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第8廻 遠き日の約束は今も胸に

「で? しっかりはっきり、納得のいく説明をしてもらえるんだろうな?」

 リビングのソファーに二人で向かい合って座り、ころんは説教をされる子供のように、縮こまっていた。

 向かいのテレビはころんが帰ってくるまで紗雪が見ていたようで、つけっぱなしになっている。

 紗雪はころん至上主義で、たいていはころんの言うことやることに口出ししないが、かといって甘やかしもしないし、無条件で従うわけでもない。

 イトコだから、ではない。それには理由がある、らしいのだが、それを紗雪は口にしない。

 ころんが覚悟を決めて、全部打ち明けようと口を開きかけた時だった。 

《――州で確認された七人のヘリッシュ患者の内、五人の死亡が確認されました》

 テレビから流れてきたニュースに、ころんは絶句した。紗雪もわずかに顔色を変え、後ろのテレビを振り返る。

《残りの二人も危篤状態にあり、ヘリッシュによる死亡者は今月で二十四人目となりました。続いて……》

 プツン、とテレビの電源が落ちる。紗雪がリモコンで消したのだ。

 ヘリッシュ――藍泉国内で流行している奇病。

 初期症状は三十九度以上の高熱、激しい頭痛や腹痛に嘔吐、関節痛。

 第二期の症状は縄で締め付けられたような赤黒い痣が全身に現われ、高熱による幻聴、幻覚。吐血を繰り返す。

 最終的には、痣の部分が化膿した後、それが固まってかさぶたのようになり、ひび割れて肉が裂け、傷口から腐敗していく。

 その最期の姿は、まるでゾンビのようで……

 病原が不明なので、何が原因で発病するか解からない。ただ、伝染病ではないので、人から人にうつることはない。

(ヘリッシュが発見されたのはほんのひと月前。あの病気のせいで、たくさんの命が……)

