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前景
遠い日の音を聞いた気がした。
嘆く声が聞こえた気がして振り返る。
けれど、沈黙のみ。
こぉ、と風が吹き抜けて行く先には、誰もいない。
岩山に囲まれた谷底、変わらず無数の十字架だけが音も無く佇んでいる。
嘆く声などあるはずもない。とうの昔に、その声は途切れた、途切らせたのだ。
沈黙の谷底に、墓守は数分佇んだ。
嘆く声は、やはり聞こえない。
やがて無言のまま、踵を返す。
見上げた真冬の曇天からは、じきに雨が降るだろう。
「せめて、雪ならば」
そうして、ぽつりと、ようやく墓守は呟く。
「……この景色も、違って見えるだろうか」
白雪を請うように、曇天に伸ばされた指先には、まだ、応えるものはいなかった。