2話 反省する間もなく後悔している
俺は能天気にお宝ゲットだぜ! なんて考えていた。
この幸運を神に感謝しつつ、いやその神様が目の前に居る訳なんだが、脳内に永久保存しようと顔を上げようとして――動けなかった。
動け! 動け、俺の頭! 今動かなきゃ、何にも残らないんだ!
しかし頭だけでなく、体の方も自由が利かなくなっていることに俺は気づいてしまった。
ついには、何か恐ろしいものが体を走り抜けるような感覚に、震えが止まらなくなる。
その上何百トンもある瓦礫に押しつぶされるような重圧を、俺はなぜか彼女から感じとってしまっていた。
「いい、いったい……な、な、なにが、どうなって、てて」
「あ~あ、やっぱり毒じゃったか」
目に毒などという、比喩ではない実際の害に、彼女が何か手を下しているのかとも思えたが、原因はもっと別のところにあるようだった。
「素質を底上げしすぎたかの。本来なら失敗するはずなのじゃが」
「しし、し、失、敗いいい?」
辛うじてまだ動く口で、俺は疑問を唱えた。
少し呆れた様子で、彼女は説明を再開する。
「まぁ良いそのまま大人しく聞いておれ。さっきいった通り、離れすぎていてもダメじゃが、力の差もありすぎると、ジョブチェンジは失敗か、数秒しか持たんのじゃ」
力の差があると失敗する。このことは理解できたが、俺はこの先の言葉に耳を疑ってしまった。
「今回は、人間なら見逃してしまうほどの僅かの間で済んだが、擬態能力が一瞬解けてしまったようじゃな」
なんだこの瞼を閉じるたびに浮かび上がる影は……。
サブリミナルのように刷り込まれた影は、目の前いる少女と同じ形をしていた。
ただし少女を取り囲む浮遊物は、シャボン玉と似て非なるおぞましき物体となり、少女の形をした影も、人ならざる者へと変貌を遂げていた。
その名状しがたき姿は、言い表すなら混沌の源泉、人の五感で感じ取れるようなものではない。
人の理解を超えた存在、醜く膨張と収縮を繰り返すそれの中心に、静かに鎮座する、彼女の真の姿だった。
理解してはいけない物を、俺は理解してしまった。
恐怖にどもりながら言葉を絞り出す。
「俺を……殺すの……か……」
図らずとも、彼女の秘密を知ってしまった俺は、死を覚悟した。
けれど彼女の答えは案外慈悲深く、同時に絶望の色を孕んでいた。
「殺す? ないない、何を言っているんじゃお主は。虫が悪戯をしてきて、本気で怒る奴などおるまいて。何度もやられたら鬱陶しくは感じるが、そうそう怒らんじゃろ。たった1回なぞノーカンじゃノーカン…………」
「よ か っ た な」
せせら笑いをする彼女に、俺の恐怖は臨界点を突破してしまった。
しかし不意に体が自由になり、スックと立ち上がることが出来た俺は、どこか遠い目をする。
「ほほう!」
立ち上がった俺に対して、彼女は一際興奮している様子。
俺は未知の恐怖を乗り越えたことを確信する。
しかし大人としての尊厳は、守れなかったよ……。
『しめやかに失禁!』
股間から、生暖かい液体が広がりつつある。
だが俺は慌てない。
非現実的な恐怖に怯える自分に、自らの失態を突きつける事によって、崩壊しかけた精神の自己防衛に成功したのだ。
つまり 俺は 正気に 戻った!
