7-1
胸騒ぎは翌日に、的中したと判明する。
午前中、魔法界との輸出入の件で会議があると出掛けたヘイダルは、午後一番、半ば走るようにして事務室に入って来た。
「雪路!」
「は、はい!?おかえりなさい!?」
鋭い声で叫ばれ、飛び上がったのは雪路当人だけではない。事務室内にいた書記官達も、ギョッと振り向く。
「どういう事だ!?メルヴィンから、お前が決闘すると聞いたぞ!」
足早に雪路の机の前に来たヘイダルは、眉間に皺を寄せ、いくらか焦ったような表情をしていた。
「……昨日の事が原因か?」
問われて、ああ、と雪路は苦笑いする。
「あー……逆恨みされちゃったみたいで……」
現場を目撃されてしまっている以上、告げ口も何もないだろう、と。雪路は素直に起きた事の一部始終を吐いた。
顔を顰めてそれを聞いていたヘイダルは、やがて片手で額を覆うと、重い溜息を吐く。
「……話にならん。いや、気持ちは分かるが……。お前、それであんな無茶な決闘を受けたのか?」
「無茶な?」
雪路は聞き返した。
「え、そんなに、相手って強いんですが?」
雪路が決闘を受けたのは、確かラビニアという相手だったはず。たとえばイザベラ相手ならともかく、他の花嫁候補との決闘ならば、勝ち目がゼロとまではいくまい、と思っていたのだけれど。
「強い弱い以前に、三対一だぞ!?」
「え?」
ヘイダルの言葉に、ギョッと目を見開く。
「三対一って、どういう事です!?」
「なに?」
雪路の言葉に、今度はヘイダルが瞠目した。
「……待て、雪路、お前は誰と決闘するつもりだった?」
「ラビニアと……」
「ラビニアだけか?」
「はい」
途端、ヘイダルは唸り声を上げ、額に当てていた手を放り出すように雑に下ろした。
「……決闘申請は、ラビニア、ジェシー、ガートルードの三名と、お前の名で提出され、メルヴィン……そして鏡の精霊から受理された」
低い声で、ヘイダルは言った。
「お前は三人と連続で戦わなければいけない」
「え」
雪路は目を見開いて、慌てて首を左右に振る。
「でも、そんな、私、ラビニアからしか決闘は受けてないはず!」
「一対一の決闘だと、ラビニアは明言したか?」
ヘイダルは腕組みして思案げに呟く。
「……完全に抜け穴を突かれたな。おそらく、複数人の決闘とも取れる言い方をして、お前に了承させたのではないか?」
「複数人……」
ふと、雪路の脳裏にラビニアの声が甦った
『〝私達〟は来週末土曜日十三時の決闘をする。……確かに、受けるのね?』
私達、と。雪路は、自分とラビニアの事だと思っていたけれど。
「もしかして、あれが、複数系だったから……?」
「……鏡の精霊は機械的な判断しか下さない」
思い当たって顔色を変えた雪路を見て、ヘイダルは苦々しく頷く。
「……なるほど。嵌められたようだな」
そして、ふむ、とようやく落ち着きを取り戻した様子で部屋の奥に視線を投げた。
「……俺達は基本的に花嫁候補同士の争いには関与しない。……下手に関与しても、俺達の見えないところで何が起きるか分からんしな」
だが、と、声に微かな怒りが混じる。
「今回の件は些か質が悪過ぎる。これはメルヴィンに言って、申請の受理取り消しを検討するべき」
「するべきではない、と思うよ、俺は」
不意の声に、部屋の奥を睨んで思案していたヘイダルは、パッと振り向いた。釣られて雪路も目を向ければ、部屋の入口に、エリックが立っている。
慌てて入って来たヘイダルが開けたままのドアに寄りかかり、やあ、といつも通りに軽く挨拶して。
「既に申請は受理された。ここまで、手続上不備も不正もない」
いつも通りのニコニコとした軽薄そうな顔に声。けれど奇妙なほどに、突き放す様な雰囲気。
「昼ご飯はニコロが作るって言ってるのに、珍しく、会議終了と同時に真っ先に帰るから何事かと思えば……」
肩を竦め、からかうようにケラケラ親しげに笑うのに。どうしてか、雪路は居心地が悪くてエリックの碧眼を真っ直ぐに見る事が出来ない。
「ヘイダル、いくら自分のところの補佐が可愛くても、変な贔屓と取られかねない事はしない方が良いと思うなぁ」
「待て、贔屓だと?エリック、今回の件は不正な」
「卑怯かもしれない。でも、不正ではない」
