第7廻 氷の標的
昨日の新入生歓迎会は盛大で、まるでお祭りのようだった。
サークル紹介もあり、どのサークルに入ろうか、ころんは悩んでいた。入らなくてもいいのだが、せっかくだから何かやりたい。
しかし、男子のいるところだと体質上、問題がある。悩んでいると、制服の内ポケットからピロリン、と音がした。
内ポケットに入れているクリカにメールが届いたようだ。見ると、明日の健康診断のお知らせだった。
健康診断か……それも少し心配だ。中学の時は担当の医者が女性だったので問題なかった。しかし、今回からは別だ。医者が女性とは限らない。
もしも男性の医者で、診断中に触ってしまったら、翼が出るのを我慢しなくてはいけない。
この学園は人外も受け入れているとはいえ、あまり騒ぎにしたくない。
(一応、帰ったらシェルティナに相談してみよう。うーん、部活はどうしようかしら……)
ころんはため息をつきつつ、クリカを制服の内ポケットにしまった。
「そんなに明日の健康診断が嫌か?」
クリカを見ていた響が話しかけてくる。
本来なら紗雪と二人で帰るのだが、今日は紗雪とではなく、彼と一緒に帰ることになった。
なぜかというと、途中まで帰り道が同じだと知って、思い切って一緒に帰らないか誘ってみたのだ。返事は見事OK。
しかし、そこで問題なのは紗雪だ。ボディーガードである紗雪は、なるべくころんと行動を共にしている。
せっかく響に近づくチャンスを手に入れたのだ。どうせなら二人きりで帰りたい。
そう思い、響の返事をもらった後、紗雪に一緒に帰れないことを伝えた。
当然、理由を訊かれたが、男と二人だと知ったらあれこれ言われることは分かっているので、響のことは言わずに、なんとか紗雪を説き伏せ、今に至るのだが……
「う……別に、そういうわけではないようなあるような……」
本当は部活のことで悩んでいたのだが、健康診断のことを気にしていると思ったらしい。あながち間違いではないが。
「なんだ、はっきりしないな。俺はそういった中途半端なことは嫌いなんだが」
冷ややかな口調で言い、響はすたすたと先を行く。ころんはすぐに後を追い、少年の隣に追いつくと「ごめんなさい……」と謝った。
「そうやって悪いことをしたわけでもないのに、謝られるのも好きじゃない」
「それはわかってるんだけど……なんか碧君に言われると、悪いことしてなくても謝っちゃうのよ。そういう気持ちにさせられるっていうか……」
「俺はさせたくてさせているわけじゃないけどな」
その一言で会話は途切れた。返す言葉がない。ころんはただうなだれるしかなかった。しばらくして「……悪かった」と響が口を開いた。
「お前にそんな顔をさせたくて言ったわけじゃないんだ」
うなだれるころんの表情を見て、響は――表情はほとんど変わっていないが――暗い声で言った。
ころんはあわてて顔を上げて、手を左右に振った。
「ちがうわっ。私が悪いの! 私が変な言い方をしたから。別に落ち込んだわけじゃないから気にしないで」
にっこりと笑うころん。響は表情には出さなかったがほっとした。
響がああいう言い方をするのは、人付き合いが苦手で不器用なだけで、本当は優しいということを知っている。
「それはそれとして、なんで高天は健康診断が嫌なんだ?」
下駄箱から靴を出して響が訊く。ころんは靴の先をとんとんと地面で叩いて整えながら、
「え……えーと……あっ、そうそう、身体測定があるでしょ? 体重とか気になるから。増えてたら困るなーって。だから」
「そういうものなのか」
「ころんちゃんも体重気になるのーっ?」
「きやああっ!?」
突如、眼前にかわいらしい顔が下から飛び上がってきたので、ころんは大きくのけぞった。
「あれ? ゴメン、おどかしちゃった?」
「ななな、七海君っ?」
「佑輔。いきなり現われるな。高天の心臓に悪いだろ」
響がこつん、と突如現われた女子学生……ではなく、男子学生の頭を、げんこつの裏で軽く叩いた。男子学生は「わざとじゃないのにー」と頬を膨らませた。
わずかに茶色がかった黒髪を、後頭部の中間辺りでリボンで留めていて、高学生の男子とは思えないほど愛らしい子である。
「七海君も今、帰りなの?」
「うん。ねね、ころんちゃんって呼んでいい? ボクのことはユウって呼んでいいから!」
にっこぉと無邪気な笑みを浮かべる佑輔。男の子は少し苦手なのだが、佑輔は女の子みたいに愛らしくて、ころんはほのぼのとした。
「分かったわ。じゃあ、ユウ君」
「わーいっ。ついでにボクも一緒に帰っていい?」
「え?……」
ころんは内心、響と二人きりで帰りたかったのにと思い、ちらっと響を見る。
しかし、佑輔の屈託のない笑顔に負け「いいわよ」と言ってしまった。
「ホントー? じゃあ、行こう! さーちゃんも早くー!」
ころんの後ろに向かって、手を大きく振りながら佑輔の呼んだ名前に、ころんは小首を傾げた。
(さーちゃん……って誰?)