 落ち込んだころんに、さすがに紗雪も声を荒らげることはできなかった。

 テレビをつけっぱなしにしておいた自分の失態だ。

「ころん、部屋に行こう」

「さゆちゃん、お茶は?」

「いいよ、話聞いたらすぐ帰るから」

 ころんを部屋に連れて行くと、紗雪はころんをベッドに座らせた。自分もその隣に座ってあぐらをかく。

「……また、誰かが死んだのね。あの病気のせいで。もういや。きらいよ、あんな病気」

 暗い声で呟くころん。紗雪は静かに目を伏せた。

「苦しんでる人を間近で見てるもんな。苦しむ患者を助けることができずに、悲しんでる人を」

 ころんの父親は病院の院長だ。担ぎ込まれるヘリッシュの患者と、心配するその家族。

 けれど、治療法が見つかっていないために、根治させることができない。気休めの解熱剤と鎮静剤も、症状を比較的抑えることしかできず、救命には至らない。

 激しい痛みと苦しみにのたうちまわる患者。緊迫する医師たち。助かる見込みのなさに泣き崩れる家族。

 残された方法は安楽死しかない。そうして、院長自ら何人もの患者の最期を看取ってきた。

 ころんはそんな父の姿を何度も見てきた。疲れた顔で帰ってきて、けれどころんには笑顔を見せる。

 そして部屋で一人になった時「また助けられなかった……っ」と嘆く父の姿を。

 その姿は、母がこの世を去った時の姿と重なって、胸が痛い。 

 だから、患者やその家族だけでなく、父をも苦しませるヘリッシュは、ころんにとって忌まわしい病気だ。 

「……パパはがんばってるわ。私は、パパを尊敬してる。誰がなんて言ったって、パパが悪いわけじゃないもの」

 時には「医者のくせに」となじられることもあると言う。

 それでも、病気を治すことができないのは父のせいではない。人間にできることは限りがある。

「そうだな。恩叔父さんは悪くない。早く、治療法が見つかるといいのにな」

 本当に、早く治療法が見つかってほしいと思う。

 ころんには言っていないが、紗雪の知人の中に、ヘリッシュで家族を亡くした人がいる。

 その人はショックのあまり、寝たきりになってしまったと聞く。

 治療法が見つかれば、多くの患者だけでなく、その家族もきっと救われる。

 紗雪は立ち上がり、ころんの前に立つ。

「恩叔父さんは毎日頑張ってるんだろ? 信じてやりなよ。ころんが信じて応援してやれば、叔父さんは元気になるんだから」

 目を細めてころんに微笑みかける紗雪。ころんはぎこちなく笑みを返した。

「うん。ありがとう」

 やっぱり、紗雪の笑顔は元気が出る。ホッとしたのもつかの間。

「それはもう置いといてさ。さっきの話の続き、しようか?」

 一瞬でころんの顔が別の意味で強張る。やっぱり話さないといけないんだ……っ。

 見下ろす紗雪の笑顔が如実に語っている。ワケを話すまで帰らないからな、と。

 先延ばしになっていたが、もう話すしかない。ころんも立ち上がった。せめて目線を合わせて話し合いたい。

 しかしやはり反応が怖かったので、ころんは俯いて落ちつかなさげに手をもじもじさせる。

「まずは初日の帰り」

「……あ、あのね、ちょっと気分転換をしたくて…」

「そんなので納得すると思ってんのか?」

「う。えーと、その……」

 腕組みをし、ジト目でころんを正視する紗雪。対して、ころんは紗雪と目が合わせられない。

 俯いたまま視線をさまよわせるころん。突き刺さる視線が痛い。

「一人で外歩くなんて危険だろ? いくらスレイドがいるからってな、周りから見れば一人にしか……」

「他の人も一緒だったもん……」

「は?」

 あ……。気づいて口元を押さえたが、時すでに遅し。紗雪の目が一層険しくなる。

「他の人って、どこの誰?」

「ええ~と、それはぁ……」

「…………」

 無言の圧力。勝者――紗雪。目を泳がせていたころんは、がっくりとうなだれて正直に答えた。

「同じクラスの……柳原」

 ぴきっ、と。紗雪のこめかみに青筋が浮き上がった。

 相模とは教室にころんを迎えに行った時、顔を合わせたことがある。やたらと、ころんの周りをうろついている男だ。

 あの男は、あのうそくさい愛想笑いが気に食わない。人を食った態度も。そんな男と一緒だったなんて。


「……ころん」

「ぅあ、はい!」

 いつもより数段低い声に、ころんは涙目で無意識に背筋を伸ばした。

 たっぷり三拍置いて、紗雪は憤怒の形相で怒号を上げた。

「こんの大バカがぁ―――――っ!!」

「きゃ―――――っ!?」

 怒り爆発。紗雪はずかずかところんに詰め寄る。

「前向きに共学を目指す根性見せたおまえを信用したオレがバカだったよ!

 なぁにが『この辺りの地理はだいたい覚えたから大丈夫』『安心して。男の人には絶対に近づいたりしないし、もし近づいてきたら全速力で逃げるし』だ!!

 どこがだよ! 思いっきり近づいてんじゃねーか!」 

「あの、ユキ。落ち着いて。あれは不可抗力というかやむを得ずっていうかで。それに、何事もなかったんだから……」

 なるべく笑顔で紗雪をなだめようとするが、頭に血が上っている紗雪は、カッ、と目を見開き、素早くころんの体を壁に押しつけた。

「いたっ」

 呻くころんの両脇に、紗雪は壁と自分でころんを挟むように、両手で壁に手をついた。そうするところんは逃げ場がなくなる。

「何度も言うけどな! 男に触って、それで(はね)が出て嫌な思いするのはおまえだろ!?

