魔戦 5
「お~、拗ねてんなぁ」
ゼノファーに抱えられながら戻ってきた私の頭を、ロッシェはカラカラと笑いながら撫でてきた。ギロリと睨み上げるも、ゼノファーに抱えられているこの格好では威力も半減だろう。
「ゼノファーが職権乱用してる!!」
ん? これは職権でいいのか? 主人権? と首を傾げ……られずに不機嫌になる私に、ロッシェはあの含み笑いで見下ろしてくる。
「じゃあ、なんで逃げ出したんだよお前。やましい事があったんだろ?」
「……や、その、えと……」
確かに約束を破ったのは私だ。だけど、これは今の二人に必要な事であって、だからね? その、やましい訳では無かったと言えば無かったのかもしれないけれど……。
「ほら、やましい事あるんだろ。お前が悪い。さっさと怒られてこい」
「なん、だと……!?」
思わずアレイスターの方に目を向けたが、彼はぐっ、と息を詰め、
「すまない……。だが、人様の使い魔のしつけに、俺が口を出して良いものか……」
そう言って目を伏せた。なんという事だ。完全にアウェーじゃないか。
というか隊長、しつけって何だしつけって。まるで私が手のかかる幼子みたいではないか。失礼な事を言うものだ。
「ご迷惑かけてすみませんでした。セリカ、部屋に戻るよ。俺はこの後も仕事があるから、説教は夜だけどいい?」
「良くない! いたいけな女の子に説教など良くないと思いますっ!」
「……30秒もしない内に、大の大人が3分以上かかる距離を走れる子はいたいけとは言わないと思う」
「…………」
正論過ぎる。確かにそれはいたいけとは言わないのかもしれないと、私は口を閉じた。
結局、部屋に入ってもゼノファーは命令を解いてはくれなかった。
ゼノファーは器用にも私を抱き抱えつつドアを開け、私の為のベッドに仰向けに横たえさせる。
結構な距離を歩いたにも関わらず、特に疲れた様には見えない。彼は自分のベッドの端に座り、時計を見つめた。
「あと休憩時間、15分しかないけど……、どうして昨日、あんなにアレイスター隊長のお手を煩わせちゃいけないって言ったのに、あんな行動取ったの?」
あんな行動、とはアレイスター隊長に教えを乞いた事だろうか。思わず目を泳がせると、ゼノファーは私を睨みつけた。弱気な彼には珍しい顔である。
しょうがなしに私は口を開いた。
「あんな事って、飛び方を教えてもらった事?」
「……わざわざ隊長に教えてって言ったの?」
「だって、隊長って言うんだから飛び方だって上手いと思って。それに上手い人から聞いた方が上達するでしょ?」
「そうだけど……。言ったよね、俺たちは『下っ端』だって」
その、親が子供を言いくるめるような話し方に、思わず私も反論する。
「下っ端だから教えを乞うのを遠慮するの? それじゃあいつまで経っても下っ端のまんまじゃん!」
「……。そういう事を言いたいんじゃ無くて、相手の都合や自分たちの立場をもっと考えろって俺は言いたいんだけど」
「アレイスターの都合が悪かったら明日にしてた」
「セリカ、アレイスター『隊長』でしょ。Eクラスの俺たちがSクラスのあの人をそんな呼び方しちゃダメだ」
なんだそれ。私は向かっ腹を立てた。
なんで同じ部隊の仲間なのに、そんな遠慮をしなければならないのか。反論しようと思って口を開くが、ゼノファーが先に口を出した。
「反省してないようだから、セリカは俺が帰って来るまで大人しくしていなさい。俺は5時まで警備だから……、あと三時間。ベッドの上でちゃんと反省しなさい」
「えぇ、三時間も!?」
「反省なんだから、それ位は取らないと」
ゼノファーはベッドから立ち上がってドアに手をかける。その後ろ姿に思いっきり舌を出しながら、私はゼノファーを見送った。
バタン、と扉が閉まる。
ふんだ、せっかくゼノファーの為に頑張っているのに、何故だかこっちが損した気分だ。今日聞いた事だって、これからも、そして魔戦にも役に立つ事なのに。
憤然としたまま、動かない体をどうすれば動けるようになるのか考えようとした、その時。
ドクン、とセリカの体が疼いた。
「くぁっ……!? まさ、か、……!!」
動けないこんな時に限って……!
