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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.9
83/323

9-1

 「ま、待って下さい!」

 鏡の間の外の廊下で追い付いて、雪路が声を上げると、アントワーヌは少し驚いたように振り向いた。

 「雪路」

 振り向いて足を止め、少し息を切らした雪路に視線を向ける。

 「報酬の授与があるのでは」

 「だって、帰っちゃうから!」

 思わず悲鳴のような声になると、パチリと、金の瞳は瞬いた。

 「そんな、一瞬で帰っちゃうなんて」

 酷いじゃないですか、と、思わず涙ぐみそうになる。

 「私、ずっと、待ってたのに!」

 「雪路」

 パチリと、もう一度、目を瞬いてから、アントワーヌは口を開いた。

 「……移動しようと、していたんだが……」

 「え?」

 「俺があそこにいては、近くの鉱夫や工女が落ち着かない。誠達の方へ行こうにも、客席を横切ると、それはそれで大騒ぎになる」

 「え……」

 一度外へ出て、誠達に近い扉から入り直そうとしていたのだと、アントワーヌは小首を傾げる。

 「え……ぁ……」

 理解して、雪路の顔には一気に血が上って来た。

 「ぁ、え、それじゃ、あの……」

 「しかし、紛らわしい真似をしたようだ。申し訳ない」

 勘違いで食って掛かった事に気付き、雪路の中に、いたたまれなさがジワジワ込み上げる。

 「ご、ごめんなさ、い……」

 ヘナヘナと視線を下げて呟くと、クスクスと優雅な声色は楽しげに笑った。

 「……ここでは少し目立つ。移動するか」

 「え」

 チラホラと通り掛かる鉱夫や工女の好奇の視線。さっきまで決闘の主役だった雪路と、天下の魔女の長男が話し込んでいれば、それは野次馬根性も湧くだろう。

 「あ、えと、どうしよう……」

 「そこに」

 何か悪い事をしている訳でもないのに、アワアワと気恥しくなって落ち着きを無くした雪路の横。少し先にあった扉からは、アントワーヌが軽く視線を向けた瞬間に、鍵の開く音がした。

 「座って話した方が賢明だろう」

 アントワーヌが扉を開くと、中は小さな事務室で、窓からは夕日が射していた。

「治癒の魔法も受けずに飛び出して来たか」

 中に入ると、アントワーヌは雪路に椅子を進め、そのままガーゴイルに引っ掻かれた頬に視線を向けた。

 「あ、すみません、お見苦しいものを……」

 椅子に座った雪路は、居心地悪く頬に手を当て、傷を隠す。

 (……そういえば、顔に傷付いてるし、汚れてるし……)

 お世辞にも良い見た目ではない、と自覚して、今更ながら小さくなった。会いたいというのが先行していた間は忘れていたけれど、他ならないこの人の前で、こんな格好は、出来れば避けたかった。

 「あの、ごめんなさい、その、色々あって、汚れてます、はい……」

 「失礼」

 そっと、頬に当てていた手を避けられ、黒い手袋の指先が触れてきた。

 「え」

 「……鏡の間の外だが、この程度ならば」

 そおっと触れられた箇所から、ピリピリした痛みが消えていく。

 魔法で治してくれたのか、と気付くと同時に、金の瞳は瞬いた。

 「それから、その手か」

 「あ……」

 ザクリと切られている右手が取られ、アワアワと見上げると、少しだけ眉を寄せた表情。

 「……遅くなって悪かった」

 「え、いえ、そんな……!」

 「貴女の勝利に、心から祝福を」

 優雅に指先に口付けられ、一瞬、息が止まる。

 (え……)

 心臓はどうしようもないくらい跳ね上がって、そのまま肺を押し、胸元に圧迫感を与えているらしかった。その上、とんでもない速さで打っていて、過剰に血液の回った頭はボーッとしてしまう。

 (相変わらず、不意打ちで、ずるい、ずるい……!)

 サラリとやってのけてしまうその行動ひとつで、死んでしまいそうなくらい、こちらはどうしようもなくなるのに、と。無意識に少し睨むように、けれど睨み切る事なんて出来なくて、どうして良いか分からない顔で見上げていると。

 「他に怪我は?」

 問われて、手の平の傷が治っているのに気付いた雪路は、慌てて首を左右に振った。

 「な、ない、です……」

 「そうか」

 そうして、歌うような優雅な声音は、少し甘く囁いた。

 「……他に怪我がなくて何よりだ。よく頑張ったな」

 ふわりと、頭を撫でる手に、心臓は早鐘を打ったままきゅうと縮む。

 「……はい」

 こくこくと肯いて、自分の服の裾を握り締めた。何も悲しいことなんてなくて、今、この人が目の前にいるだけで嬉しいはずなのに。気付くと目は熱を持って、涙が貯まりそうだった。

 (……来てくれた)

 ちゃんと来てくれた事が嬉しい。頬や指先、髪に触れられただけで、そこから蕩けてしまいそうなくらい嬉しくて、幸せで、息が苦しい。

 好き、と言いたくて仕方ないのに、言ってしまえば何か崩れてしまうかもしれないから、言えない。口を開いたらポツリと熔けた好きが出てしまいそうで、何も言えないまま見上げていると、髪を撫でていた手は、頬に滑った。

