3-12
深夜。深い深い坑道の奥。
警官達は先ほどから明らかに萎縮していた。何名かは緊張のあまり心臓が走っているのか、呼吸すら上擦っている。
「止まれ。ここで待て」
一応は連れて来た、というより、職務なので付いて来た彼等に、アントワーヌは片手を上げてそう言った。
「し、しかし、その、今回はかなりの数と聞いています……」
「ならば尚更、お前達の手に負える範疇のものではない」
震える声ながら食い下がったのは、古参の警官で、それなりに肝が座っているらしい。
しかし。
「俺は〝ここで待て〟と、言った」
肝が座っているのは認めるが、おそらく、今回のものは、それで何とかなるものではない。ピシャリと言うと、空気が凍り付いたのが分かる。
「も、申し訳ありません……!」
危険を前にした緊張よりも、冷えた一言に怯えて固まった警官を背後に、それ以上は何も言わずに歩き出す。
コツン、コツンと、坑道に革靴の立てる足音だけが反響する。
カンテラすらも設置されない最奥。辺りは真の真っ暗闇。
それでも、歩くにもはや支障はないのが、この目だった。
最後に暗闇に怯えたのはいつだったか、ふと戯れに思い出そうとして、すぐに思考を打ち切った。かわりに煙草を取り出して火を付ける。
カチリと、小さな赤い光。
歩きながらなど品性は無いと思うものの、憚る相手もない暗闇だ。一本吸い終える距離を歩いて、完全に警官達の気配も消えた頃、ようやくと、足を止めた。
それを待っていたように、ズルリと、暗闇の中で何かが這いずる。
「一応、警告しよう」
アントワーヌは口を開いた。
「やめておけ」
その瞬間、死にかけた女の悲鳴のような声を上げ、真っ黒い何かが前方から飛び出す。
それを認識しながら、二本目の煙草に火を付ける背後、ガチャリと、闇の向こうから現れたのは無数の銃口。
飛び出した何かは、弾雨を浴びて形も残さず千切れ飛んだ。
それを見るともなく見ていた金の瞳は、そこで、ツイ、と右手に流される。
煙草を持たない手が、指揮するように、そちらを示して。
「やれ」
瞬間、その足元から異形の獣が飛び出した。影で出来たような、ともすればドロリと形の崩れる、かろうじて四足の獣と分かる何かは、黒い手袋の手が示した先、こちらへ向けて牙を向いていた三つ頭の蛇に喰らいつく。
途端に、鼠に食い殺される赤ん坊のような断末魔が辺り一帯に木霊して蛇はドロリと崩れ落ちる。しかし、狂気を誘うようなその断末魔に呼応するようにして、周囲の暗闇からは、真っ黒なローブを来た亡者が山と湧いて迷い出た。
伽藍洞の眼窩の向こうにひたすらの虚空を湛え、亡者の集団は、そのまま肉のこそげた手で獣を掴むと、ギチリと耳の引き攣る音を立ててその四肢を引き千切る。
ざり、ざり、と、足を引き摺り、亡者達は青年へと詰め寄ろうとしていた。とうに舌の腐り落ちて、唇の形さえ溶け、ポカリと穴が空いただけの顔の下部から、鼻をつく生暖かい死臭が漏れて辺りを満たす。
それでも、アントワーヌの金の瞳は退路を探すことさえしなかった。
死臭が頬を撫で、蛆の湧いた指先が、その頬の数センチ手前まで延ばされた時。
金の瞳がゆっくりと瞬くと同時に、重い金属音が響く。
刹那、坑道に犇めいた亡者達の上下、左右、ポカリと闇の開いている隙間という隙間から銃口が突き出した。そして更に一瞬の後、その銃の鋭角という鋭角から、今度は無数の異形の獣がドロリと滲み出て。
戦場のような銃声と、地獄のような獣の歓喜の声が周囲を埋め尽くした。
そこに只人あったならば、狂気に落ちかねない音の氾濫と、それに続く、痛いほどに重苦しい無音の数秒の後。
異形の獣に亡者が食い尽くされたそこは、ただの暗闇に戻っていた。
コツン、コツン、と煙草を咥えたまま、アントワーヌは数歩進む。
そこが、坑道の終点だった。
硬い岩盤で退路を無くし、そこに、男が一人、立っていた。
「待て!」
何か言うより早く、その男は炎の魔法を片手に灯し、もう片手で小さな本を掲げた。
ピタリ、と、アントワーヌは立ち止まる。
「魔法界王室、三番特使隊、ブロワ卿である!」
男は表情を固くしながらも、そう確かに名乗った。
「第一級特区〝紅蓮の魔女領〟の者は、何人たりとも盟約により魔法界王室の庇護下にある者への攻撃が禁じられる!」
掲げられた魔導書から放たれた薄い光は、男の周りを覆っていた。夥しい古代の文字で編まれた光は、その魔導書に記録された盟約によって、いかなる攻撃も弾く盾として機能する。
「〝白金伯〟アントワーヌ・ドゥ・シャティヨンとお見受けする。盟約により、不浄の猟犬を檻へ戻し、虚無の銃口を黄泉の淵に沈めよ!」
「残念だが、それは出来ない」
答えて、アントワーヌは二本目の煙草を消し去った。
「盟約を違えるか」
叫ぶ男に、いいや、と首を振る。
「先に盟約を違えたのはそちらだろう、ムシュー・ブロワ。魔法界王室はいかなる時にあっても、この地には不可侵、不干渉と誓ったはず」
一切揺れることの無い金の目。暗闇の中、甘ささえ含んで優雅に響く歌うような声。
「その約を違えた瞬間から、貴殿は既に盟約の庇護を失っておられる」
蒼白で睨む男とは対照的に、その顔には一切の表情の動きがない。烟るように瀟洒で豊かな睫毛の瞬きだけが、その人形のように完成された美貌に命が宿っていることを示していた。
「ムシュー、貴殿の罪状は、無断侵入による機密情報の収集。そして、それに伴う鉱夫並びに工女数名への殺意ある攻撃」
すぅ、と黒い手袋をした手は、男に向けられる。
「この場で償いを求める事も吝かではないが」
ガチャリと、再び重い音が鳴り響いた。
暗闇を埋め尽くすように虚空から飛び出した銃口、銃口、銃口。
そうしてぷつり、と、男の周りを取り巻いていた光が消える。
「……此度の件、魔法界王室と話をするなら、貴殿の口添えがあった方が良いと、マダムはお考えだ。さて、御案内させて頂きたく」
銃口を指揮するように片手を上げたまま、淡々と述べる声に、男は冷や汗の滲む顔を向け、チッと舌打ちを漏らした。
「……あの魔女の元に行くなど、死んだ方がマシだ」
その唸りを、漏らすや否や。
そうして、銃声よりも早く、赤い飛沫は飛び散った。