反論しかけたヘイダルに、エリックはキッパリ言い切った。
「鏡の精霊が認めた以上、もう、制度的には〝不正〟とは言えないんだよ、何があっても」
ここからはどんな事情があっても感情論と反論されてしまうのだと、エリックは軽い口調で言う。
「いっそ君が雪路ちゃんの〝婚約者〟になって決闘に反対するなら、まぁ、決闘を取り止めるかはともかく、花嫁候補達も鉱夫や工女達も、皆、反対する事に納得はするだろうけど」
でも、と碧眼はヘイダルを真っ直ぐに見た。
「そこまでする気はなくて、単に仲良しだから味方してあげる、って程度じゃね。余計に雪路ちゃんの立場が悪くなるだけじゃないの?」
「それは……いや、おれは、親しいからではなく、ただあまりに今回の件は倫理的にもいかんと……」
ヘイダルは怯んだように言葉を濁す。
「倫理的って言ってもねぇ。それを感情論、って言う奴は必ずいるよ。ヘイダル、たとえば君を〝お目当て〟にしている花嫁候補達。君が中途半端に雪路ちゃんを庇うのは、嫉妬に狂う可愛い子猫ちゃん達には、単なる贔屓にしか見えない」
確かにエリックの言う通りだと、雪路は思った。よしんば今回の件をヘイダルが中止まで持っていってくれたところで、それこそラビニア達が言ったように、雪路がヘイダルに媚びを売って守って貰った、と思われかねない。
それでも、ヘイダルが雪路を〝婚約者〟にするほど本気で特別に愛しているなら、贔屓ではなく恋人を守っただけ、と反論出来るかもしれないけれど。
現状、ヘイダルが雪路に抱いてるのは友愛だろう。気にかけてくれているとは思うが、恋愛のそれではないし、今回の件に憤っているのは、雪路の為という以外に、単に彼の性格上、卑怯な手段を許せない、という側面も大きそうである。
「それは……」
案の定、ヘイダルは反論する言葉に詰まって視線をエリックからやや逸らした。
気まずい無言があって、息を殺して事態を見守っている書記官達が居心地悪そうに身じろぐ。
「……私、やります」
雪路は、覚悟を決めて口を挟んだ。
エリックの存外に客観的で冷静な言葉を聞いていて、もうそれしかないのだと、否が応でも理解してしまったから。
「……一人でも三人でも、大して変わりませんよ」
「雪路」
虚勢をありったけ掻き集めてヘイダルに笑い掛けると、橙色の目は見開いて。
「へぇ……」
エリックは口笛を一度長く吹いた。
「……強気だねぇ、さっすが、誠のお気に入りだ。俺も惚れ直したよ、ミス・ヤマトナデシコ!」
甘い仕草でウィンクを飛ばす姿に、少しだけ、雪路は戸惑う。
(……エリックさんて……よく、分からないな)
親しげなのにどこかよそよそしいというか、軽薄なくせに奇妙に視線に棘があるというか。何をされたわけでもないのだけれど、苦手かもしれない、と少し思った。
しかし、そんな戸惑った顔の雪路に構わず。
「さて、じゃ、本人が覚悟決めてるなら、もうこの話は置いておいて、と」
エリックは寄りかかっていたドアから離れると、あっという間に何事も無かったような顔で伸びをした。
「ヘイダル、お昼どうするの?ニコロがヘイダルの分も作るって言うから、俺がこうして連れ戻しに来ることになっちゃったんだけど?」
戻ってニコロの屋敷で食べるだろ?と問われ、ヘイダルは、うむ、と曖昧に唸った。
雪路当人は覚悟を決めたものの、どうやら昨日の現場を目撃している上、性格上モヤモヤしているらしいヘイダルとしては、まだ決闘の話題が気になるらしい。
「あの……せっかくなんで、行って来てはどうでしょう?」
雪路は笑って促した。
「ほら、もう私は仕方ないんで覚悟決めましたし。それに、今ここで話し込んでも、決闘関係のこと、何か変わるわけじゃないですし」
何よりヘイダルが行かないと、料理をしているというニコロが落ち込みそうだから、と言うと、ヘイダルは、あー、と呻いた。
「……確かに、行かんと煩そうだな」
「そうだよ。今、アントワーヌが拗ねて料理してくれない状態だからさ。ニコロの機嫌損ねると兄弟内メシウマがいなくなるんだから。来て、ニコロのパスタをベタ褒めしてくれないと困る」
エリックの発言に、え、と、雪路は少し目を瞬く。
(アントワーヌさんが、拗ねてる?)