「ブワッハッハッハ!!」
「笑うんじゃねー! 誰のせいでこうなったと思ってんだ!」
「いや~すまんすまん、決してバカにしてる訳ではないぞ。まさかそんな方法でなぁ、いや〜愉快愉快」
確実にバカにされている、俺はそう思ったのだか、彼女は俺のことを、真面目に見直してる様子だった。
それは急に彼女の声のトーンが、下がったことから分かってしまった。
「我の恐怖から……逃れられる人間が居るとは思わなんだ」
ヒェ……。
俺はまた死を覚悟する。
「逃れたら……やっぱ俺死ぬの……」
元の声のトーンに戻る彼女。
「いや普通は儂の真の姿を見たら、その恐怖で自らの目を抉るか、精神が摩耗して廃人になるかじゃ。じゃから正直驚いておる」
ちょっと!? そんな危ない物見せられてたの俺、失禁が生ぬるく感じる。
何もない空間から彼女は、新しいズボンを生成してくれる。
警戒しつつ俺は、着替えを済ませる。
全能だけど断じてただの神じゃねぇ……。
先ほどまでは、ただの不思議ちゃんに思えた者が、今では吐き気を催すほど、邪悪な存在であると脳が警鐘を鳴らしていた。
恐怖による麻痺が解けた体が、ビンビン気配を感じ取る。
俺の女神が、こんな禍々しいオーラを放つわけがない。
そもそも、あんな姿をした女神なんて聞いた事が無い。
しかし失禁程度のショックで平静を保つのは限界があったらしく、俺は普通に立っていることすら辛くなり、思わず片膝を地面に着く。
次第に瞳の焦点が定まらなくなり、息も荒くなってきた。
まともでいれる内にと、俺は自然と溢れた素朴な疑問を彼女へとぶつけた。
「あ……あんたは……女神じゃ……ない……のか? それにほん……とうの……もくて……きは……」
「うむうむ、まだ喋れるとは大した精神の持ち主じゃ」
今にも意識を失いそうな中、辛うじて彼女の言葉に耳を傾ける。
「じゃがま〜だ注意力は足らんの。儂は一言も女神だとは言っておらんぞ」
薄々、感づいていたが、気づかないふりをしていた。
異世界転生ものの女神だと、思い込もうとしていた。
だが彼女の口から直接聞けたことにより、確信へと変わる。
「好奇心は猫を殺すというが、儂の場合、死んだ方がマシな目に合うかもしれんぞ、今更遅いが。お気に入りが簡単に死んではつまらんし〜そうじゃな〜。今後間違いが起こらぬよう、相手の職業も見破る鑑定眼も付けてやろう」
彼女は俺の側で、しゃがみこんできた。
あぁ、なんか少女特有のいい香りが……。
一種の現実逃避だろうか、すでに現実ではなさそうだが。
少女は俺の瞳に、人差し指を近づけてくる。
すると一瞬、眼が熱を帯びたように感じ、俺は思わず目を閉じる。
びっくりして声を上げそうになったのだが、今の状態では声を上げることさえできない。
熱が収まり、俺は恐る恐る目を開けてみた。
目の前の少女の頭上すぐそばに、『邪神』という言葉が浮かび上り、消えていった。
一番会いたくなかった神様です、本当にありがとうございました。
「しかし意外に面倒じゃの、装備外しと強制能力初期化は」
急に少女は立ち上がると、無造作に手をつきだす。
すると少女の前の空間が、まるで水面の波紋のように波打って、彼女の手の先が消えてしまっていた。
袋から物を探るような動作をして、少女は波打つ空間から何かを取り出す素振りをする。
彼女の手には、何か機械と肉がまじりあった奇怪な物が、握られていた。
「てれれれってって~♪ 瞬間装備装着装置~。これは職業を登録しておけば、自動で装備を装着してくれるすごい物なのじゃ。ジョブチェンジで一々装備が外されると面倒じゃろ? だから作ってやったぞ。あ、そうだ事前登録やチュートリアル機能も面白そうじゃの」
何だか聞き覚えのある単語に、さしずめ自分はノーマルレアかなと、乾いた笑いがこみ上げてくる、笑える状況ではないのだが。
彼女は俺の心情を知ってか知らずか、一心不乱に奇怪な物をいじり倒している。
「他にも色々隠し機能を付けてっと、よしできた。蒸着! とか変身! とか特に恥ずかしい掛け声は必要ないからな、安心しろ。原理は聞くなよ、お前にジョブチェンジさせられて初めて思いついたのだからな」
そういうと彼女は、不気味に脈動するそれを、俺の胸辺りに目掛けて押し付けようとして来た。
しかしまたもや、ドジっ娘属性発動。
「あ!」
足でも挫いたのか、コケてつんのめり、目測を誤った彼女の手は、俺の股間へとずっぽり埋まっていた。
これはひどい。
「ちょっと!? どこ突っ込んでんだ! このまま手を引き抜かれて俺のブツが破裂でもしたら、冗談じゃねーぞ!! オィィ!!」
「あ~大丈夫大丈夫、このまま上の方まで持っていくから」
内臓を掻き分けていくような感覚に、思わず吐き気を催す。
しかし正直に言って、股間に突っ込まれた時の笑撃の方が大きい。
なんなんだよ! どうしてこうシリアスブレイカーなの!?
