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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.9
86/323

9-11

 その日の、夕刻のこと。

 仕事が終わった後に誠を訪ねた。稽古は明後日だったけれど、軍刀の手入れ用具を貰う約束がある。

 いつも通りに採掘場の広場に行くと、誠は隅の方にある低い岩棚に腰掛け、何か資料を睨んでいた。しかしすぐに、気配を感じたのか顔を上げて。

 「こんばんは」

 「ああ、待っていた」

 隣へ寄る雪路に、昨日は御苦労だったな、と軽く労いを掛け、自分のすぐ横に置いてあった木箱をポンと叩く。

 「刀油と打粉だが、使い方は分かるか?」

 「わかりません!」

 即答して片手を上げると、偉そうに言うな、と溜息を吐いて。

 「貸せ」

 雪路が腰に穿いている軍刀を示して手を差し出す。

 「お願いします」

 鞘ごと差し出すと、座れ、と木箱を挟んだ横を軽く叩くので、雪路は大人しくそれに従って座った。

 「打粉で古くなった油を刀身から避けてだな」

 木箱を開けて、鞘から抜いた刀身を示しながらの誠の教授に、ふむふむと聞き入る。

 ついでに実際手入れをして貰って、なるほど、これなら自分でも出来るかも、と思った頃に。

 「……ところで」

 誠は不意に、視線を刀身から床に移し、どことなく声のトーンに深刻さを滲ませた。

 「はい……?」

 パチリと目を瞬いた雪路に、一瞬、珍しく煮え切らない、言うべきか言わざるべきか迷うような間を開けてから、誠は再び口を開いた。

 「……お前、本気で魔女の後継者になりたいか?」

 「え?」

 雪路は思わず目を丸くして誠の横顔を見詰める。

 (どうして急に?)

 一体、どういう意図があるのかと間を置いていると、いや、と誠は軍刀を鞘に納めながら首を振った。

 「たとえばの話だが。俺は、お前が本気で魔女の後継者になりたいと願っていて、その理由が、〝日本に帰りたいから〟でも、良いと考えている」

 ドキリと、雪路は思わず肩を揺らす。

 帰る力を手に入れたいから、魔女の後継者を目指す。それは確かに雪路の行動原理の一つだったけれど、まさか、それを魔女の子息である、脱走を取り締まる側である誠に肯定されるとは思わなかった。

 「お前は以前、俺に、帰りたいかと訊いたな」

 誠は軍刀を自分の膝の上に寝かせると、鍔の透かし彫りをなぞる。白い手袋が金属の表面を撫でて、やがて、そっと離れて行った。

 「俺は東京……神田の生まれだ」

 ポツリと、誠は呟いた。

 「本屋の次男坊で、上には兄貴が一人と、姉貴が一人いた。下には妹二人と、弟一人だ」

 「六人兄弟ですか」

 一瞬、多い、と驚いたけれど。昭和初期、太平洋戦争前中ならば、そんなものなのだろうか、と思い直す。

 「兄貴はインテリでな。帝大を出て新聞社に入った。それから間もなく学生時代からの相手と結婚して、子供が一人できてな。それと同じ頃合に、姉貴は親戚の紹介で海軍の士官と見合いして、開戦直前に呉に嫁に行った」

 ポツリ、ポツリと、誠は言って、どこか遠くを見るように目を細める。

 「弟妹共は歳が離れていたから、まだ餓鬼だったが。……俺はそろそろ身を固めろと、お袋がよく匂わせてきたな」

 「へぇ」

 雪路の感覚で言えば、誠の外見の年齢で結婚なんて、男性としてはむしろ早い方に見えるけれど。そこら辺も時代の違いなのだろうかと目を丸くする。

 「……俺には婚約した相手がいたんだ」

 「え」

 ボソリと、爆弾発言に思わず肩を揺らして振り向くと、いや、と誠は視線を再び軍刀に落として、複雑そうな表情を浮かべる。

 「……いや、婚約などとすら言えん。父親同士が飲みの席で勝手に決めたようなものだ。しかも、相手がまだ母親の腹の中にいた頃に、娘だったらお前んトコの次男坊にくれてやる、じゃあありがたく頂く、というようなシロモノだ」

