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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.7
68/323

7-9

 ふわり、と、甘く妖しい香りが、した。

 「……ひろい」

 扉の奥は、薄暗くて、広い部屋だった。葡萄色の分厚い絨毯が敷かれた床に、上部や四隅が闇に沈んでいる薄紫色の壁。そのどちらにも、ユラユラと木の枝や波、時にドキリとするような人や動物らしきものの影が揺れていて。

 見渡せば、それは部屋に点在するランプの細工によるものだった。火を囲む金属板は緻密な切り絵になっており、それが、木々、波、人や動物の形の影を作り出していたのだ。そして、どこからか微かに吹く風が火を揺らすと、影達はユラユラ、ユラユラ、生々しく蠢く。

 また、妖しく甘い香りは、ランプとは別に置かれた光源、弱く光を放つ蝋燭から漂って来ているようだった。チリチリと、ジワジワと。融けて逝く蝋燭は全て壁や床と同じ色をしていた。甘い甘い、熟した果物のような、開けたばかりの酒のような、クラクラとする妖しい香りは、蝋が融ける事で発せられるらしい。

また、その部屋には家具があった。一人がけのソファ、柔らかなクッションの置かれた長椅子、あるいは、音もなく動く揺り椅子に、天蓋付きのベッドや、大きな食卓も。何の脈絡もなく、統一もなく、それらは広い部屋中に散らばっていた。

 そして、それらの家具と家具の間を横切る、半透明の、垂れ布。うっすらと向こう側がぼんやり透けるような薄い薄いツヤツヤとした布は、淡い白や、薄紅色、淡紫色で。時に床から天井まで、時に天井から数十センチほどの中途半端な高さまで、やはり脈絡も秩序もなく、中途半端に視線を遮る。

 漂う香りと、揺れる影、無秩序に散らばる家具や、うっすら視界を遮る布。

 耳を澄ませば、どこからから、水滴の滴る音がした。

 「……ここが」

 雪路は戸惑いながら、数歩、室内に入った。背後でひとりでに扉が閉まり、閉じ込められたような気がして肩を揺らす。

 実際、その扉は、もはや雪路が正解の林檎を見付け出すまで、あるいは棄権を宣言するまで、開かない魔法が掛けられたはずだった。

 ぽとり。ぽとり。

 水の音と、甘い香りに、背中がゾワッとする。うっすらと視界を隠すような、それでいて向こうの影を透かして見せる布が、ひどく艶めかしくて、生々しい気がしてしまう。

 退廃的で、秘密めいた、そんな部屋。

 ドキドキと緊張で早足になる心臓を抑えて、雪路はゆっくり、部屋の奥へと踏み出した。

ひんやりと冷たく、すべらかな薄布を押し開いて進んで行くと、見知った顔ぶれが、思い思いの場所にいる。

 「……メルヴィンさん」

 先ほど別れたばかりのメルヴィンは、長椅子の端に座って、何か思索に耽るように目を閉じていた。その横に、ポツリと、不自然に、赤く熟れたリンゴが一つ乗った皿が置かれている。

 視線を移せば、斜め奥の木製の椅子には誠が座っていた。軍帽は椅子の背に掛かっていて、椅子の足から肘掛に掛けて、軍刀が立て掛けられている。いつもより髪が乱れていて、不機嫌そうな表情で椅子の背に寄りかかり、軍靴の靴紐は解けたまま。上着も前を開けたままで、いつもの隙のない姿からは遠い。疲れ切って不機嫌に身を投げ出しているようにも見えた。

 彼の林檎は、すぐ横の、小さなスツールの上にある。

 (……ほ、本物なのかな?)

 メルヴィンも誠も、雪路の方をチラとも見る気配はない。話し掛けても言葉は返さない、と聞いていたので、無言のまま、雪路は二人に近付いた。

 (誠さんが、こんなに服を着崩して怠そうにしてるとは思えないけど……)

 それも様になってしまうくらいには、色男だったのだと、妙に新鮮に再確認。雪路としては今更になって誠にドキリとしたりはしないけれど、誠を慕っている花嫁候補や工女達ならば、こんな珍しく色気のある姿には悲鳴を上げて喜んだかもしれない。

 (もしかしたら、あえて、いつもと違う風にして偽物感を出す気だったり……?)