 一度思い知ってんじゃないのか!? それなのに、なんでわざわざ危ないマネすんだよ! なんでそう危機感ないんだよ!! なんで……っ」

 奥歯をかみしめて、小さく震えたかと思うと、紗雪は壁に両手をついたまま俯いた。ころんは困惑顔で紗雪の顔を覗き込む。

「ユキ……?」

「――なんで……すぐに言わなかった?」

 呟くような言葉に、ころんははっとした。

 紗雪は俯いたまま、今までのように大きな声ではなく、小さな声で言った。

「オレは、おまえを助けるため…護るためにいるんだ。

 それなのに、オレを遠ざけて、ウソついて……それでもし、おまえに何かあったら、オレがいる意味、ないだろ……?」

「…………」

 わずかに目線より高いところにある紗雪の目は、前髪に隠れていて見えない。でも、今どんな表情をしているのかは分かる。

「なんでも話すって約束しただろ。いいことも、悪いことも。どんなことでもちゃんと聞くから……ウソついたりすんなよ」

 子供の頃に約束した。まもるから、と。それがオレの役目だから。

 その言葉の真意を、ころんは解らなかった。今でも知らないでいる。

 けれど、ずっとそばにいてくれると言ってくれたから、それがうれしかったから、ころんは紗雪の言葉を受け入れた。

 ――約束よ。初めて、指切りをした。 

「離れても、遠ざけてもいいよ。でも、黙ってたりすんな。

 オレが知らない間に、ころんがつらい目に遭ってたりするのはイヤだ。

 ころんに隠し事されんのは、寂しい……」

 そう言うと紗雪は、ふらりところんの右肩に頭を乗せた。

 ころんに関して『知らない』でいたくない。『分からない』ならまだいい。

 だけど『知らなかった』では済まされないことだってあるから。

 助けるためには、護るためには『知って』いなくちゃいけない。

 そうでなければ、自分が傷つけてしまう。

「ユキ……」

 肩に頭を預ける紗雪を、ころんは横目で見つめた。

 弱々しい声。いつも元気で、勝ち気な紗雪がこんなに元気をなくすのは、よほど落ち込んでいる時だ。それほど、自分は紗雪に心配をかけさせてしまった。

「男と一緒だったことを怒ってるんじゃない。オレを遠ざけたことを怒ってるんじゃない。オレに、何も言わなかったから……怒ってるんだ」

 ああそうだ。紗雪は、自分の与り知らぬところで、事が起きるのを嫌う性格だった。

 入学式の日、一人で大丈夫だったかと、何もなかったかと訊かれて、何もなかったと答えた。そう、うそをついた。

 本当は、いろんな男の人に絡まれたし、柳原にも会って、家まで送ってもらった。でも、うそをついた。

 後ろめたかったから。ただそれだけ。でも、それだけのことで紗雪を傷つけた。

 どんな時も『自分のため』じゃなく『ころんのため』にしてくれる紗雪を。

 ころんはそっと紗雪の体を抱きしめた。震える手で。

 紗雪は一瞬ぴくりと身を震わせたがおとなしくしている。

「ごめん……ユキ……ごめんなさい……」

 あなたの気持ちを考えなくて。涙が一筋、ころんの頬を伝った。

 抱きしめられたことで少し落ち着いたのか、紗雪は顔を上げた。

 真剣な表情で、ころんの目に溜まっている涙を指ですくい取る。

「反省してるか?」

「してます」

「これからはちゃんと約束守るか?」

「守るわ」

「――そっか」

 紗雪がほっとしたように、優しい笑みを浮かべる。ころんが泣き笑いで返すと、紗雪ははっとして、くるっと背を向けた。

「それならいいよ。もうこのことに関しては何も言わない。……ごめんな、怒鳴って」

 人心地ついたころんは、ゆっくりと首を横に振った。

「ううん、私の方こそ、心配かけてごめんなさい」

「それじゃ、そろそろ帰るわ。また明日な、ころん」

 肩越しに振り返った紗雪に、ころんは頷いた。

 改めて、紗雪は自分のことを大事にしてくれているのだと感じた。紗雪が与えてくれる分、自分も返さなくては。

 自分は紗雪に何も返せていない。だから、もっとしっかりしないと。紗雪が安心できるように。

 そう思いながらも、今の紗雪との関係がずっと続けばいいなと願った。

 一方、帰路についた紗雪は大股で歩きながらため息をついた。

(ただ話を聞くだけで、あんな風に接するつもりはなかったのに。よりにもよってあんな……)

 壁に追い詰めたり、寄りかかったり、涙を拭いてやったり。自分の行動を思い返して、頭を抱えた。

(ああああああっ! 何やってんだ自分! 頭に血が上ってたとはいえ、ころんにあんな風に触るなんて!!)

 駄目だ、もうあんなことにならないように気をつけなくては。

「オレところんじゃ、立場が違うんだから」

 もっと距離を置かなくては。自分ところんの間には、必要最低限の『友達関係』だけあればいいのだから。

 ずっと今と同じ関係ではいられない。いてはいけない。それは、許されないこと。

 ころんに何も話せないのは心苦しいけれど、それが、自分がころんのそばにいられる条件だから。

 話さなければそばにいられる。『友達関係』を維持していれば、許される。それ以上は駄目だ。

 約束を破れば、そばにいられなくなる。だったら、触れられなくてもいい。これ以上の近い距離は望まない。

 だからもう触れない。触れていいのは、緊急時だけ。あの子のそばにいるためなら、いくらでも枷をつけよう。

 たとえ彼女が、それを望まないのだとしても。




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