「お待たせ~」
「ひやっ!?」
真後ろから声を掛けられ、ころんはびくっと身を震わせた。振り返ると、へらっと笑う相模がいた。
さーちゃんとは彼のことだったのか。
「急に後ろで声出さないでよ!」
「ごめんごめん。さ、行こうか、ころん」
笑みを崩さない相模に、ころんはむーっと顔をしかめて、エアバイク置き場へと歩き出した。
「誰もあんたなんか待ってないわよ。行きましょ、碧君」
「つれないなー。俺ところんの仲なのに」
わざとらしくため息をつく相模。響と仲良くなれたのはいいが、なぜかこの男はやけに自分に近づいてくる。
変な男たちから助けてくれたり、ころん好みの場所へ連れて行ってくれたりと、悪い奴ではないのだが、その反面、スケベな言動をするので好きではない。
「どういう仲よ。ついてこないで」
つん、とそっぽを向くころんに、相模はにこにこと笑いながらついてくる。
「一緒に帰るんだろ? さっき、いいって言ったじゃないか」
「それはユウ君だけよ。あんたはお呼びじゃないわ」
「ユウが一緒に帰るなら俺も一緒に帰るよ」
「どうしてそうなるのよっ。ちょっと、あんまり近づかないでよねっ」
「昨日はあんなに近づいてたのに?」
「エアバイクに乗るんだから仕方がないでしょ!?」
一方的に険悪になっていく二人の間に、佑輔が割って入った。
「まあまあ、落ち着いてよ、ころんちゃん。さーちゃんのことは気にしないで。それにさーちゃん、響クンにお話あるんでしょ?」
にこっと笑う佑輔。だが、相模は一瞬だけ自分に向けられた視線で、佑輔の言いたいことを理解した。
作戦開始、ここはボクにまかせて、と。相模もうわべだけの笑顔を返す。
「そうだな、先に駐輪場に行ってくれ」
「うん」
ころんと佑輔が並んで前を歩いていくと、相模はにやっと笑った。響が歩きながら小声で話しかけてくる。
「相模、話ってなんだ?」
「ああ、次の標的のことだ」
「……!」
苦い顔をする響。相模は楽しそうに笑うころんの横顔に、冷笑を浮かべた。
「ターゲットは、ころんだ」
「! なぜ……」
困惑する響に、相模は心底楽しそうに嗤う。まるでおもしろいおもちゃを見つけた子供のように。
「だって、毀しがいがありそうだから」
相模は数年前から、扱いやすそうな女を手玉に取っては、甘いマスクや言葉などで惑わし、飽きたら容赦なく捨てる、という行為を繰り返していた。
「いつも言ってるだろ。おもしろければそれでいい。バカな女どもに痛い目を見せてやれれば、誰だっていいんだ」
相模にとってはただの遊び、暇つぶし。けれどターゲットにされた女は、玩ばれた挙句傷つけられる。
人を玩んで遊ぶなんて、いけないことだと解っているのに、友人として止めるべきだと思っているのに。
相模がすうっと冷たい目で、響に耳打ちする。
「分かってるよな? 響。邪魔をするなら……――」
最後の囁きは、周囲の音にかき消された。だが、響の耳にはしっかり届いていた。
響は青ざめた顔で、小さく「……言うとおりにする」とだけ呟いた。
さすがに家まであの三人と帰ってくるわけにもいかず、三人とは途中で別れた。
そういえば、響の様子が少し変だったが大丈夫だろうか?
「気になるなぁ……」
ぽつんと呟くと、珍しいことにスレイドが姿を見せた。周囲に誰もいないとはいえ、どうしたんだろう。
「私も少々、気にかかる点がある」
「え、スレイド……気にかかるって、何が?」
「あの茶髪の少年だ」
茶髪……さっきまで一緒にいた三人の中で、茶髪なのは相模だけだ。
「んー、柳原のこと? 柳原がどうかしたの?」
「ヤナハラ……あれは人の子か」
「? 決まってるじゃない。え、もしかして人外の気配でもするの!?」
半分は人外の血が流れているとはいえ、ころんには人間と人外の区別などつかない。
紗雪ならそういう気配を察知できるみたいだが、何も言っていなかったし。
「いや、あれは人の子だ」
「何よ、びっくりするじゃない」
「…………」
確かに気配は人の子そのもの。だが、似ている。あの方に。
顔も、魂も。そしてこの娘も。
スレイドは目を細め、ころんを見下ろした。首を傾げるころん。
何も言わず、スレイドはすっと消えた。そのまま気配が遠ざかる。
「!? ちょっとスレイド!? もう、なんなのよっ」
スレイドが他人を気にするなんて初めてだし、あんなことを言ったのも初めてだ。
いったい、なんだったのだろう。それに相模と会うのは初めてではないのに。
ああ、でも、彼は常にそばにいるわけではないんだった。
時々ふらりとどこかに行く。呼べば飛んできてくれるのだが。
スレイドのことは気にしても仕方がない。ころんは足早に帰った。
「ただいまー」
「おかえり、ころん」
靴を脱いでいると、背後に気配を感じた。怒りのオーラが出ている。それにこの声。
恐る恐る振り返ると、腕組みをして仁王立ちしている紗雪がいた。こめかみには怒りの四つ角が。
「ゆ、ユキ……なんで」
「話がしたくてさ、待ってたんだ。さあ説明してもらおうか? 一昨日も昨日も今日も、オレを放って帰ったそのワケを!」
(きゃーんっ、すごく怒ってるぅ~っ)
怒りのオーラを立ち上らせる紗雪に、ころんは震えあがった。
廊下の角から、シェルティナが申し訳なさそうに、お嬢様ファイトッ、とエールを送っていた。