 用心深く観察して見るが、どう見ても本物のよう。

 (やっぱり、素直に銀に頼ってみないとダメか……)

 諦めて、雪路は指輪をそっと林檎に押し当てた。

 「あ」

 途端に、指輪は黒ずんだ。パッと林檎から離して、服の袖で拭くと元の色を取り戻したけれど、明らかに、林檎に触れていた間、変色したのだ。

 「つまり、これ、偽物なんだ……」

 こんなに精巧なのに、と感心し、雪路は誠の姿をした幻をマジマジと見詰めた。肌の質感も、目付きも、とても偽りには見えない。あまつさえ、ふとした瞬間に瞬きしたり、呼吸で微かに肩が揺れる様まで再現していて。

 (……これは、銀がないとわからないよ、絶対)

 雪路は思わず唸ってから、ようやくと誠の幻から視線を逸らした。

 再び視線を向けた先のメルヴィン。そちらもやはり、ジッと見詰めても見詰めても、幻らしいところなど見付からない。

 しかし、近寄って林檎に指輪を当ててみると。

 「こっちも、偽物だ……!」

 黒ずんだ指輪を袖で拭い、やはり精巧に出来ていると感心しながら、雪路は辺りを見回した。

 (本物は、一人だけ……)

 右奥の薄布の向こうに、別の子息達の影を見て、そちらに進む。

 本物を探す雪路の視界の中、今度は、ニコロとフロール、エリックが現れる。

 (……一名、熟睡されているのですが……)

 フロールは、天蓋付の寝台の上で横になっていた。上品なクラバットは雑に緩められて、シーツも掛けずに、すうすぅと眠っている。片足は靴を履いたまま、もう片足は靴を脱いだというより、寝返った拍子に脱げたようで。キングサイズのベッドの上、放り出された上着と、片方だけ脱げた靴が浮いている。

 近寄って覗き込むと、寝乱れたプラチナの髪が額に掛かり、その寝顔に影を落としていた。すぅすぅと、穏やかな寝息を立てる口元と裏腹、少しだけ、寝顔は悲しげに見える。

 (眠姫ならぬ、眠り王子様、かな?)

 お姫様にキスをした王子様は、魔女に気に入られ、茨の城で百年、夢に囚われてしまったのです、と。そんな物語を想像して、雪路は苦笑いする。

 彼の顔の真横に、林檎は皿から零れて転がっていた。

 もし本物だったなら起こしてしまっては悪いと、用心深く、こっそりと手を伸ばして林檎を掴み寄せ、雪路は指輪を当てて真偽を計る。

 「偽物」

 黒ずんだ指輪を見て、パチリと目を瞬く。

 (偽物にしても凄い姿させるなぁ)

 寝乱れた服の皺、片方だけ脱げた靴。わざわざ偽物に取らせるにしては驚くようなシチュエーションを持ってくるものだと、そう思う。

 (だからこそ、余計に本物か偽物か分からないんだろうけれど……)

 とことん挑戦者を混乱させるように出来ている試練らしいと、少し顔を顰めた。

 「……次だ」

 気合を入れて目を移すと、黒い天板の食卓があった。そして、その食卓の端に、エリックが座っている。

 足を組んで座り、後ろ手を付いて体重を支え、天井付近の闇を見上げる横顔を見て、一瞬、雪路はドキリと動きを止めた。

 その顔には、いつもの軽い笑顔が、ない。完全な無表情で、ぼんやり、虚空を見詰めている。

 トレードマークの白いスーツは脱がれて机の上に投げ出され、その横に、林檎の乗った皿があった。ブルーのドレスシャツも腕まくりされていて、存外に男らしい筋のある腕が晒されている。

 無表情のエリックは、近寄り難い。虚空を見詰める碧眼からは、強い拒絶すら感じられる。

 数秒、躊躇してから、雪路は恐る恐る彼に近寄り、林檎を皿ごと引き寄せた。その時のゴトリという音にも一切反応せず、エリックは静かにそこにいる。

 (偽物だ)

 指輪が黒ずみ、雪路はホッと息を吐く。

 (やっぱりエリックさんは軽そうに笑っててくれないと落ち着かない)