その言葉だけが妙によく聞こえてしまって、思わず両手で頬を挟んだ。
(拗ねてる……すねてる……)
見たことがないから想像も出来ないのだけれど、しかし、響きだけでかわいいと思えてしまって。きゅううう、と、心臓の辺りが圧縮された。あの人が拗ねている姿なんて、そんなの可愛いに決まってる、と、思わず心の中で悲鳴を上げる。
決闘のアレコレに関する深刻な思考は、その瞬間、銀河の彼方の遠い昔に吹っ飛んだ。
その間に。
「お前はともかく、誠までアントワーヌに何やらかしたんだ?」
ヘイダルもようやく吹っ切れたらしい。呆れた声で言って、では、とエリックの方に近付いて行った。
「昼食後にまた戻る」
雪路や書記官達に一言掛け、再び、そうして部屋を出る後姿。
「……雪路さん」
「……あ、ああ!はい?」
「大変な事になりましたね。三人と決闘なんて……」
「あー……」
パタンとドアが締まり、魔女の息子二人の消えた部屋で、心配そうに書記官達が振り向いた。
一瞬、ポオッと決闘から離れた所に思考の行っていた雪路は慌てて頷く。
「ちょっと……やっちゃった感は、確かにありますね」
正直なところ、完全に判断を誤って窮地に立ったと落ち込んでいる。ヘイダルには強気に言ったものの、勝ち筋が見えているかと言えばそうではないのだ。
ただ、避けられないから立ち向かうしかない、という諦めにも似た虚勢を張っているだけ。
「我々は応援していますよ」
「ありがとうございます」
書記官達の励ましに、少しだけ救われて頷いた。
(やるしかないんだから、落ち込んでも仕方ない……)
今はひとまず今日の仕事をこなさねば、と。ヘイダルが飛び込んで来る直前に纏めていた書類を手に取り、再び仕事を始めようとして。
「しかし、あの様子だとヘイダル様の帰りはいつもより少し遅くなるかな」
「だろうなぁ。ほら、もうすぐ〝商人〟も来るし」
書記官達の会話に、ふと顔を再度上げた。
「〝商人〟?」
「ええ。魔法界から一ヶ月に一度、鉱石を買い付けに来る商人がいるんです」
雪路の声に、書記官達は答えて笑う。
「これが奇妙な男でね。何しろ、この世界から魔法界に輸出される鉱石のほぼ全てを独占しているのだから、とんでもない大商人のはずなんですが……」
「実際、いつもたくさんの召使いと護衛を連れて来る、魔法界王室の御用達商人らしいです。ところがどうにも飄々として掴み所がない」
次々と、書記官達は商人について奇妙だと発言。
「召使いや護衛達は、一人の老執事を除いて一切喋らない。しかも彼等は商人用に用意されている館から、滞在中、一歩も出て来ないんです」
「護衛の兵士すら出て来ない。だから商人本人だけが、一人でフラフラと街を出歩くんですが……」
「我々は商人と口をきくことは禁じられていますからね。だから街に出ても何も面白い事なんかないはずなのに……ニコニコ、ニコニコ、いつも得体の知れない笑顔で、いつの間にか街角に立っていたりする」
それは確かに随分と奇妙というか、不気味ですらあるな、と雪路は思った。
「変わった人なんですね」
「魔法界がどんな場所かは知りませんので、もしや、魔法界はアレが普通かも……なんてことはないか」
書記官達は苦笑いした。
「まぁ、ともかく。その商人が、今月もそろそろ来るはずなので。御子息様方が一堂に会するなら、結局、昼食からそのまま、午前の打ち合わせの延長になって、ヘイダル様の帰りは遅くなる、と、そう思われるわけですよ」
「いわゆるランチミーティング?」
なるほど、と納得する雪路に、ランチミーティング?と書記官達は首を傾げた。
「あ、いえ、私もニュースとかで聞きかじっただけの単語です」
使ってみたかったのだ、と、ちょっと照れ笑いした雪路は、今度こそ、書類に視線を戻した。
(……ヘイダルさん達も忙しいんだから……)
決闘の問題は、やはり自分で何とかせねばならないのだ、と、そう思う。




