第6廻 仮面の微笑み
入学二日目の朝。ころんは朝食を食べ終え、食器を流し場に置いた。
「ごちそうさま。今日もおいしかったわ」
皿洗いをするシェルティナにウインクするころん。シェルティナは皿洗いの手を止め、微笑んだ。
「光栄です、お嬢様。今日は早く起きられたので、さゆちゃんが迎えに来るまで時間がありますね」
「うん」
そうなのだ。今日はとても早く起きたので、シェルティナも驚いていた。紗雪もきっと驚くだろう。
驚かすために外で待っていようか。そう思い、カバンを持ってころんが家の外に出ると、門扉の向こうに誰かがいた。
「おはよう、ころん」
にこっと笑みを浮かべたその人物に、ころんは顔をしかめる。
「そんなあからさまに嫌な顔しなくても」
「なんでいるのよ」
エアバイクにまたがる少年――相模は満面の笑みを浮かべた。
「親交を深めるために、一緒に学園まで行こうと思って」
「そうだったの? わざわざありがとう。超迷惑。」
「笑顔でお礼言っておきながら最後は本音かい」
ころんは門扉近くまで歩いて行ったが、外には出ず、門扉横の壁に寄りかかった。
迎えが来るまで門の外には出るな、と父親から言われているので、ここで紗雪を待つのだ。
「私は別に親交を深めたくないわ」
「また昨日の奴らみたいなのにからまれてもいいの?」
昨日のことが思い出される。じりじり迫ってくる男たち。
相手にしてみればたいしたことではなかっただろうが、男が苦手なころんにしてみれば、迫りくる恐怖だ。
「あ、朝からいるわけないでしょう!?」
「それがいるんだなー、これが。ああいうのはしぶといから朝でもいるんだよ」
「た、たとえいたとしても大丈夫よ! お迎えが来るから一人じゃないもの」
そうだ。自分には頼もしい味方がいるではないか。
紗雪は従姉妹であり、学園でのサポート役でもあり、ボディーガードなのだ。紗雪は武術の心得があるので、あの程度の奴らなら簡単にいなせるだろう。
「ふぅん。でもさ、これから一年間同じクラスなんだし、少しくらい親交深めたって損しないんじゃない?」
一瞬、ドキッとする。確かに相模とは一年間クラスメートになるのだ。クラスメートとずっとぎくしゃくしているわけにもいかないだろう。
ころんはちらっと門扉の向こうにいる相模を見る。
視線に気づいた相模は、にこっと笑みを浮かべる。その笑みに、ころんは半眼になった。
(でも、なーんかうさんくさいのよね~)
昨日、男たちから助けてくれたお礼を言おうとした時の反応。どうも、からかわれているようで好きになれない。
けれども、悪い人ではないと思うし、少しくらいなら。
しばらく黙考したのち、ころんはヴァモバを開いた。紗雪宛で、先に行く旨をメールで送り、胸ほどの高さの門扉を開ける。
「仕方ないから一緒に行ってあげるわよ」
「よかった。じゃあ後ろ乗って」
男とエアバイクで二人乗りするのは初めてなので、ころんは一瞬ためらったが、しぶしぶ後ろのシートに座った。走り出してしばらくしてから、
「ころん、いくら舗装道路だからって、ちゃんとつかまってないと落ちるよ」
肩越しに振り返って相模が言う。そう言うのも、ころんはシートに横座りをし、シートの端をつかんでいるだけだからだ。
つかまれと言われても、つかまれるわけがない。触ったら翼が出てしまうのだから。
なので、ころんはぷいっとそっぽを向いて、つっけんどんに言う。
「そんなの、私の勝手でしょっ。あんたは前を見て運転してればいいのよ」
「ま、いいけど」
相模はヴァモバの時計をチラ見し、「今からだとまだ早いな」と呟き、ふと思い立った。
「よし、ちょっと寄り道していくか」
言うが早いか、ぐんっ、とハンドルを右に切る。
「きゃっ。ちょっと、急に曲がらないでよ! って、どこへ行く気!?」
「い・い・と・こ」
見知らぬ道にすいすい入っていく相模。降りることもできず、ころんは不安げに周りの景色を食い入るように眺めていた。
ヤバイところだったらダッシュで逃げよう、と心に決めて。
「到着」
辿り着いたのは公園の入り口。エアバイクから降り、相模はエアバイクを押しながら公園内へと入っていく。
公園と言っても、林の間にレンガ色の石畳の道が続いているだけで、それ以外は何もない。
きっと、入口に【弥栄第三公園】という看板がなければ、ただの林道にしか思わないだろう。
相模は黙々とその林道を奥へと進む。ころんはいまだ不安が晴れず、キョロキョロと見回し、前を行く相模に問う。
「ねえ……どこへ行くの?」
「いいから黙ってついてくればいいの」