 無表情で拒絶を全面に押し出している姿が偽物であったこと、フッと安堵して胸を抑えた。

 けれど、改めて見詰めた偽物のエリックは、やはり単なる偽物とは思えないくらいに精巧で、生々しくて。

 「……次」

 何となく落ち着かなくなった雪路は、その碧眼から、せかせかと目を逸らし、少し離れた位置にいるニコロに近寄った。

 魔女の末っ子は、長椅子に仰向けに横になっている。クッションを枕した頭は安定しているが、長い両足は先が長椅子から飛び出て宙に浮いていた。

 腹の上に林檎の乗った皿があり、目は閉じているが、皿を揺らす呼吸のリズムからすると、寝てはいないらしい。

 エメラルドの明るい瞳が、見えない。いつもはやや幼く見えるような、少年らしさと男らしさの合間にいるような顔は、その明るい瞳が見えないだけで、随分と男に傾いている。静かに目を閉じて何も言わないニコロの顔は、イメージしていたものより、ずっと男らしかった。

 少し引かれた顎の下部、確かに見て取れる喉の突起。微かに皺の寄った眉間。長椅子から出た足の先、その靴のサイズは、きっと、雪路よりよほど大きい。

 (……ニコロさんも、そういえば年上のお兄さんなんだっけ)

 魔女の子息達の中では末弟で、事実、言動や外見も一番無邪気で年少に思えるのだけれど。それでも、こうして見ると外見も含めて雪路より歳上なのだと改めて分かる。

 (かわいいって表現する花嫁候補とか、工女とか多いけど……)

 本来、こうして黙っていれば、かっこいい、が相応しい人なのだと一つ新発見。

 感心しながらソッと林檎に当てた指輪は、じわり、と、黒ずんだ。

 (かっこいいけど、でも偽物かぁ)

 一歩後退して離れ、雪路は辺りを見回した。

 斜め奥に、どうやら最後の二人がいる。

 肌に吸い付くような薄布を押し上げて、そちらへ向かった。

 一際、蝋燭の香が強く喉や鼻に絡み付く。

 ぽつり、と、水滴が、どこかで跳ねる。

 「……アントワーヌさん」

 思わず、小さく声が漏れた。

 奥の壁際、更に薄い垂れ布で区切られるような場所に、アントワーヌはいた。一人がけのソファに座って足を組み、椅子の背に深く寄り掛かったまま、肘掛に頬杖を付いている。帽子はなく、外套もジャケットも着ていない。いつか屋敷に上げてくれた時のような軽装で、シャツのボタンやタイは緩められ、手袋も、していなかった。

 物憂げに目を眇めた姿は、この薄暗くて妖しい雰囲気の部屋と妙に合っていて、知らずドキドキと雪路は胸を抑える。

 そろそろと近付く。ソファの横の小机に、林檎の乗った皿はあった。

 (……本物だったら、凄く嬉しいなぁ……)

 ドキドキしながら、そっと銀を林檎に押し当てる。

 「あ」

 変色は、起きなかった。

 (本物!?)

 思わず、こちらをチラとも見ない横顔を凝視する。

 たとえ話してはくれなくても、そこにいてくれるという嬉しさと、それでも、こんなに近くにいるなら、ちょっとだけでも、せめて視線を向けて欲しいという気持ちと。

 複雑な心境でジッと見詰めて、そして、ふと、指輪に視線を戻した。

 (……でも、本当に、本物かな?)

 何のことはない、単なる臆病風ともいえる小さな疑念だった。失敗すればやり直しは効かないという状況で、当然に浮かんだ万が一への備えとも言える。

 (……最後のひとつも、確かめてみよう)

 雪路は、反対側を振り向いた。

 そこにいるのは最後のひとり、ヘイダルだ。鮮やかな絨毯の上、緻密なアラベスク模様のクッションに囲まれ、壁に寄り掛かって座り、すぐ横に林檎を置いていた。

 片膝を立てて座ったヘイダルも、やはり雪路の方を見る気配はない。

 雪路は絨毯に膝を付き、林檎を皿ごと引き寄せて、指輪を当てた。

 すると。

 「……これも、変色しない?」

 こちらも、反応上は、本物だった。

 「どうして……?」

 本物は一人だけのはず。なぜ、銀が反応しない林檎が二つあるのだと、雪路は動揺した。

 (……そうだ)

 やがて脳裏に、元花嫁候補だった工女の忠告が蘇る。

 (毒の魔法が林檎の奥に溜まっていると、銀が反応しない事がある、って……!)