いきなりの事に若干戸惑いつつ、ぐっと体に力を入れる。
こんな所で、奴を解き放つ訳にはいかない。解き放ったが最後、私という存在が消えてしまうだろう。
だが、その意識とは無関係に体の疼きは酷くなり、冷や汗が溢れた。
「ぐ、ぅ……、ゼノ、ファー……!!」
本能と理性の狭間で、セリカは自分の主人に助けを乞う。が、無情にもその声は彼には届かない。
だが、彼女は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「ちょ、トイレーー!! 5分、いや3分でいいからこれ解いて下さいゼノファー様ーーー!!」
何か大切な物を失うかもしれないという恐怖と尿意が、ぐるぐるとセリカの中に渦巻いていた。
白亜の廊下を歩きながら、ゼノファーはさっきセリカが言っていた言葉を反芻していた。
『下っ端だから教えを乞うのを遠慮するの? それじゃあいつまで経っても下っ端のまんまじゃん!』
まさにその通りだとは思う。
その通りだからこそ、彼はセリカから逃げた。
彼女を大切にしたいと思う。前の異世界で大変な目にあっただろう彼女。平和に過ごさせてあげたいと思う。思うのに、何故だろう、ざわざわと心が落ち着かない。
何故、主人でもないアレイスター隊長やロッシェ副隊長とも、あんなに打ち解けているのか。それが、気がかりだった。
心が、落ち着かない。
自分と一緒にいてくれる彼女が、なんだか離れていってしまうのではないかと思ってしまう。
それは、まるで自分に懐いていた猫が、目を離していた隙に他の人に懐いている。そんな、そう、言ってしまえばただの嫉妬だった。
セリカの言葉が、頭の中を回る。
どんなに努力しても、教えを乞いても、一度たりとも使い魔の召喚が出来なかった。
そんな努力しても変われなかった俺の力量を、彼女が悟り、愛想を尽きてしまったら。俺から離れてしまったら。
なまじ、ゼノファーを蔑む人はいるが、応援する人は幼なじみのフィート位しかいなかったものだから、余計に彼を臆病にさせた。
失うかもしれないという恐怖が、心を乱す。
「よう、ゼノファー」
「……にい、さま」
いきなり声をかけられ、びくりと肩を震わせたゼノファーは、落ちていた視線を上げた。そこには次男の兄がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて立っていた。
「魔戦の試合許可、降りたぞ。悪いが、予定より早くなっちまった。明日の午前10時からだ。非番の申請しとけよ。楽しみだな、お前の使い魔が地に伏せて謝るのが目に浮かぶぜ」
「…………そう、ですか」
つい、視線を下げてしまう。
そう言えば、この兄も幼い頃は優しかった。
適性年齢の5歳が過ぎても、使い魔が召喚できないと泣きじゃくる俺に、一所懸命召喚術を教えてくれた。
長兄と一緒に、大丈夫だからと俺を励まし、付きっきりで俺の召喚に協力してくれたのが懐かしい。
なのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
「……分かりました。兄様」
それだけ言って、ゼノファーは自分の兄の横をすり抜けた。
ゼノファーの兄、ノインは舌打ちこそすれど、人気が多いからかそれ以上は何もせずに歩き出す。
この試合が行われれば、自ずとゼノファーの力量も彼女は分かるのだろう。その後に来るだろう失望が、何よりも臆病にさせる。
セリカからの信頼や親愛を失うかもしれないという恐怖が、ぐるぐるとゼノファーの中に渦巻いていた。
台詞おさらい
こんな所で、奴を解き放つ訳にはいかない。解き放ったが最後、私という存在が(社会的に)消えてしまうだろう。