ぴしゃっと言われ、ころんは口をつぐんだ。
(どんどん人気のないところへ行ってる。もしかして、油断させといてあんなことやそんなことをするんじゃ……)
最悪の事態を予想して青ざめたころんは、両手で頬を挟んだ。
「ころん、早くこっちに来てみなよ」
「ふあっ? は、はいっ」
呼ばれてころんは転びそうになりながら、相模のもとへと走る。
「ほら」
「?」
相模の隣に立ち、相模が指し示す方向へと目を向け、ころんは目を丸くした。
そこには円形の広場が広がっていた。中心には噴水。
天使をかたどった像が肩にかついでいる水瓶から、蕩々と水が流れ出している。
そして道に沿うように、一定の間隔で置かれた象牙色のベンチ。
林道を歩いていた時は暗くて気づくことはなかったが、朝日を浴びて青々と茂った樹木が風にそよいでいる。
相模はエアバイクを停めてベンチに腰掛け、これらに目を奪われているころんを見上げた。
「どう? いい所だろ」
「……うん。すごくきれい……」
噴水や樹木をうっとりと見つめるころん。ふらふらと誘われるように噴水に歩み寄る。
あふれ出す清水。ころんはそれを両手ですくい、さあっとこぼれ落とす。
広がる水は陽の光を反射し、虹色に耀く。水面に映る自分の顔を、ころんは手でかき回して消した。
波紋が広がり、瞬く間に元に戻ると、再びころんの顔を映し出す。ころんは微笑んで立ち上がった。
ゆっくりと回りながら、周りの木々を見渡す。そんなころんを相模は不思議そうに見ていた。
(すごくうれしそうだな。こんな奴は初めてだ。
今までいろんな女をここに連れてきたが、どいつも「何もなくてつまらない」とか言ったのに。
こういう静かで人気のないところの方がいいのか?)
相模は探るように、ただじっところんをじっと見つめていた。まるで踊るように回るころんに、一羽の小鳥が舞い下りた。
ころんは、つい、と腕を伸ばす。小鳥は臆することなくその指に止まり、ころんの指の上で毛づくろいを始めた。
そのたびに尾が指をかすめ、ころんはくすぐったそうに笑った。
その時、光の加減の幻か、ころんの背中に透き通るような羽が見えた。
その姿に、相模はどきっとする。それはまるで、女神のように思えたから。
けれどもそれは一瞬で、刹那の後にはころんは、小鳥と別れ、こちらに歩いてきていた。
「こんなところがあるなんて知らなかった。こんなきれいなところ、よく知ってたわね、柳原」
「え……ああ…前に、学校の帰りに回り道したらたまたまね」
「そうなの」
くるっと振り返り、ころんはもう一度、広場を見渡した。相模はそばに立つころんを見上げ、今までにない感情が生まれるのを感じた。
(なんだ? この感じ。ころんがそばにいると、胸があたたかい)
視線に気づき、ころんは「何よ」と顔をしかめた。
なぜか沸き起こる感情、胸の高鳴り。それを受け入れたくなくて、相模はごまかすように微笑んだ。
「いや……白だな、と思って」
「白?」
首を傾げるころん。その時、風が吹き抜け、ころんのスカートをふわりとめくった。
「!!」
ころんはあわてて、スカートを押さえた。「ほらね」とにっこり笑う相模。“白”の意味を理解し、ころんはスカートを押さえたまま、
「スケベ! どこ見てるのよ!」
「今のは不可抗力だろ? それに、風でめくれることに今まで気づかなかったのは、ころんの方だし。それほど鳥と遊ぶのに夢中だったってことだね」
イヤミったらしい笑みを浮かべる相模に、やっぱりヤな奴! と、ころんは相模を再認識した。
「それよりさ、俺のことは『相模』でいいよ」
「なんでよ」
「俺だけ名前で呼ぶのは不公平だろ?」
「む。いいじゃない、私がどう呼ぼうが柳原には関係ないでしょ。
そもそも、なんで呼び捨てにするのよ!」
「俺は女の子のことはみんな名前で呼ぶことにしてるの。
女の子にも名前で呼ばせてるし。だからころんも俺のこと……」
「気が向いたらね。絶対向かないと思うけど」
そっぽを向くころんに、相模は意地っ張りだな、と思い、くすっと笑った。
「何がおかしいのよっ」
「いや? そろそろ行こうか。遅刻したらヤバイだろ」
「ちょっ、待ってよ」
ころんはふてくされたまま、相模を追った。
相模はさっき感じた感情は、気のせいだと自分に言い聞かせた。そんなことあるはずはない、と。
心地よい朝の春風。しかし、今のころんにはそれを気持ちいいと思える気分ではなかった。
エアバイクを走らせつつ、相模は横目でころんを見る。
「まだ怒ってるの? あれは不可抗力だって……」
「そんなこと言って、ずっと見てたんでしょ!?