 雪路より大きな、頬を覆えてしまう手。親指が頬骨のあたりをすぅとなぞって、微かに擽ったいような、心地好いような気分。

 犬や猫だったなら、ゴロゴロと喉を鳴らしてしまいたかった、と雪路は思った。うっとり、好き好き、と主張して懐いてしまいたい。思わず両手で黒い手袋の手、その袖を掴んで更に頬を寄せる。

 (うう……ほんとに、きてくれた)

 ちょっと視線まで閉じて懐いてから、ハッと我に返る。

 「あ、えと、あの……!」

 パッと両手を放して目を開けると、金の目は軽く見開いて驚いていて。

 「ご、ごめんない、あの、手が、あったかくて、その、気持ち良くてですね、その……」

 限界まで頭に血が上って来て意味も無く両手をグーパーする雪路に、二秒間を置いてから、アントワーヌは軽く笑い出した。

 「はは、猫か、いや、お前はどちらかと言うと犬だな」

 「え、あ、え?」

 「よしよし」

 「え」

 頭を撫でる手にポカンとしてから、雪路は、うう、と小さく呻く。

 「な、なんですか、それ!」

 「いや、かわいいと思った」

 軽やかなのに優雅な声色で、笑って発せられた言葉に、心臓が止まりかけた。

 (かわ、かわいい)

 話の流れとして、犬や猫に対するようなかわいいに近いのだろうけれど。それでも、それが悲しいのを少しだけ上回ってしまうくらいに、嬉しい。

 「わ、私が犬っぽいなら、アントワーヌさんは猫っぽいですよ」

 バクバクと音を立てる心臓と、せり上がってくる嬉しさをどうにか流そうと、少しズレた返答。

 「猫?」

 アントワーヌは小首を傾げて、目を瞬く。

 「なるほど?俺は、にゃぁ、とでも鳴きそうか?」

 「ひゃ」

 何気なく返って来た音声の威力たるや。人形も恥じ入る容貌から、流れるように優雅な声音で。

 (にゃあ、って、にゃあ、って……!)

 かわいい、かわいい、と思わず両手を自分の頬に当てた。

 「雪路?」

 「いえ……うん、はい……。やっぱり、凄く毛並みの良い猫っぽいです」

 コクコク頷くと、そうか、と特に深く気にするでもない様子。

 (フワッフワの白い高級品種……)

 癖のある銀の髪を見上げて、そう思う。触れてみたいなと、間近にあるそれを見ていて、はたと気付いた。

 「……アントワーヌさん、今日……薄着、ですね」

 今更ではあるけれど、トレードマークのような黒い外套も、その下のジャケットもない。以前に見たような軽装で、帽子も当然なかった。

 何を着ても様になる人物ではあるのだけれど、廊下で鉱夫や工女が好奇の目を向けて来ていたのは、もしかしたら、この珍しい姿も理由かもしれない。

 「……急いでいた。執務室からそのまま移動の魔法で出て来てしまった」

 本人も今、気付いたのか。明白に気まずそうに、金の瞳は逸らされた。

 「急いで……」

 「これでも最善は尽くしたつもりだが……だいぶ遅刻で申し訳ない」

 この人でも、そんなうっかりをするのか、という意外さと。それだけ、本当に焦って急いでくれたのだという、驚きと。

 「……ありがとうございます」

 コクコク、と、焦げ付きそうな衝動が声になってしまわないよう、胸のうちに押し戻しながら、雪路は思わず頬を緩めた。

 「凄く、嬉しいです……」

 すると刹那、間を置いて、それから金の瞳は細まった。

 「……いい子だ」

 もう一度、ふわりと、撫でられた頬。

 「……全勝のようだな」

 「はい!」

 えへへ、と、少し自慢げに頷くと、そうか、とアントワーヌは頷き返した。

 「では、何か御祝いが必要だろうか」

 「え」

 「何か希望があれば叶えるが……?」

 雪路は数秒思考した。

 「えっと、あの……」

 何を貰っても嬉しいです、というのが本音ではあるのだけれど。

 (何でもいい、が、一番困るって言うよね、こういうのって……)

 うーん、うーん、と唸っていると、ふと思い出したのはニコロとの会話。

 「そうだ!フルコース!フルコースのディナーを、食べてみたいです!」

 以前にニコロが、アントワーヌは本気を出すと大層なフルコースの料理を作ると言っていた。

 「凄い気になってて……!」

 「フルコース?……ああ、食事か」

 一瞬キョトンとしてから、アントワーヌは納得して呟く。

 「良さそうな店は……」

 「あ、いえ、そうじゃなくて」

 どこか食事に連れて行けという意味で取ったらしいアントワーヌに、慌てて雪路は首を左右に振る。

 「前にニコロさんが、アントワーヌさんは凄く料理上手だって、言って……いた、の、で……」

 言葉にしているうちに、声は尻すぼみになった。

 (これ……よくよく考えると、一番面倒くさいお願いだ……)