 不運にも、そのイレギュラーに遭遇してしまったのか。

 (……林檎を切ったり割ったりするのはダメって、確か、メルヴィンさん、言ってたよね)

 奥に溜まっているなら、切って中身を指輪に当てるかと落ち着き掛けた思考は、そこで立ち止まる他なくなった。

 「どうしよう……?」

 雪路はヘイダルを見て、それから、アントワーヌを振り向く。

 「どっちかは、偽物……」

 どちらも、雪路の様子に構う事なく淡々とそこにいるだけ。

 頼みの綱だった、銀が、効かない。

 緊張で、鳩尾の辺りが重くなってきた。甘い香りが急に神経を逆撫でて、目眩がしてきた気がする。

 (……落ち着け)

 焦って真っ白になっていく頭で、慌てて何度も自分への警告を繰り返す。

 (焦るな、制限時間はないんだから、大丈夫)

 ゆっくりと、雪路はヘイダルを、そして、アントワーヌを交互に見詰める。

 (瞬きは……どっちも時々してる)

 ひとつ、ひとつ、幻に綻びがないか、思い当たるものを当たっていこうと、ひとまず思いつく。

 (呼吸……どちらもよく見ると少し肩が動いてる。それなら、ずっと同じ姿勢で疲れたりは?)

 暫く見詰めていれば、どちらも足を組み換えたり、微かに体勢を変えたり、およそ生きた人間が取りそうな身動ぎは、不定期に行うらしかった。

 (……他に、何か……何か)

 必死に考えて、必死に観察するけれど、決定的なものは見えて来ない。焦りばかりが募っていった。

 鼓動はゆっくりとしていて、早鐘を打つことはなかったが、そのくせ耳の奥では、ばくん、ばくん、と、ゆっくりとした鈍い音が、やけに大きさを増して聞こえ始める。

 ばくん、ばくん、という鈍い鼓動の音と、ぽつり、ぽつり、という水音。やがて混ざり合い、グワングワンと頭の中を回った。甘い香りで酸欠を錯覚しつつある頭は、更にますますと催眠術でも受けているようにボヤけて思考が鈍る。

 「だめだ……!」

 新鮮な空気を求めるように、雪路は声と一緒に息を吐き出し、改めて、その分を深く吸い込んだ。

 「落ち着け」

 ギュッと、両手を胸に当てて深呼吸。

 「焦っちゃだめだ」

 呟いて、今度は両手で自分の頬をパシパシと小さく叩く。いつの間にか血が上って火照ってていた顔に、手のひらの温度は少しひんやりして感じられる。

 その中でも、特に、銀の指輪はヒヤリと冷たかった。

 (……指輪)

 ギュッと、拳を握って、左手の中指にあるそれを見詰める。これには頼れなくなってしまった。けれど、これが手の中にあること、これの本来の持ち主に応援して貰えているという事を再確認して、少しだけ、呼吸が楽になるような気がする。

 「なんとか、乗り切らないと」

 小さく呟いた。

 「明日は、決闘だ」

 そうして、彼は、その決闘の時に会いに来てくれると言ったのだ。

 (……それなら、今日、ここで躓くわけにはいかないよね)

 深呼吸して、目を閉じる。

 鈍い鼓動の音も、心細い水音も頭から追い出して、雪路は思案した。

 (……よく見てみたけど、決定的な違いは見付けられない)

 ならば、次に雪路に出来る事は何か。目を閉じて考えて、不安や恐怖や焦りを締め出して考えて。

 そうして、ふと、決断は天啓のように雪路の頭に閃いた。

 「……うん」

 覚悟を決めて、目を開けた。

「……賭けみたいなものだけど……」

 確証はない。でも、確信はある。もはや直感とも言える理由だけれど、その瞬間、手元にあるものの中では、確かにそれが一番、信じられるものだったから。

 覚悟を決めた雪路は〝彼〟の方を向いた。

 「決めた」

 林檎を手に取り、雪路は最後の迷いを思い切って投げ捨てる。

 もはや直感とも、希望的観測とも分かっているけれど。

 それでも、雪路は、その自分の確信を信じることに決めたのだ。


 「……ヘイダルさんが本物!」


 カプリと、齧った林檎は甘くて、微かに酸味があった。

 そうしてその瞬間、ブワリと、辺りは暗闇に包まれて。


次回更新予定:1月11日19:00

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