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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.8
79/323

8-12(1/12投稿始点)

 猟犬は走っていた。崩れ落ちた岩盤の鋭角に溶け込み、そして、鋭角から滲み出し。炎が燻っていれば、それを内なる虚無に飲み込んで、この猟犬は走っている。

 真っ暗闇の中、もうすぐ果てに至る。今までのところ、そこに生者はなく、そして、死者が在った形跡もない。死ねば死体も、そして、その者が存在したという記憶さえも消えて逝くこの世界において、消えた死者の痕跡を認識出来るものは、魔女とその子息以外にはなかった。

 走る猟犬の目と感覚を通す限り、死者の痕跡はない。

 あと少しで、崩壊した坑道の全体探査が終わる。

 執務室で必要書類を殴り書きながら、アントワーヌは視線を壁の時計に走らせた。

 とっくに、決闘は開始している。

 再び書類に視線を戻し、同時に猟犬の探査進捗に意識を向けた。

 生き埋めになった者がいないか、死者がいないか。特に前者がいなければ、他の処理は後に回せる。よりにもよって、火曜には魔法界から〝商人〟が来る為、その件についての諸々の仕事と並行になるけれど。それでも、そんなものは寝ずにやれば期日までには終わるのだ。

 問題は、瀕死の生者がいた場合だ。完全に出入口が潰れている坑道からどう出すか、その後の治療をどうするか。魔法の力が篭った白金の鉱脈で囲まれた坑道で、他人を転移させる魔法を組み上げるのは中々に困難である。

 あるいは、鏡の間で花嫁候補に使用される以外の治癒魔法は、魔女により制限されている。となれば治療も、一筋縄ではいかない。

 救助にしろ治療にしろ、実のところは脳裏を過ぎる方法がないでもない。その方法を使えば、例え白金の坑道であろうと……あるいはむしろ〝白金の坑道であればこそ〟、転移も、どんな損傷の治癒も瞬時に可能ではある。

 けれど。

 「……愚策だな」

 瞬間的な思考を、アントワーヌは即座に取り消した。それは確かに、この事件を最速で解決する手段だが、同時に、それ以上の厄介を呼び込む可能性があまりに高い閃きだった。今はまだ、それは使うべきではない。……その方法が使えると、自分以外に知られてはいけない。

 普段なら迷いもしない事を思い浮かべたことで、不意に、自覚以上に思考が急いていると気付く。やれやれと、一度、首を左右に振った。

 おそらく被害者はいない可能性の方が高い。しかし、その可能性がほんの僅かでもあるならば、後に回す訳にはいかないのだ。それが、アントワーヌが自分に課した贖罪であり、役目であり、義務であり、そして何より、自分が自分である為の、誇りであるのだから。

 それに、誰かを見殺しにしてまで会いに行っても、雪路を苦悩させるだろうとも思う。他の誰かの不幸を見て見ぬふりをしてしまったと、それを悔やむ自分に安心してしまっていると、そうやって苦悩して泣ける姿は、素直に眩しい、人間らしい姿だと感じる。

