとも仲が良いとは思えない。

「クロエって、あの茶色い髪の人ですよね」

「風紀委員長のクロエちゃん。まあ、マリアちゃんを叱ってくれるのは有難いんだけどね。それにしたってもう少し穏やかにやってほしいんだけどな」


 ムキー、とマリアは叫ぶ。

「そもそも貧相な豆のスープと干からびたパン一つで満足できるわけないでしょ。産まれたての仔牛だってもう少し気の利いた食事を用意してもらえるわよ。いったいどういう脳みそしてたらあんなもんが出せるの」


「なに失礼なこと言ってるんですかあなたは。少しは我慢したらどうですか。あなた生徒会長なんですよ。威厳を保ってください。こらジタバタしないの。みんなが見てるんですよ!恥ずかしいとは思わないんですか!?」


「そうよ。私は生徒会長なの。あなたの上司なの。少しぐらいワガママ通してくれてもいいでしょ。忖度しなさい。そんなに規則規則ってなんなのもう。規則に縛られてるからいつまで経っても恋人はできないし、胸も大きくならないのよ。貧乳風紀委員長」

 ゴッ、と頭殴られたマリアはその場に倒れると、そもままクロエにズルズルと引きずられていく。俺たちは呆然とその姿を見送った。

 ドールの学生の何人かはヒソヒソと不安そうにささやき合った。生徒会長があまり褒められた人物でないのは知っていたが、まさかここまでだとは予想外だった。


「メニリィさん」と俺は言った。「学園の生徒会長は才色兼備って噂が流れてるんですが、どう思いますか?」

 メニリィはしばらく考えてから、諦めたように首を振った。

「誰かがくだらない噂を流したのよ」



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