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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.1
6/323

1-5

 数秒して、恐る恐る目を開けば、そこは先ほどまでの鉱山ではなかった。

 煌々と輝く月を湛えた大窓。そして、その大窓の下、壮麗なシルクの布地で飾られた玉座。大理石の床に、玉座の前のみ引かれた深紅の絨毯。

 「よく来た、私の息子達」

 玉座には、一人の女王が座っていた。深紅のドレスを身に纏い、同じ色の帽子からヴェールを下げて顔の右側を覆った、ゾッとするほど美しい、女王。

 「そして、ようこそ、私の継娘むすめ

 血の色の瞳が、雪路を見下ろしてゆっくり細まる。

 なぁお、と女王の膝で猫が鳴く。毛足の長い黄色の瞳の黒猫は、あの時に路地で見た猫だった。

 「貴方は」

 「私は魔女。この世界を統べる唯一無二の女王。紅蓮の魔女と、呼ばれているよ」

 雪路が問う前に、魔女はそう言って立ち上がった。猫は素早く膝から飛び降りると、トテトテと部屋の暗がりの方へ歩いて行く。

 「さて、お前の名前は?」

 カツン、カツン、と、豪奢な靴の踵を鳴らして、三段ほど高くなっている玉座の前から降りてくる魔女。深紅の髪が、どこからか吹く風に揺れる。

 「花都 雪路です……」

 気圧されて素直に返答した雪路に、ニィ、と魔女の口角は上がった。

 「おお、素直な良い娘だ」

 猫撫で声で呟くと、さて、と雪路の目の前で立ち止まる。

 「お前には期待しているよ。私の後継者、可愛い可愛い私の息子達の花嫁になれるよう、励んでおくれ」

 「え?」

 思わず聞き返すと、背後にいたメルヴィンが動く気配。

 「魔女様、宜しいですか?」

 「ああ、何だい、賢い私の息子?」

 魔女が視線を向け、雪路も釣られて振り向いた。

 「その娘は、逃げ出した〝狩人〟を私が鉱山に設置していた魔法陣を用いて討伐しました」

 「おや」

 メルヴィンの報告に魔女は声を上げ、再びニヤリと口角を釣り上げる。

 「……それは、それは……お前は本当に見どころがある娘だねぇ」

 魔女は雪路に視線を戻して呟いた。

 「魔女様……、しかし、魔法陣は私の物です。場所も試練の間の外であり、とても異例です。これを、試練の合格となさいますか?」

 メルヴィンの新たな報告。すると魔女は、視線をゆっくり動かした。

 「アントワーヌ、アントワーヌよ、私の最愛の息子」

 お前はどう思う、と呼び掛けられ、アントワーヌは静かに視線を魔女に向けた。

 「異例ではあるが、規則に照らせば合格と言える範囲かと」

 「なるほど」

 魔女は頷いて、フッと空中に手を翳した。

 「本来、試練の審査権はメルヴィンに与えているもの。しかし、そのメルヴィンは悩む、と。そして、この世界の〝法〟を任せたアントワーヌは是とするも異例とは認める、か。ふむ、良かろう、私が〝真実〟に問うてやろう」

