9-20
「嫌だと言っているだろう!」
「往生際が悪いよ、ヘイダル」
ブンブンと首を左右に振るヘイダルをフロールは笑顔のまま引っ張っていた。
「ふざけるな!女子寮に立ち入りなどニコロやエリックはともかく、俺の分野じゃない!」
「むしろニコロやエリックだと分野過ぎてマズイから君を誘ったんだけどな」
「それならメルヴィン、誠かアントワーヌでも良かっただろうが!」
不満タラタラで工女の女子寮前、飾り気のない門扉を潜るまいと踏ん張るヘイダルに、雪路はボンヤリと地球の実家、近所の大型犬を思い出していた。
(公園から帰りたくなくて、いつもめちゃくちゃ踏ん張ってたっけ)
首輪を引っ張る飼い主と、首輪がせり上がって変な顔になりながらもガンとして動かない大型犬と。
「メルヴィンや誠だと僕が小言で返り討ちになるじゃないか。そしてアントワーヌなんか連れて来ちゃった日には、寮の子達の方に大混乱が発生するだろ」
「正論だが、そこで俺になるのが理不尽だ……!」
襟首を引っ掴んで引っ張るフロールと、ウンウンと抵抗するヘイダル。
「何か、珍しい光景ね……」
横のカレンが目を丸くして呟いた。
「ヘイダル様がニコロ様を引っ張って連行するのは、よく見るけれど」
見るからに武闘派で威厳のあるヘイダルが、パッと見たところは戦場より舞踏会が似合いそうなフロールに押されているのは、確かにややチグハグにも見える。
「兄弟内ヒエラルキーがちょっと見えた気がする」
やはり〝兄〟側の方が強いのかな、なんて思いつつ、雪路はそろそろ綱引きする二人に声を掛けようと口を開いた。
「あのー……ヘイダルさん、そろそろ待ち合わせの時間なので……」
腹を括って下さい、と肩を叩く雪路に、ぐぅ、と喉を潰すような唸りを上げる。
「今日は厄日か」
味方はいないと判断したのか、少しばかり諦めの付いたような雰囲気になってフロールの手を振り払ったヘイダル。
「そろそろ寮監の工女とウェンディが……」
雪路が振り向いたところで、丁度、門扉が開いた。年季を感じさせるキィという音に、一瞬、歯の浮くようなゾワッとした感覚を覚えてから振り向く。
「お待たせ、雪路」
背の高い工女と並んで出て来たウェンディは、そう言って雪路の方に踏み出してから、ふとヘイダルに気付いた。
「ヘイダル様」
予定外の来客に、パチリと、寮監らしき長身の工女も目を丸くする。
「ああ、急ですまんが、コイツが男ひとりでは不安だと宣うものでな」
気まずそうに、横のフロールを視線で指して答えたヘイダル。
「ちゃんと、エリックと違って変な事とかしないカタブツを選んだよ」
ニコリと、邪気のない顔で言い切るフロールに、それは誉めているのか、と、複雑そうな顔をする。
「あの、ひとり増えても良い?」
雪路がウェンディと寮監に許可を求めると、寮監はニコリと微笑んで頷いた。
「もちろん。御子息様を間近で拝見できるなんて、私達工女にとっては滅多にない機会ですからね。皆、昨日から浮かれちゃっていて」
フロールに加えてヘイダルがいるとなれば、更に喜ぶだろう、と。
そうして、さぁ中へ、と、門扉の内を手で示す。
「お邪魔します」
雪路とカレンが寮監に先導されて門扉を潜ると、フロールとヘイダルも後に続いた。
最後にウェンディが入って来て、またキィと甲高い音を立てて門扉を閉めようとして。
「貸せ」
元より金属製で重い事に加えて、錆びて蝶番が傷んだ扉は締りが悪い。微かに足を踏ん張って全体重を掛ける仕草を見せたウェンディの肩越しに、ヘイダルが手を伸ばした。
「え、あの」
「なんだこれは、危ないな。こんな鉄柵に、うっかり全体重を掛けて挟めば、女の指なぞ軽く飛ぶぞ」
顔を顰めて、ウェンディのかわりに扉を閉め、そう呟く。
「あの、錆びてしまっているから、重くて……すみません」
「お前が謝る事ではあるまい」
慌てて振り向くウェンディに、橙色の目は思い出したように微かに見開いた。
「……そういえば、お前、決闘の際に雪路に靴を貸していた工女だな?毒林檎の試練の際も一緒にいた」
「は、はい……?」
カチンコチンと、ウェンディが固くなっているのが目に見えて分かった。
「ね、ねぇ、あれ間に入ってあげなくて大丈夫?凄い緊張してるみたいだけど……」
コソコソと寄って来て心配するカレンに、雪路は複雑な思いで首を左右に振る。
「大丈夫だよ」
ウェンディがヘイダル相手に固くなる理由を知っている。それは決して苦手だとか嫌だとか怖いとかではなくて、きっと真逆の感情だ。
けれど。
(……でも、工女になった時に諦めた、っていってたな……)
そう考えると、単純に、無責任に、頑張れとか、よかったね、とか思うのも違う気がして。
(……下手に口を挟めないというか……)
折角のタイミングに割って入って邪魔をしてしまうかもしれない。けれど、もし、雪路がウェンディの立場だったなら。決して叶わない恋の相手と、偶然に会話出来てしまった時、諦めのタガが外れてしまう前に、誰かに割っ入って欲しいような気もするだろうから。