そしてお前の大丈夫程、信用ならん物は無い。
胸あたりまで来ると、彼女は俺の体にめり込んでいた手を引き抜く。
錯覚かトリックかと思いたかったが、彼女の手にはあの奇怪な物は、握られていなかった。
「傷が……無い!? てかあれ俺の中に埋め込んだのかよ!?」
「フッフッフ、我を誰だと思っている? 体に影響などたぶん無い」
たぶんて何だ、一挙に不安になるじゃねーか。
いっそ心臓でも握りつぶされていれば、この悪夢から覚めれたかもしれないのにと、俺は密かに思ってしまった。
もう俺はすでに正気を失っているのかもしれない。でなければ不気味な物が体に埋め込まれたという事実に、間違いなく発狂していただろう。
片手間に思いついたものをポンポン作り出す異形の存在、さすが邪神といったところ。
そんなのが一体、何の目的があるというのだろうか。
「目的じゃが、さっきも言ったろう。秘密じゃと」
さっき冗談だと言っていたのに、どれが嘘でどれが本当なのかわからなくなってきた。
「どれが冗談だったかは言っていない、何より最初から全部知っていたら面白くなかろう」
やはり心を読まれている、そう思いとあることを考える。
『ファミチキ下さい』
「なんじゃふぁみちきとは? ついに頭をやられたか、一部の記憶は早急に消さんといかんのう」
最初に自分の名前さえ忘れてたのに、重要な記憶も間違って消されてしまうのではと、不安がよぎる。
今は抵抗する術があるわけもなく、大人しく時が経つのを待つ事しかできなかった。
「貴様も定番の魔王退治はもう飽きたろ? たまには女神の一人や二人ぶんなぐってこい。そうでなければ儂の相手は務まらん」
異世界転生の定番といったら魔王退治。
しかし彼女はまるで、それでは足りないと言わんばかりである。
しかも邪神の相手とは……足りない頭でいくら考えようとも答えはでない。
もうどうにでもなーれ!
「さぁ、お互い己の世界に飽きた似た物者同士。楽しくやっていこうではないか!」
彼女の言葉を合図にしたかのように、今まで無音だった空間に、まるで出発の門出を祝うかのような、太鼓のくぐもった狂おしき連打と、フルートのかぼそき単調な音色が鳴り響いてきた。
その不快な音色を聞いているうちに、俺の意識はぷっつりと途絶えてしまった……。
目が覚めるとそこは薄暗い森の中。
俺はしばらく死んだ魚のような眼をして呆然としていた。
その目に徐々に、生気が宿っていく。
そして完全に正気を取り戻した時、まず体に欠損がないか、いち早く確認を行った。
記憶にあるポンコツ女神のせいで、石の中にいる! を実行されていたらと不安になり、居てもたってもいられなくなったためだ。
運がいいことに、その心配は杞憂と終わった。
幸いここに来る前のこと、自分が何者かは忘れては居ないようだった。
股間が少々生暖かった記憶があるが、なんじゃこりゃ。
その他で思い出せたのは、自分と他者でさえジョブをチェンジさせてしまうチート染みた能力と、所々抜け落ちた異世界の知識。
そして白髪の全裸の少女の姿。
ついに自分の置かれている状況を、理解し始める。
「やべぇパソコンのHDD処分できねぇ! 中身見られたら死ねる……いやもう死んでるか」
思わず俺は、現実世界に残してきたお宝の心配をしてしまった。
「って冷静に突っ込んでる場合じゃねぇ……来週新作のヒロインアニメ放映日だったのにちくしょう。テレビ、パソコン、携帯、文明の利器よ去らば……」
思いもよらぬ別れに涙しながら、細切れになった記憶の断片を整理していると、俺の中である感情が爆発したのだった。