表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.2
7/323

2-1

 「あの……」

 前を歩く背中に、控えめに声を掛ける。

 「何だ?」

 振り向いたアントワーヌに、雪路は一瞬言葉に詰まる。

 「その……」

 煉瓦造りの建物が並ぶ街は、そこに住む人々と同様に国籍不詳だった。旅行会社のパンフレットで見たようなヨーロッパ風の煉瓦の家があるかと思えば、同じ煉瓦でも、日本史の教科書で文明開化の風景として掲載されていたような東洋的な建物もあり。遠くの通りには、中華街にでも下がっていそうな真っ赤な提灯と犇めく看板が見える。

 所々に路面電車の物らしい線路が走る、不思議でどこか郷愁を誘う街。燦々と照らす星明かりの下、まるで手の込んだテーマパークの中にいるような気分にもなる。

 本当に、ただの観光だったならばはしゃいでいたかもしれないのに、と雪路は内心で呟いた。

 「……私、これから、どうなるんですか?」

 人通りのない道。ポツン、ポツン、と、瓦斯燈が灯る道で雪路は立ち止まった。

 「あの、魔女……様は私を帰してくれる気は無いみたいでしたけど……。帰る方法って、他には……?」

 「……この世界に連れて来られた者の多くは、はじめ、帰りたいと言う」

 アントワーヌは静かに振り向いた。

 「だが、脱走だけは試みない事だ」

 「どうして?」

 「手を」

 黒い手袋をした手が差し出される。戸惑いながらそれを掴むと、ふわりと霧が立って雪路の視界を塞いだ。

 「うわ」

 驚いた瞬間には、近くにあった建物の屋根の上。

 「鉱山が見えるか?」

 「え、あ、その!?」

 霧が消えた視界の先、想像以上に高い屋根の上、怖じけて周りを見回すどころではない。

 「……落とさないから安心しろ」

 横のアントワーヌの手が伸びてきて、そっと、雪路の肩に回った。

 「あ」

 「それに、お前はおそらく浮遊魔法が使える」

 「え?」

 慌てて見上げて、思ったより近い距離にピクリと固まる。

 (この人、本当に、お人形さんみたいに綺麗……)

 きちんと男らしいのに、どう見ても美しい顔立ち。思わずまじまじと見上げていると、その黄金の目は、不思議そうに雪路を見返す。

 「俺の顔に何か?」

 「あ、いえ!」

 慌ててブンブンと首を振る。

 「お人形さんみたいだなぁ、と……」

 「人形?」

 パチパチと、烟るような睫毛が上下した。

 「あ……あの、褒めてるつもりです。けど、ごめんなさい、嫌だったら」

 小さくなって呟くと、フッと、少しだけアントワーヌは口角を上げた。

 「……時々言われる、構わない」

 「あ、やっぱり、皆、同じこと思うんだ……」

 ホッとして呟く雪路に、それでとアントワーヌは再び視線を遠くに投げる。

 「あの黒い影が、全て鉱山だ」

 「え?」

 雪路は視線を向けて目を丸くした。街を囲むように四方に、どこまでも山の連なりが黒い影として続いていた。

 「凄い遠くまで続いてますね……」

 「遠くまでどころか、無限に続いている」

 その言葉に、思わずアントワーヌを再び振り向く。

 「無限?」

 「果てしなく、永遠に時の続く、富の世界」

 アントワーヌは静かにそう言って肩を竦める。

 「この世界は、〝そういう世界〟だ。物理的な移動や時間的な経過でどうにかなるような〝果て〟というものが無い」

 それに、と、黄金の目はどこか遠くをジッと睨んだ。

 「街から一定以上離れると、マダム……魔女様の仕掛けた魔法の網がある。脱走者は、大体それで捕まる」

 「そういえば、鉱山の人達が網がどうこうって言ってたっけ……」

 そういう事だったのかと、雪路は納得。

 「……脱走したものには厳罰を与えねばならない」

 アントワーヌは静かに視線だけを雪路に向けた。

 「それは、俺の仕事だ」

 「え」

 「……あまり好きな仕事ではない」

 淡々と、威圧的にすら聞こえる声音だったけれど、雪路はハッとしてその横顔を見詰めた。

 (……この人もしかして、顔に出ないけど、優しい人なんじゃない……?)