 そんな彼女にだからこそ、約束を果たすならば、他の誰を犠牲にすること無く果たさねばならない。

 結論として、とにかく小細工なしに、万一のために面倒な転移の魔法式を組み上げ、治療の為に必要な物を錬成して備える。そんな地道な努力こそ、今可能な最善の手段だった。

 書類仕事片手に猟犬の進捗を伺いつつ、魔法式をぼんやり組み上げる。三つ仕事を同時進行とは、我ながら器用だな、とアントワーヌが思わず溜息を吐いた時。

 コン、とノックの音が響く。

 今日は休日で、他に鉱山に人はいないはずだった。

 誠かヘイダルが急かしに来たか、と、ぼんやり思った瞬間、声がした。

 「失礼します」

 聞き覚えのある少女の声。探査と魔法式の作成は続けながら、礼儀として書類から顔を上げる。

 「お仕事、お疲れさまです」

 ニコリと微笑んだイザベラに、ああ、と軽くアントワーヌは首を傾げた。

 「休日に……何か急用が?」

 「いえ、事故があったとエリック様から聞き及んだものですから」

 近寄って来たイザベラの言葉に、一瞬、アントワーヌは眉を動かす。

 「……エリックから?」

 「ええ?」

 何か考えるような間を置いた呟きに、イザベラは少し怪訝そうな表情をする。しかしすぐに気を取り直したように微笑むと、執務机の前に立ち、軽く両手を机上についた。

 「朝からずっと執務とか。ご昼食は採られましたか?」

 「問題ない。……それで、マドモアゼル、用件は?」

 採っていない、と答えても面倒な事態になると予感し、あえて明言を避ける。こうして書類の手を止めている間にも時計の針は進んでいる。

 「何か私にお手伝い出来ることはありますか?」

 「気持ちに感謝しよう。しかし、白金の鉱脈の件は、花嫁候補といえど任せられない」

 猟犬の探索は好調に進んでいる。あと十五分もあれば終わる、終わらせる。後は死者や負傷者さえなければ、この書類一枚で急ぎの話は終わるのだ。そう視線を僅かに書類に戻すも、その書類の上にはイザベラの手が乗っていた。

 「せっかくの休日だ。どうか、ゆっくり過ごしてくれ」

 務めて冷静に、何とか自分に執心の補佐を帰そうと口を開いても、当人は微笑みを深くするばかり。

 「いいえ、どうぞお気遣いなく。アントワーヌ様が御多忙だというのに、休んでなどいられませんわ」

 「……ありがたい言葉だが。しかし、回せる仕事がない」

 ここにいても面白い事はないだろう、と退室を促すも、では、とイザベラはクスクス笑った。

 「終わるまで、私はお待ちしますわ。エリック様から、アントワーヌ様は集中されると食事も採られない、とお聞きしましたので。僭越ながら、夕食にお誘いしても宜しくて?」

 十五分で探索が終る。書類はおそらく十分程度。ここでイザベラの機嫌を損ねた場合、巡り巡って困るのは自分ではなく、雪路ではないか。

 瞬間的に考えを巡らせて、ふむ、と少し苦い気分になる。

 アントワーヌはイザベラに気取られないように小さく息を吐くと務めて冷静に微笑んだ。

 「とても光栄な誘いだ」

 「では」

 「だが残念ながら、今夜は、この事故の件で誠と協議しなければならない重要な事項がある」

 パッと表情を明るくしたイザベラは、途端にムッと顔を雲らせたが。

 「……かわりと言うほどではないが、十五分ほど休憩にしたい。付き合って貰えるだろうか?」

 立ち上がったアントワーヌの言葉に、少し表情を持ち直す。

 「ええ、もちろんですわ」

 頷いたイザベラは、いそいそと執務室の続き部屋になっている給湯区画に向かおうとして。

 それを軽く片手で制して、アントワーヌはもう一度、微笑んだ。

 「支度はこちらがしよう」

 「え、でも」

 「せっかくの休日に、これ以上気を遣わせてしまっては申し訳ない」

 パチリと指を鳴らし、魔法を発動。悠長に湯を沸かしている時間も、カップを蒸している時間も今は惜しい。

 まるで踊るように優雅に、ひとりでに動き出して紅茶の用意を始める食器達。陶器の急須は既に熱湯を湛えて茶葉を蒸していて、ティースプーンとシュガースプーン達はイザベラに向けて恭しくお辞儀する。

 「あら、可愛いですわね」

 興味を惹かれて声を高くするイザベラを、休憩用のソファに促すため、アントワーヌは片手を差し出した。

 「少し休憩に付き合ったら、帰るといい」

 「でも、私は」

 「イザベラ、貴方がいては、俺が集中できない」

 嘘ではない。ただほんの少し、良いように取れる言い方を、僅かだけ甘く聞かせただけだ。

 「あら……」

 ポワンと頬を染めて夢見心地の相手に、いくらか良心が痛むのも事実だけれど。それでも、だから飲んだら帰るといい、と、遠まわしに急かすために紅茶を差し出しながら。

 決闘は、どこまで進んだかと、微かな焦りを押し殺した。


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