どうしたものか様子を伺っている雪路やカレンの前で、ウェンディを見下ろすヘイダルは少し首を傾げる。
「……すまんが、名前が思い出せない」
「う、ウェンディです」
「そうか、ウェンディか。覚えておこう」
何気なく頷いて視線をウェンディから寮の玄関の方へ戻したヘイダルは、そこで、様子を伺う雪路達に気付いた。
「なんだ?」
「いいや」
クスクスと、カレンの背後にいたフロールが笑う。
「ヘイダルは意外と、気遣い屋だったりするからね」
「なんだ、いきなり」
「紳士だって褒めたつもりだよ」
ポンポンとヘイダルの肩を叩いたフロールは、さて、と寮監に言う。
「御案内の続きを頼めるかな?」
「は、はい」
ハッと我に返ったように、寮監は再び歩き出して、四階建ての寮の玄関を開けた。
花嫁候補の石造りの屋敷よりも簡素な印象の煉瓦の外観から一歩中に踏み込む。まずは玄関ロビーがあって、そこそこの広さの空間には、やや色褪せたペルシャ風の絨毯が敷かれていた。正面奥には古ぼけた印象の足の短い卓と、一人がけの安楽椅子が二脚置かれ、その卓の上には古風なチューリップをひっくり返したような卓上ランプが置かれている。
椅子と卓の左右に、それぞれ上階に続く階段があった。建物はロの字型をしていて、左右の階段の横にそれぞれ廊下が伸びている。寮監とウェンディに促され、右側の廊下に進むと、右手には各部屋の扉が、左手には窓越しに中庭が見えた。
「土いじりが好きな子達が色々育ててるの」
ウェンディは中庭を指してカレンを振り向いた。
「カレンも植物育てるの好きだったわよね?」
「ええ」
カレンは既に中庭の花壇に意識が向いているらしかった。
「これ、自由に場所を使っていいの?」
「一応、私に声を掛けて。ほら、他の人の種が植わっている所を掘ったりすると大変だから。白いロープを貼って、それぞれ区画を指定してるの」
寮監の説明に、なるほど、と頷くカレン。
「鉢植じゃ無理そうな大きい花とか植えられるわね」
「たとえば?」
雪路はキョトンと首を傾げる。鉢で育てられない花なんてあるだろうかと、ちょっと考えていると。
「向日葵とか?」
フロールがニコリと笑った。
「そうですね。向日葵は、凄く身長が伸びたりしますし」
うんうんと楽しそうに頷いたカレンは、それからパチリと目を瞬く。
「……フロール様、お花に詳しいんですか?」
「嫌いじゃないよ。僕も庭で育てているんだ」
その返答には雪路やウェンディ、寮監も目を瞬いた。
「ええ、なんだか、ピッタリと言うか、意外と言うか……」
王子様のようなフロールが、庭で土いじりをするなんて不釣り合いな気もしたけれど。一方で、鮮やかに咲いた花に水を与えている姿は絵になるというか、想像しやすい。
「どんなお花を?」
「それこそ、夏は向日葵とか。薔薇やチューリップも、手入れが楽しいね」
興味を示したカレンに答えるフロールに、ヘイダルが頷く。
「どんなに具合が悪くても、花に水だけはやらねばと起き上がるからな、コイツは」
外で育てている花など、二、三日、水をやらずとも雨が降れば良かろうに、と。豪快な事を言うヘイダルを、カレンとフロールは同時にジトリと睨み付ける。
「園芸って結構繊細で手が掛かる趣味なんだよ、ヘイダル」
「育てていると、植物も可愛くなるんですよ、ヘイダル様」
同時に責められて、うむ、と橙の瞳は少し泳いだ。
「ま、まぁ、ヘイダルさん砂漠の出身だし」
無言で助けを求めるようにチラリと視線を向けられ、雪路は慌てて苦笑い。
「水がなくても逞しく育つサボテンとかに親しんでるんでしょ、きっと」
すると、クスクス笑ったウェンディが小首を傾げた。
「フロール様はロシアの御出身と聞いていますが、園芸の趣味はその頃から?」
ロシアでも向日葵は咲くのですか、と。問われ、ふと、フロールは目を瞬く。
「……ああ、咲く」
一瞬の間を置いて、そう微笑んだ。
「……でも、僕は、地球にいた頃は、向日葵や園芸なんて、興味を持つこともしなかったんだ」
「あら、では、こちらにいらしてからの御趣味なんですね」
私もなんです、と。笑うカレン。
趣味の同じ相手を見付けて、純粋に楽しげな声に、またふと、フロールは表情を変える。何か遠慮のようなものがあった微笑みに、いつも通りの色が戻る。
「ここに越したら、趣味に磨きがかかりそうだね」
何を育てるの、と、問うフロールに、カレンが意気込んで夢を膨らませたところで。
「ここが、共有部です」
寮監の声と同時に廊下が終わり、ロの字の奥の辺に突き当たった。
「二日に一度、洗濯屋がここに来るから、その日はここに各自で洗い物を出しに来て貰うんです」
白いテーブルとソファーが並んだ談話室のような空間。説明する寮監の背後で、ワイワイと会話をしていたらしき工女達が一斉に静まり返った。