 魔女の深紅の爪の先に、浮かび上がったのは一枚の大きな鏡。全身を写すその鏡に顔を向け、魔女は歌うように声を上げた。

 「鏡よ、真実の鏡よ、我が世界の〝真実〟の精霊よ」

 ぼんやりと鏡面に煙が渦巻いた。ハッと雪路が驚いて見詰める内に、その煙は一つの仮面の形を取る。

 『おお、偉大なる魔女、最強の支配者よ』

 仮面の口が動き、海の轟きのような声が鏡面の遥か向こう、遠くから響いた。

 『汝は私に何を望む?』

 「〝真実〟はこの娘の試練の合否をどう指し示す?」

 魔女が問うと、仮面はほんの刹那の間を置いて答えた。

 『合格、合格、合格。魔女よ、私は汝の定めたこの世界の理により、この娘の〝合格〟を〝真実〟と認める』

 「宜しい」

 魔女は満足げに頷くと、爪の先で鏡面を突いた。

 ぶわりと仮面は煙になって鏡面の四隅に拡散し、それが鏡の縁に届くと同時に、鏡自体も、煙となって消えた。

 「聞いての通り、この娘を〝狩人の試練〟合格とする」

 魔女の宣言にメルヴィンは深々と頷き、アントワーヌは静かに視線を伏せて承知を表した。

 「雪路、お前には〝狩人〟の力と翼が与えられる」

 「え?」

 訳が分からないまま全てが進んでいると、雪路はさすがに不安になって首を傾げた。

 「あの、何のことか、さっきから、少しも分からないのですが……?」

 「こら、無礼ですよ!」

 メルヴィンが鋭い声を上げて注意しようとしたのを、魔女は片手を上げて制した。

 「雪路よ、ここは果てしない鉱山に囲まれた地球であって地球でない場所、〝どこにもない世界〟だ」

 魔女はニヤリと笑い、うっとりとした声で囁く。

 「この世界の鉱山からは無限の富が永遠に湧き出る。魔法の力を秘めた金、銀、白金……ダイヤにエメラルド……!」

 囁く魔女の手に、大きな宝石をあしらった指輪が次々と現れては消えた。

 「この世界だけで、魔法界の連中が欲する鉱山資源の全てが賄える。そう、ここは永遠の富を約束された私の国」

 そして、と魔女は殊更優しい声で雪路に言い聞かせる。

 「私はね、この世界を支配する、私の後継者を求めているんだ」

 「後継者……?」

 「そう。美しく、強く……誰より強かな娘を」

 魔女の指が雪路の頬をツゥと撫でた。氷のように冷たいそれに、思わず背筋がゾクリと震える。

 「そこで、外の世界から、魔女の素質がある娘を連れて来ている」

 「じゃぁ、私は」

 「そう、お前は魔女の素質がある」

 魔女は頷いて、ふふ、と、雪路の頬から手を放した。

 「今、この世界にいる私の後継者候補はお前を含め二十人。その中で最も価値ある娘を私の後継者とする」

 「価値ある……?」

 雪路は無意識に緊張し、拳を握り締めていた。美しい魔女は優しい声で語り掛けて来ているのに、どこか不気味で、本能が恐ろしいと訴えかけてくる。

 「私が用意した四つの試練全てを、誰よりも早く乗り越える事」

 魔女は片手を雪路の前に差し出した。

 「〝狩人の試練〟」

 魔女の手の平に、小さな竜が浮かび上がる。

 「〝櫛の試練〟」

 竜は猫に変わり、爛々と光る目で雪路を見上げた。

 「〝腰紐の試練〟」

 猫の姿は消え、ただ黒い霧のような物が浮かぶ。

 「そして、〝毒林檎の試練〟」

 真っ赤な林檎が、ことり、と、魔女の手の平に落ちた。

 「順番は問わない。だが、それぞれの試練を合格するごとに、お前にはその試練に見合った魔法の力が与えられる。それを用いて次なる試練を乗り越え、私の後継者を目指すのだ」

 真っ赤な林檎を見詰め、雪路は一瞬、間を持った。それからハッと我に返って声を上げる。

 「でも、私は」

 慌てて、魔女の血色の目を見上げた。

 「私、困ります。あの、帰らなくちゃなりません。受験も近かったし、何も言わずにこんなに夜遅くなって……。お母さん、お父さん、きっと心配してる……!」

 「雪路や、雪路」

 魔女はクスクスと笑ってその訴えを遮った。

 「よぉく考えるんだよ、可愛い継娘」

 林檎が消え、魔女の手が雪路の両肩に乗る。

 「この世界にいる者は、歳を取ることが無い。永遠に、最も美しい時の姿のまま。この世界には〝死〟がないのさ」

 お前もだ、と、魔女は囁いた。

 「最も若く美しい今の姿のまま、私の後継者として、無限の富が湧き出るこの世界を永遠に支配出来るのだよ?」

 なんて素晴らしい事だろう、と、うっとりと。

 「それに、もうひとつ、勝者には褒美がある」

 魔女は雪路の体をクルリと振り向かせた。

 「私には七人の息子がいる。どれもそれぞれに美しく賢く、強い息子達だ」

 雪路と魔女の視線の先、メルヴィンが黙って一礼し、アントワーヌは表情を変えないまま沈黙を保つ。

 「好きな息子を、お前の夫としてくれてやる」

 パチリ、と、雪路は思わず目を瞬く。

 「私の後継者候補は、つまり、我が息子達の花嫁候補でもあるのさ」

 魔女のゆっくりとした甘い声が耳に吹き込まれた。

 「お前はどんな男を理想とする?東洋的な侍のような軍人が良いかい?それとも、金の髪に碧眼の、甘いマスクの伊達男を所望か?」

 「あの、私は……」

 アワアワと声を上げる雪路から、フッ、と魔女は手を放した。

 間近に漂っていた妖艶な香水の香りが遠のいて、それだけで、思わずホッと胸を撫で下ろす。

 「よぉく見定めて、好きな者を選ぶが良い。そして、それを手に入れる為に、励むのだよ」

 「あの、でも」

 それよりも帰りたいのだと、訴え掛けようとした声は、喉の奥で凍り付いた。

 魔女のニタリと笑った片目。ヴェールに隠れていない一つだけの宝玉。

 ギラギラと光るそれに、本能的に動けなくなる。

 逆らってはいけない、と、全身がそう言った。

 「さて、では私は戻るとしよう」

 魔女は黙り込んだ雪路を見て微笑むと、玉座に戻った。猫が再びトテトテと走り寄って、その膝に収まる。

 「後の事は、しばらくお前の世話をすることになる工女に聞くが良い」

 そして、二人の息子に視線を向けた。

 「この娘を花嫁候補の屋敷に案内しておやり」

 ハッと、雪路は改めて二人を振り向いた。

 (どうしよう、帰れないの?どうしよう……)

 不安に駆られて無意識に見詰めたのは、アントワーヌの方だった。メルヴィンよりも彼の方が、自分を助けてくれるような、そんな気がしたから。

 「アントワーヌ」

 魔女は、ふふ、と微笑んだ。

 「雪路、お前はアントワーヌがお気に入りかい?」

 「え?」

 驚いて振り向くと、魔女は猫を撫でながら頷いた。

 「宜しい。ならば、アントワーヌ、お前が案内しておやり」

 「喜んで、マダム」

 アントワーヌが頷くと同時に、猫が再び鳴き声を上げる。

 「では、雪路、期待しているよ」

 魔女の声と共に世界が七色に染まって、色の奔流から目を護ろうと、雪路は慌てて目を閉じた。


 待って下さい、と、呟いた声はきちんと発せられたか否か、自分でもわからない。

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