報告書【No.1】
湿気が多くて薄暗い牢屋に、その男は一人ぽつりと座っていた。
木製の椅子に座ってはいるが、鎖で背もたれにがんじがらめに縛られている。口には喋れないように猿つぐわがされ、黒の布で目隠しがされていた。
ぎぃ、と扉が開く鈍い音が、部屋に響く。
「何番だ?」
「9番目の罪人です」
「ふぅん……」
二人の男の声。カツコツと歩く音がして、椅子に縛られた男の目元を覆っていた布がグイッと上げられる。
少し目を眇めてみると、目の前にはくすんだ銀髪と翡翠の瞳の男が立っていた。
その男、ロッシェ・セザールは、口の端を吊り上げた。
「よお犯罪者さんよ。気分はどうだ?」
「……」
ロッシェの皮肉に、男はただ睨みを効かせるだけだ。ロッシェは補佐として付いてきた兵士に、男の猿つぐわの布をほどくよう命令した。
兵士は小柄な体格で、どちらかと言えば『かっこいい』よりも『可愛い』と言われそうな容姿だった。ダークブラウンの癖毛の強い髪に、大きな黒い瞳。ビクビクしながら兵士の後ろに回り込み、きつく縛られた布の結び目をほどく。
ハラリと唾液で濡れた布が取れた途端に、男は大声を上げた。
「国家に付き従うしか能のないゲス共め!我々の崇高な行いを邪魔しおって!」
「あーはいはい」
何とも適当な相槌を打ったロッシェは、ダルそうな顔をしながら男の顔をぶん殴る。強烈な右ストレートが、男の頬に直撃した。
衝撃で椅子がガタタンと揺れて、慌てて補佐の兵士が椅子を押さえ付ける。その目には少しの怯えと同情の色が垣間見えた。
ロッシェは男の短い髪を鷲掴み、強制的に上を向かせて自身と目線を合わさせた。
「俺らがゲスだろうがなんどろうがどうでもいいんだよ。お前が口に出していいのはお前の事についてだけだ」
「死ね!ごみくずが!」
「おーおー威勢のいいことで。で?お前らのバックには誰がいる?」
「っ……」
男が言い淀む。その顔には確かな焦りが見えた。
「『目的はなんだ』って言うとでも思ってたか?まぁそれも聞くけどな」
ロッシェは笑みを絶やさず、男の髪を離す。
「今回捕まった容疑者は全員で34人。まぁ全員が男な訳だが、出身地、年齢、経歴ほとんどがバラバラで、一貫して集団の関係性が見当たらない。そして、龍の目撃情報……。
お前たちが陶酔している『あのお方』っつうのは、一体何者だ?」
「……」
「他にも聞きたいことは山ほどある。今回の目的。まだ捕まっていない仲間がいるのか。犯罪集団なら、どれくらいの規模のグループなのか……「くく、あははははは!!」」
突然、男が笑いだした。その男の後ろで椅子を支えていた補佐の兵士は、遂に気でも狂ったかとハラハラしながら見守る。
「ウジ虫が!貴様らなんかに我らの目的も、『あのお方』の事も話す訳がないだろう!私は貴様らなんかには屈しない!!絶対に、絶対にだ!!」
ギラつくその瞳を見て、ロッシェは1つ溜め息を付いた。それはまるで『仕事が1つ増えてしまった』というような軽い溜め息だ。
「おい、えーと、お前。調査官の……、名前なんだっけか」
「シヤンです。シヤン・ティノですロッシェ副隊長殿」
補佐の兵士が敬礼をする。
「ちょっとここの所長呼んで来てくんねぇか」
その言葉を聞いた途端、補佐の兵士、シヤンの顔色が真っ青になった。
「しょ、所長を!?無理無理無理嫌ですよぅ!!あの人に尋問任せたらどうなるかなんてロッシェ副隊長殿も分かっているじゃないですかぁ!!」
「大丈夫だから、呼べ」
「ででで、でも!!」
「……シヤン・ティノ調査官、」
「いいから、呼べ」
ロッシェにしては珍しく爽やかな笑顔で。
次拒否したらどうなるか分かってるなという感じのどす黒いオーラを振り撒いて、ロッシェは命令した。
シヤン・ティノはさらに顔を青くさせ、大人しくその部屋を後にした。
「で?こいつが俺の新しい実験台か?」
カラカラと小さな音を立てながら、小さな車イスが牢屋に入る。その上に座る幼女は、少し上擦った声でロッシェに問いかけた。
車イスに座る10歳前後の見た目のその幼女は、だがその表情は幼児とはまるでかけ離れた残虐性を見せていた。
褐色の肌に紫色の大きなアーモンド形の瞳。猫っ毛の細い銀髪は長く腰元まで伸びていて、前髪も胸元まで伸びている。現在は濃い紫色のワンピースを身にまとい、その上から白衣を羽織っていた。成人男性のサイズなのか、小さな体躯に合っていなくてダボついている。