何度もスカートが風でめくれてるのを、私が気づかないのをいいことに!
スケベ! 変態!」
「見てたんじゃなくて見えたんだよ」
「たとえそうだったとしても! 碧君だったらきっとあんないい方しないわ!」
ぴくっ、と相模は“碧”に反応し、眉をひそめた。
「そんなに響のこと、気になるの?」
「え? 気になるって、いうか……」
「好きなんだ?」
「!!」
唐突に言われ、ころんは、ぼっ、と顔を赤くした。
「すす、好きってそういう意味じゃ……ラ、LIKEの方の好きよ!」
「LOVEの方の好きだろ? バレバレだよ。分かりやすいよな、ころんって」
「~んもうっ、なんでそういうこと平気な顔で言うのよ!
それにそんな大きな声で言わないでよっ、バカっ!」
怒鳴って、ころんはカバンでバシバシと相模の背中を叩く。
「いてっ、暴れるなって! うわ!」
「朝から騒がしい奴がいると思ったら、相模か」
どきん。
後ろ――相模から見れば右側――からかけられた声に、ころんの胸が高鳴る。肩越しに振り返り、名を呼ぶ。
「あっ、碧君っ」
エアバイクに乗った響は、相変わらずのしかめっ面だ。だが、ころんにとっては輝いて見える。
(きやーっ、朝から碧君に会えるなんて。どど、どうしよう。
って、朝会ったらまずは「おはよう」しかないじゃないの、バカころんっ)
葛藤の末、ころんはカバンを下ろしてあいさつする。
「お、おはよう」
一八〇度回転というつらい体勢のため、声が震え気味だが。
すると、響は「おはよう」と言ってから、ころんの前――相模から見れば左側――に、移動してくれた。
(きゃ~ん、碧君、優しい~っ)
その優しさに、ころんは感動する。だが、横目でころんの様子を見ていた相模にはおもしろくない。
なのでわざと、ころんには分からない話題を持ち出す。
「響。最近は麗美と会ってないんだな」
聞き覚えのない名前に、ころんはきょとんとする。女の子の名前なので、少し不安が混じる。
相模はわざと大きな声で、大げさな言い方をする。
「麗美が寂しがってたぞー? 会う機会減ったって。あ、もしかして痴話ゲンカ?」
「何をバカなことを言ってるんだ。今は少し家がせわしなくてな。それくらい麗美も知ってる」
「会いに行けなくても、メールか電話くらいしてやればいいのに」
わきあいあい(?)と話す二人を見ていて、ころんは疎外感を感じる。
相模も砕けたもの言いだし、二人は旧知の仲なのだろうか。
それに、知らない人の話なのだから、話に入れないのは当然だ。
ただ、その話の中心になっている“麗美”が誰なのか気になってしょうがない。
(麗美って誰~っ? 柳原もよく知ってるような口振りだし、心なしか碧君が――あの碧君が! テレてるような気がしなくもなく~っ!)
誰なのか訊きたいが、なんとなく訊けない。名前からして女だろうし、二人とも、特に響とは何やら親密な関係のようだし。
(もしかして、か、彼女とか? ありえなくもないわよね?
そんなっ。何を根拠にそんなこと言ってるのよ、ころん!
そんなわけないでしょ! いや、でも…)
などところんが、一人黙々と自問自答している間に、学園に着いた。
いつまでもシートから降りないころんに、相模が「そんなに俺の後ろ気に入った?」とからかいの笑みを浮かべると、ころんは相模の顔にカバンを叩きつけた。