9-2
ニコロと合流して会場に戻った直後。ピクリ、とアントワーヌが眉を動かした。
「すみません、勝手に駆け出して……」
既に花嫁候補達や、いくらかの観客は帰ってしまった会場で、中央にいるメルヴィンの方へ、雪路が観客席から浮遊魔法で移動しようとした時。
「……なぜ」
低いアントワーヌの声と同時、ぶわりと、辺り一面が極彩色の色の本流に包まれる。
「わ!?」
面食らって目を閉じ、三十センチほど浮いていた浮遊魔法から落ちてよろけた雪路は、さっと差し出された腕で
支えられた。
「す、みません」
「いや」
雪路の肩を抱いたまま、アントワーヌの金の瞳は、メルヴィンの横を注視する。
「……マダム」
「え」
そこに、魔女が、立っていた。
驚いたように目を瞬いたメルヴィンが、続けて恭しく一礼し、ザワリと息を飲んだ観客達は、一瞬遅れて床に膝を付いて頭を垂れる。
「こちらへ来なさい」
すう、と、魔女の紅蓮の隻眼が向けられ、そう、声が響いた時には。雪路は、魔女の前にいた。
その周囲には、誠やヘイダル、ニコロやアントワーヌもいつの間にか呼び寄せられて、それぞれ静かに一礼している。
「久しぶりだねぇ、私の〝継娘〟」
「お久し、ぶりです……」
どうしたものか図りかねて、ひとまず、頭を下げた。
「ああ、良いのだよ、顔をお上げ」
ひやり、と。氷のように冷えた魔女の指が、雪路の顔を上げさせる。
「面白い決闘があったようだ」
魔女は甘ったるい猫撫で声でそう囁いた。
「竜を倒した継娘、そうしてどうやら、〝毒林檎〟も乗り越えたか」
クスクスと笑う声に、知らず背筋が泡立つ。何も恐ろしい事があるわけではないのに、シンと静まり返った辺りは異様な緊張感に包まれていた。
「試練を二つ、決闘を続けて三つ勝利。……なるほど、やはりお前は期待の出来る継娘のようだ」
「ありがとう、ございます……」
片目をヴェールで隠した魔女は、ふぅむと雪路の顔を覗き込む。
「……お前は私の後継者になりたいかい?」
「……はい」
「手に入れたいものは、何だ?尽きる事ない富か、永遠の若さか、それとも……私の自慢の息子達の誰か、か?」
雪路は、返答に詰まった。
(地球に、帰りたい)
その言葉は、おそらく今、ここで口に出すわけにはいかない。ならば、もうひとつ、同じくらいの、想いを述べるならば。
「私は……」
雪路の視線は、魔女の肩越しに、銀の髪を求めた。
(あの人が、他の、誰かに……選ばれるのが、嫌で……)
すると、その視線の動きを見て取った魔女は、ニタリと微笑む。美しいはずの魔女の、気品ある微笑みは、しかし。
その瞬間、なぜか、耳まで口が裂けた化物の哄笑に見えた。
ぞくり、と、雪路が肩を震わすのを見ながら。
「……あれが欲しいかい、継娘よ」
背を少し屈めた魔女は、他の誰にも聞こえないような声で、囁いた。
「ああ、そうだとも。あれは見目麗しく、賢く、有能で……そう、最高の男だろう?」
魔女の真っ赤に塗られた長い爪は、雪路の耳殻を柔く掻いた。ぞくっと、雪路が肩を震わせるのに構わず、猫撫で声は続く。
「だからこそ、あれを欲しがる者は多い。手に入れたければ、誰より美しく、強く、強欲になるしかないのだ。……わかるだろう?」
そして、ゆっくりと、魔女は離れていった。
「私は……」
何を口すべきか分からないままの雪路に、魔女はゾッとするような美しい笑みを浮かべたまま、片手を翳す。
「かわいい竜退治の継娘、お前に期待しているよ」
そうして再び、視界は極彩色に塗り潰された。
「ぁ……!?」
色の奔流が収まった時、そこには既に魔女はなく。
「今のは……?」
呆然と呟く雪路と、怖々、顔を上げる観客達。
「……三連戦など前代未聞ですから。鏡の精霊から聞いて、様子を見に来られたのでしょう」
メルヴィンが、そう口を開いた。
「光栄な御言葉を頂いた事に感謝なさい」
そうして、さて、と声を大きくする。
「報酬の授与を行います」
テキパキと準備を始めていくメルヴィンを横目に、雪路は無意識に再びアントワーヌの方を見た。
「……あ、誠さん?」
いつの間にか、誠と向かい合って何か話し合っているらしい。
(……少し、顔付きが、険しい?)
眉間に皺を寄せた誠に、表情こそ特に浮かべないものの、視線に僅かな惑いのあるアントワーヌ。
(……魔女様が、ここに来るのって、珍しい、のかな?)
何となく、雪路の胸は、ざわついていた。