整った顔立ちをしているのに、その残虐な表情のせいで台無しだ。頬杖をついて獲物を観察するその顔は、これからどう虐めようかと期待に満ち溢れ歪な笑みが張り付いていた。
そして、その幼女の後ろには一人の女性の使い魔が立っていた。年は10代後半位だろうか。その両手は幼女が座る車イスのグリップを握っている。
人間とほぼ同じ姿形をしているが、頭にはふさふさの犬耳が付いている。一般的に獣人と呼ばれるその使い魔には右目に眼帯が付けられていた。左目は勝ち気そうな瞳は鳶色だが、生気が感じられないような死んだ目をしていて、癖が強く短めの髪の毛は赤茶色だ。侍女のようなメイド服を身にまとってはいるが、肩やら太股やらが剥き出しな服は本職の人が見たら目を剥くに違いない。ロッシェはわざとらしい口調で、車イスに座る幼女を紹介した。
「紹介しよう、犯罪者君。我が国で拷問では右に出るものがいない、この王立監獄所所長、リトリー・アヌビスだ」
「そんなのはどうでもいい。こいつの罪はなんだロッシェ!」
癇癪を上げる子供のように、リトリーは車イスの上で苛立たしげに両足をばたつかせた。どうやら、まるっきり歩けない、という訳では無いようだ。
「大量殺人、王家への反逆」
ロッシェが簡潔にそう言うと、リトリーは仄暗い笑みを浮かべた。
「反逆!殺人!じゃあこいつは死刑かな死刑だな死刑に決まってる!つまりこいつは俺が殺していいんだな!?」
にやつくリトリーは、まるで新しい玩具が手に入った子供のように顔を綻ばせ、喜びを全身で表現していた。
だが、その玩具である男はたまったものではない。この異様な少女からの視線に、今はただ耐えるしかなかった。
「ああ、どう料理してやろうか。最近は人間の感覚機能に興味があるんだ。視覚を奪った上で色々実験してやりたい!苦痛と恐怖で心をぶっ壊してやりたい!おい6号、もっと俺を被験体に近づけろ!」
「はい、マイマスター」
リトリーの後ろで車イスを押していた、6号と呼ばれた獣人が答えて、幼女が座る車イスを押した。
からからと車イスは男に近づいていき、段差があったのかカタンと車イスが揺れる。
瞬間、リトリーの表情が死んだ。
「おい6号、俺の前に座れ」
「っ……、はい、マイマスター」
若干震える声で返事をした6号は、リトリーの前にひざまずいた。その瞬間、リトリーの小柄な脚が6号の頭を蹴飛ばした。
さほど衝撃はなかったものの、お世辞にも綺麗とは言えない床に尻餅をつく6号。その6号を、リトリーは冷めた目で見下ろした。
「お前は主人をまともに運ぶことも出来ねぇのかよ」
「も、申し訳ございませんマスター」
「喚くな役立たず。今ここで使い魔の契約を解除されたいのか?」
その言葉を聞いた途端、6号は顔が絶望に染まる。がくがくと体を震わせ、鳶色の瞳に大粒の涙を浮かべてリトリーを見上げた。
「どうか!どうかそれだけは!!6号を捨てないで下さいマイマスター!!」
「そぉか、じゃあ今すぐそこで自傷しろ」
「はいっ!」
6号は勢いよく返事をした後、自分の鋭い爪で肩に切れ込みを入れる。パッと避けたその隙間から鮮血が溢れて、6号の肌を伝って地面へと滴り落ちて行った。6号は痛みに顔をしかめつつ、だが明らかに喜びで顔を綻ばせていた。
「マイマスター、これで、これで許して下さいますでしょうか。どうか、この6号に御慈悲を……!」
「しゃあねぇな」
投げやりなその言葉に、6号は喜びに頬を赤らめた。『ありがとうございますマイマスター!』と言って、肩から血を流しながら地面に頭を擦り付ける様ははっきり言って異質だ。だが、ロッシェは、『またいつものが始まった』という感じで大して気にも止めていないようで、この異様な光景に体を震わせるのは犯罪者の男しかしない。
「ああ、放置してしまってすまないな、被験体245番。おい6号、245番の右足の指を切り落とせ」
「はい、マイマスター」
「っ、え……」
にっこりと笑った6号の鋭い爪が、戸惑う男の親指を切り裂いた。
「ぎ、ぐううぅぅぅ……!」
痛みが全身を伝い、だが男は健気にも声を荒げまいと口を噛み締める。その様子を実に楽しそうに車イスの上から見つめるリトリーは意地悪そうな顔でニヤニヤしながら、
「誰が1つと言った、6号。右足の全部だ」
「はい、マイマスター」
鋭い爪が、右足の全ての指を弾き飛ばした。
「あああああああっっ!!」