 料理して欲しい、なんて。単に食事に連れて行って欲しいとか、何か買って欲しいとか以上に、ある種の手間と時間を要求しているに等しい。

 「……あ、いえ、ごめんなさい。忙しいのに……今のは、なしで……」

 「ああ、俺が作る物か。それでお前が良いなら、出来る限りもてなすが」

 「え」

 ゴニョゴニョと取り消そうした瞬間、あっさりと、了承が返ってきた。

 「え?」

 思わずパチパチと目を瞬く。

 「良いんですか!?忙しくありません!?迷惑じゃありません!?」

 「今日明日は少し時間がないが……。そうだな、次の週末なら、おそらく時間に余裕もある」

 「本当に!?」

 思わず両手を胸の前で握り締めると、ああ、と金の瞳は細くなる。

 「あるいは、他に何か欲しいならそちらでも良いが」

 「いえ!ご飯が良いです!」

 即答すると、はは、と笑って、そうか、と頷く。

 「参考までに、好き嫌いは?」

 「ありません!あ、甘い物は好きですけど!お肉も魚も好きですし、野菜や果物も何でも食べます!」

 「魔法界の生物は?マンドラゴラとか」

 「え」

 それって確か、抜くと死ぬ草では、と。一瞬硬直すると、再び声を上げて笑う。

 「いや、その顔ではやめておくべきだな。特別に好物でもないなら、わざわざ出すのはやめよう」

 「ちょ、調理自体は出来るんですね……」

 本当に色んな意味で本格的な物が作れるのだな、と思って感心。

 そこで、では、と首を傾げたアントワーヌが言った。

 「来週末、土曜日。そうだな、十八時に、屋敷にお招きしよう。……フルコースの晩餐を御所望ならば、ドレスコードはお忘れなく、マドモアゼル。期待している」

 「え」

 ドレスコード、と。その言葉に慌てて顔を上げると、冗談だ、ともう一度柔らかく笑う。

 「以前のように楽に来てくれれば良い。楽しみに待っている」

 やわらかで、甘いようにすら聞こえる声。ウェンディとの会話が脳裏を過ぎって、微かな期待がふわりと胸を占めた。

 この人に、特別に思われているかもしれない。かわいいと、好きだと、愛しいと、思って貰えるかもしれない。

 その声で、好きだと囁かれて、愛おしいと、しっかり抱き締めて貰えるかもしれない。

 ついさっき、指先に触れた感触を思い出して、ふるり、と肩が揺れる。

 (もしも、好きになって貰えたら)

 その時は、指先ではなくて、と、ほんのり考えてしまって、ハッといたたまれず、視線を床に落とした。

 (ぁぁぁぁあ、本人の前で、何考えてるんだろう……!)

 また頬に両手を当ててグツグツ煮えた羞恥に耐えていると、雪路、と怪訝そうな声。

 「雪路?」

 「あ、いえ、その……」

 椅子に座っている雪路の顔を、黒い手袋の指先がクイッと上向かせて。

 「あ」

 真っ赤で、泣きそうに涙まで出そうな顔の自覚があって、慌てて両手で口元と頬を覆う。

 「あの、今、だめです、その、だめ、だめ……」

 視線を横に逸らして呟くと、二秒の沈黙があった。

 「……なるほど……」

 微かに苦い声に、急に訳の分からない事をして機嫌を損ねただろうかと焦って視線を戻すと。

 「Est-ce que tu m’aimes?」

 「え?」

 撫でられた頬と、困ったように、けれど、どこか確信を持って微笑む顔と。

 聞き返した雪路に、いいや、とアントワーヌは首を左右に振った。

 「……いいや、少し俺が頭を冷やして考えるべきだ」

 「え、あの?」

 キョトンとしていると、部屋の外から足音が聞こえて来る。

 「雪路ー?雪路ー!」

 「ニコロさん?」

 自分を呼ぶニコロの声に、扉を振り向くと、ああ、とアントワーヌは肩を竦めた。

 「報酬授与の前に来てしまったからな。メルヴィンが怒って待っているんだろう」

 探して来いと駆り出されるニコロを思い浮かべ、あはは、と雪路は苦笑いした。

 「うわ……じゃぁ、怒られて来ないと……」

 「俺が独占しているわけにもいかないか」

 笑って、アントワーヌは片手を差し出す。

 「名残惜しいが、まだ仕事が残っている。メルヴィンのところまで送ったならば、失礼しよう」

 「はい」

 差し出された手を取ると、ごく当然のように立ち上がるのを支える仕草。

 「小言を言われそうになったなら、俺に手招きされたとでも言えば良い」

 片目を閉じてそう言って、そのまま、もう一度、指先にキスをする。

 「え」

 「約束を忘れないでくれ。週末の夜に、待っている」

 硬直する雪路に囁いて、サラリと扉に向けて歩き出す。

 「わ、わすれるわけ、ないじゃないですか……!」

 手を引かれて歩き出した雪路は、再び血の上った顔を、片手で抑えた。


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