 「あー……」

 それは酷い、と思わず笑う雪路に、しかし、と誠は頬を掻く。

 「……しかし、母親同士が真に受けていてな。近所だったのもあって、母親に加えて周りの人間も、餓鬼の頃から何かとそう囃し立てては二人一組で扱いたがった」

 「幼馴染で、その扱いって少女漫画みたいですね」

 しかも相手は誠だ。見目からして少女漫画でも許される男前だけに、それはロマンチックだな、と雪路は思わずニンマリする。一方で、当の誠は視線を軍刀に向けたまま、少しだけ声を低くした。

 「……それでも、俺は……、ただの酔っ払い親父同士の口約束だと思っていた。別の相手を好いた事もあったし、相手もいつか、俺なんぞより心底慕う奴を見付けるだろうと、ずっと思っていた」

 後悔と呼ぶには浅くて、何事もないと聞き流すには固い声。

 「……待っている、貴方の事だけをずっと慕っていた、と。出兵の時、初めて言われた」

 長い溜息を吐いて、誠は軍帽を外し、クシャクシャと前髪を散らす。

 「……何と答えれば正解だったのか、今でも分からん」

 言葉を飲んで固まった雪路の前で、誠は視線を部屋の暗がりに流して額に手を当てていた。

 「女として好きだったかと問われると、完璧な肯定は出来ん。どちらかと言えば腐れ縁、妹くらいの感覚だった。だが、嫁として不十分だったかと言われると、違う。あれと結婚していたなら、きっと、俺は生涯……あのひとを、愛したと思う」

 うむ、と小さく唸って、誠は額から手を離した。

 「……終戦まで死なずにいられたら、迎えに来ると、答えてしまった」

 軍刀の鍔を再び指先が滑って。

 「……そして、俺はもう七十年も、ここで生きている」

 「誠さん」

 「生きているのに、迎えにも行けないまま。……アイツは、普通に歳を取っていれば、天寿を迎えている可能性の方が高かろうよ」

 何を言うべきか、中途半端に呼びかけたまま、雪路には分からない。恋ではなかったけれど愛せたという感情も、その感情を向けた相手に、生きているのに約束を果たせないまま七十年も経ってしまった気持ちも、雪路には、遠過ぎる。

 「おそらく俺は死体も見付からなかった大勢の戦死者の一人扱いだろう。となれば、あの時代に女独り身を通すのは難しい。きっと、良い相手を見付けて幸せになったはずだ。アイツも、その回りも、そういう強かな力が、ちゃんとあった」

 誠は軽く肩を竦め、言い切った。

 「……だが、それでも、それだからこそ、俺は自分がどうしたいのか分からん。……せめて墓前に手を合わせて謝りたいような気もするが、謝る事すら既にただの自己満足かもしれん。ならば、帰る場所は、果たすべき何かは、きっと、もう地球には、ない」

 友人も家族も、そして、愛せたかもしれない幼馴染も。きっとそれぞれに人生を歩んで、先に逝ってしまった。そして、その人生の中では、既に誠という存在は死んだ者として消化され、そういう者として、彼等の人生を構成したはずなのだ。

 ならばもう、そこに生きている誠の席は、無かった。

 生きている知り合いが誰もいない、という意味だけではなく、既に死んだ人々の墓前に立つことすらも、きっと、本当の意味での帰還の理由には値しなくなってしまったから。その墓石の下にいる人々にとって誠は、墓前に参る生者ではなく、とっくに、自分達より早く墓石の下に入ったはずの人間なのだから。

 そう思うからこそ、帰りたいかと問われた時に、誠は答えを出せないのだ。郷愁や望郷はあれど、その思い浮かべる景色は既に枯れ果てて、その景色の中にいた人々にとっては、誠の方こそ既に手の届かない枯れ果てた夢だったと、知っているから。