今度こそ、痛ましい叫びが部屋に響き渡った。苦悶の表情を見せる男の体は痛みを少しでも紛らわそうと体を揺らし、溢れた鮮血は薄汚い地面を汚して6号の血と交じり合う。
「ククク、いい声で鳴くなぁおい、245番。これはいい被験体が手に入った」
もう既に、犯罪者である男はリトリーの被験体としての番号を与えられたらしい。
痛みに暴れる男は椅子ごと倒れ、着ている服は地面の血を吸い赤に染まり始める。
「舌は抜くなよ。あと、必要な情報は洗いざらい吐かせろ」
ロッシェの事務的な言葉に、リトリーは鼻で笑った。
「この俺が仕事を忘れるとでも?あと30人以上いるんだ。こいつが駄目なら他を当たって情報を吐かせる。安心しろロッシェ」
つまり、吐かなければこの狂った幼女に体を弄ばれるのだ、という結論に至って、男の頭の中でグルグルと 葛藤が渦巻く。
ここで有益な情報を喋らないと、だけど、いや、でも、じゃあ……。
痛みと恐怖にパニックになる男に、更なる残酷な言葉が聞こえてきた。
「6号。俺が帰ってくるまでこいつをズタボロにしてやれ。くれぐれも殺すなよ」
「まっ……「はい、マイマスター」」
男の小さな声は6号の声にかき消され、無情にもロッシェとリトリーは部屋から出ていってしまった。
「お勤めお疲れ様です、マイマスター」
ロッシェに押してもらって拷問部屋から出てきたリトリーに、外にいた獣人が深々と頭を下げた。
その獣人は先の獣人、6号に似ていた。鳶色の瞳に、赤茶色の癖の強い髪。そして右目にある眼帯。違いと言えば、こちらの獣人の方が若干幼く見えて、男であるというところか。
燕尾服を身にまとっているその使い魔は、リトリーの後ろに回るとロッシェから車イスの取っ手を素早く奪い取った。
「5号、腹が減った」
「お食事は何に致しましょうマスター」
「子羊肉が食べたい。レアにしろよ」
「承知いたしました」
「お前すっげぇ神経してんなリトリー」
うっげぇという顔をするロッシェに、リトリーは何てことない済まし顔で返す。
「なぜだ?好きな時に好きな物を食べたいと考えるのは当たり前の事だろう」
「お前はこれから拷問やるんだろうが。お前のいつものレベルだったら簡単に腸抉り出すだろ。気持ち悪くならねぇのかよ」
「別に」
「相変わらずだなお前は……。『フュリネス』の様子はどうだ?」
リトリーは一瞬だけ動きを硬め、やがてにたりと粘着質に笑った。
「『リトリー・フュリネス』か?勿論、この俺の中で眠っているさ」
リトリーはとんとんと人指し指で胸元を叩く。
「そうか」
「なんだ、この俺『アヌビス』よりも『フュリス』の方が良かったか?」
「いや、『フュリネス』の方だと拷問が進まねぇからな」
「安心しろ。今現在この『リトリー』の人格を支配しているのは俺だ。仕事に支障は無い」
まるで歌でも歌っているかのように、リトリーはそう口ずさんだ。
この王立監獄所所長である『リトリー』という人物は、二重人格である。
残虐性を持つ大人びた『リトリー・アヌビス』が常日頃から表に出ているが、もう一人、リトリーの中には『リトリー・フュリネス』という人格が存在する。
元々はフュリネスがリトリーという人間の人格だったのだが、ある事件がきっかけで別の人格アヌビスが生まれ、フュリネスはずっと表に出てこないままだ。
「それよりもロッシェ。今回のソネリア集落事件、なにやら面白い事になっているらしいじゃないか。人語を話せる、知性を持った龍が出たんだろう?」
「……ああ」
ロッシェは自分の元にある資料の膨大さを思い出してげんなりとした。
「捜索から今日で3日。生存者26名、死者14名、行方不明者はまだ21名もいる。第三の陸軍が捜索活動を行っているが……、もう難しいだろうな。そんでもって、龍の目撃情報が一番厄介だ」
「だろうな。厄介な害虫は迅速に駆除するのが一番だ」
「だが、近辺を捜索してんだけどみっからねぇ。近々捜索範囲を広げるって話が出てきてる」
森の中ならまだしも、側には人が住んでいるのだ。早急に結果が出ないのを、上の連中はやきもきしているらしい。3日目に早々有難い小言を言われた。
「アレイスター辺りを放り込んどけばいい、あいつは中々勘が鋭いからな。こっちには被害は無かったのか?」
「あるさ」
ロッシェは、金髪の兵士とその使い魔の姿を思い描く。
「一人、怪我を負って今入院してる奴がいる」