 見た目の雰囲気や声音から、気難しそうだとか繊細そうだとか思ってしまったけれど。そういえば物腰はとても穏やかで、紳士的だった。

 「……しばらく暮らしてみろ」

 アントワーヌはそう言って、視線を屋根の下に移した。

 「花嫁候補ならば生活は保証される。焦るな。ゆっくり落ち着いて考える時間を持て」

 「……はい」

 実際、今の雪路に取れる道はそれしかない。頷くと、よし、と、アントワーヌは肩に添えていない方の手を差し出した。

 「ついでだ。浮遊魔法を教えよう」

 「え?」

 そういえば先ほども使えると言われた。驚いて見上げると、サラリ、と、銀の髪を揺らしてアントワーヌは雪路を見下ろす。

 「試練を乗り越えれば、その試練に見合う魔法の力が与えられる。お前の場合は、〝狩人の試練〟……竜の討伐を成した功績によって、浮遊の魔法と竜の力が与えられたはずだ」

 「空が飛べるって事?」

 「ああ」

 「うわー」

 実感が湧かずに思わず気の抜けた声が出る。

 「すっごい、いかにも魔法」

 「……なるほど、実に端的で素直な感想だな」

 「ご、語彙が乏しくてスミマセン」

 ちょっと赤くなって、誤魔化すように差し出されていた手を取る。

 「えっと、それで、その」

 「落ちたくなければ、……そうだな、〝ガンバレ〟と言うのか、日本語では」

 「え、まって、待って、えええ!?」

 手と肩を取られたまま屋根の外に向けて誘導され、思わず悲鳴を上げる。

 「待って待って!コツとか教えてよう!!」

 「気合い、と、浮遊が得意な弟は言っていた」

 「なにそれ!アバウト!」

 悲鳴を上げながら、浮け、浮けと、念じた瞬間、足が屋根の外に出た。

 「そこに足場があると思え」

 「足場」

 咄嗟に思い浮かべたのは、集積所から落ちた時に助けてくれたアントワーヌが作っていた銀の足場。

 さくりと、その瞬間、何もないはずの宙を雪路の足は踏み締めた。

 「……浮いた……」

 呆然と呟く。

 「俺は何もしていない。なかなか上手いな」

 横でアントワーヌが言う。

 「そ、そうなんです?」

 何もないはずの場所に立っている感覚は恐ろしくて、思わずぎゅっと黒い手袋の手に縋り付いたまま首を傾げる。

 「しょ、正直、膝がガクガクなんですけれど……」

 「少なくとも今は、何かあっても俺が助けてやるから安心しろ」

 軽く手を握り返されて、ほんの少し安堵。

 「一人の時は低い位置から練習するといい。浮遊の魔法は、必ず後で役に立つ」

 「は、はい」

 そのまま歩き出したアントワーヌに釣られて、おずおずと空中を進み出す。

 階段を降りるような感覚で、そのまま地面に戻って行った。

 「……地面最高……」

 思わずホッとして大きく息を吐き出す雪路を横目に、アントワーヌは静かに肩の手を外す。

 「もういいか?」

 「あ、はい」

 慌てて雪路は握っていた手を放す。すると、アントワーヌの手は、そのまま胸ポケットの煙草を取り出そうとして、ふと、考え直したように動きを止めた。

 「あ、私、煙草は大丈夫ですけど……」

 遠慮してくれたのかと声を掛けると、いや、と首を左右に振る。

 「今は、別段、吸いたい気分でもないと思っただけだ」

 「うん?」

 喫煙者にはそんな気分の時もあるのか、と目を丸くして頷く雪路に手招きし、アントワーヌは再び地上の道を歩き出した。

 「〝狩人〟の討伐者には、浮遊魔法の他に身体能力向上の恩恵がある」

 「身体能力向上?」

 その隣に追い付いて聞き返すと、ああ、と、横目に雪路を見た。

 「竜を倒した勇者は、相応の力を得る。……そうだな、大雑把に言えば、かなり運動神経が良くなる、といったところか」

 「凄く分かりやすいです、ありがとうございます」

 眉間に皺を寄せて顔中に疑問符を浮かべていた自覚のある雪路は、ありがたく頷いた。

 「アントワーヌさんが親切で良かった」

 はは、と笑って呟くと、金の目は微かに見開く。

 それから、ほんの少し困ったように横に動いて、最後に、遠慮がちに細くなった。

 「……光栄な評価だ、マドモアゼル」

 「ゆ、雪路でいいです」

 人形のような美貌に微笑まれるのはかなりの威力がある。思わずタジタジとすると、そうか、と、その視線は穏やかなまま前方に戻った。

 (……心臓に悪い)

 止まりかけるほど跳ねた胸を抑えて深呼吸する。夜の冷えた空気が心地良いと、心底思った。

 そのまま、どちらも何も言わなくて、気まずさのない沈黙が続いた。コツコツと、煉瓦敷と土とが入り交じる道を進む足音だけが二つ、並んで続く。

 そうして暫く、白い門のある西洋風の建物が見えて来たところで、アントワーヌは足を止めた。

 「あそこだ」

 「あの建物?」

 同じように足を止める雪路。

 「あそこに俺が顔を出すと、色々な面倒があってな」

 アントワーヌは少し憂鬱そうに視線を眇めた。

 「玄関に、メルヴィンが当面のお前付きの工女……下働きを用意しているはずだ。悪いが、俺の案内はここまでだ」

 「あ、はい」

 花嫁候補の屋敷、と言うからには女子寮のようなものだろう。アントワーヌがあまり立ち入りたくないのは、きっと男性立ち入り禁止の規則でもあって、そこら辺で面倒なのだろうと何となく雪路は思った。

 「大丈夫です。この距離なら、一人でも迷子になりません!」

 「それは頼もしいことだ」

 アントワーヌは安心したように頷いた。

 「ありがとうございました」

 雪路が軽く頭を下げると、一瞬の間を置いて黒い手袋の手が帽子を取る。

 「Au revoir,Mademoiselle」

 流れるような優雅な礼と、歌うように甘いテノール。

 時が止まったように目を丸くして立ち尽くした雪路に、フッと、帽子を被り直した顔が笑う。

 「おやすみ。良い夢を、雪路」

 そうしてふわりと霧が立って、その現実味がないほど美しい男の姿を取り巻いた。

 「お、おやすみなさい!」

 雪路が慌てて叫んだ直後、霧が晴れたそこから、彼の姿は消えていた。

 「……や、やることが、ずるい」

 なんて心臓に悪い気障な事をするのだと、雪路は胸を抑えて、息を吐いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