 「……ひとりになってしまうのは、さみしいものだ」

 ぼそりと、似合わない言葉を漏らす誠の横顔は。

似合わないはずなのに、とても真実味があった。

 「だから……ここは……俺は、ここが……」

 採掘場を見回す藤色の瞳。水晶の硬質さが、少しだけ溶けているように見える。

 「……誠さんにとって、ここは、大切な場所なんですね」

 「……ああ」

 小さく頷いて、誠は振り向いた。

 「お前には、まだ地球に帰る場所がある」

 いつもの厳格さと強さを取り戻した声に、ピクリと雪路は肩を揺らす。

 「ならば、帰りたいと、その為に足掻くのは当然だ」

 きっぱりと肯定されて面食らう間に、だが、と、その目は鋭く、どこか痛々しげにすら見える形に眇られて。

 「……その時、お前は、あいつをどうする気だ?」

 「え?」

 雪路は目を瞬いた。

 「あいつ?」

 「アントワーヌは」

 誠は、少し声を落とした。

 「あいつは、俺よりも……誰よりも、ここに、長くいる」

 ハッと、雪路は身を固める。

 「……雪路、お前がもし、魔女の後継者になって日本に帰る事が出来るとするならば、お前は、あいつをどうするつもりだ?」

 魔女の後継者となれば、本来、魔女の子息の一人を夫として、この世界に永遠に君臨することになる。けれど雪路は、魔女の後継者になることで得られるだろう魔法の力を使って、地球に帰りたいと思っているのだから。

 それは即ち、この世界の人々を置いて去るという事に他ならない。

 アントワーヌと、永遠に別れを告げるということにも、なるのだ。

 「魔女の力を得たとあれば、あるいは、あいつを諸共地球に戻す事すらできるかもしれん」

 硬直した雪路に、誠は言う。

 「だが……あいつは俺以上に長く……長く、ここに居過ぎた」

 その言葉に、雪路は俯いた。

 「……アントワーヌさんは、帰りたくないんですか……?」

 「……わからん。あいつが何を思っているのか、この世界と地球、どちらを望んでいるのか。わからない」

 誠は首を左右に振った。

 「……あいつは、大事な事は……ことに自分のことは、誰にも言わんのだ。いや、俺に、聞き出す度胸がなかった。……なかったまま、ここに至ってしまった……」

 溜息混じりにそう言って、まったく、と毒づく。

 「……俺はアイツに頼り過ぎた。……聞けんのだ、もう今更、俺には、聞けん……」

 「え?」

 聞き返す雪路に、いや、と首を振り。

 「……お前が帰りたいと言うなら応援しよう」

 誠は軍刀を差し出してそう言った。

 「だが、どうか……こと、あいつとの事については、悔いのないようにしろと、余計な忠告はしておくぞ」

 「……はい」

 軍刀を受け取った雪路は、こくりと頷いたものの、顔を歪めた。

 「……私は……」

 咄嗟に答えなんて出るはずもない問題だった。あるいは、たとえ長い長い時間を掛けて考えたとしても、果たして正解になんて辿り着ける気は、少しもしない。

 「……まぁ、難しく考えなくとも、お前なら大丈夫な気はするがな」

 「え」

 不意の声に、ドロドロと沈み掛けていた雪路の思考は引き戻された。 顔を上げた先では、誠が静かに軍帽を被り直し、横目でこちらを見ている。

 「……百年の蟠りが、たった一人に、案外呆気なく溶かされることもあろうよ」

 きっぱりとした声で、何かを願うように誠は言った。 

 「男はな、惚れた女には弱い生き物だ」

 パチリと、雪路は目を瞬く。

 「どういう意味です?」

 「アレは惚れたら相当尽くす男だぞという意味だ」

 「つく、す……」

 思わずオウム返す雪路に、ふん、と笑うと誠は立ち上がる。

 「そろそろ暗くなるぞ。帰り支度をしろ」

 「し、しますけど!」

 慌てて軍刀をベルトに挟んで、木箱を抱えて立ち上がる雪路に、藤色の目は愉快げに細まって。

 「……大丈夫だ。何しろお前は、大日本帝国の女だからな」

 穏やかな声に、雪路はほんの少しだけ面食らって、その顔を見上げた。

 目を細める顔には、祈りと、ほんの少しの後悔が、あるように見えた。



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