表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/17

第4廻 春の息吹は運命を告げる

「一体なんだって言うのよー!」

 突如響いた怒声に、塀の上で気持ちよく寝ていたノラネコが飛び起き、ころんの形相に驚いて逃げ出した。

「同じ男の子なのに、どうしてああもちがうのかしら! 碧君なら絶っ対、あんな言い方しないわよっ!」

 カバンを振り回しながら、ころんは早足で道を行く。

「いきなり呼び捨てにするし…もう、ムカつくぅ~っ」

 ずしんずしんと地響きでも聞こえてきそうなほど、憤然と歩いていたころんだったが、ふと、背後の気配に気づいてこめかみを引きつらせる。

「ちょっと! あなた、いい加減に……」

 カバンを振り上げ、振り返る。――が、

「ひえっ、ぼ、僕は怪しい者では……っ」

 そこにいたのは中年の小太り男で、あの男ではなかった。

「……………ごっ、ごめんなさいっ! ちょっと人違いして……」

 振り上げたままのカバンを思い出し、ころんはあわててカバンを下ろして頭を下げる。

「いやいや、いいんですよ。ところで、僕、こういう者なんですけれども」

 男は小脇に抱えていたカバンのポケットから名刺入れを取り出し、ころんに一枚差し出す。

 ころんは名刺を受け取りはせず覗き込んだ。薄いカードに表示された画面を見て、眉をひそめる。

「タムラモデル養成所所長………モデル?」

「はい。それで、これが案内書(パンフレット)なんですがね」

 男はカバンからピンク色の分厚いファイルを出し、中を開いて見せる。

 何やらウンチクを話し出し、ころんは困惑しながら首を傾げた。

「――というわけでですね、あなたをモデルにスカウトしたいんですよ」

「……えぇ!? 私なんかには無理です!」

 モデルだなんて、そんなの恥ずかしい。ころんは顔と手をぶんぶんと横に振った。

「あなたには素質がありますよ。大丈夫。心配なさらなくとも、あなたならモデル界のトップスターになれますよ!」

「いえ、そうじゃなくて…」

「今なら契約金、お安くしておきますよ」

 にこにこと笑いながら近づいてくる男に、ころんは辟易する。

「け、結構です! 私、モデルなんてなる気ありませんっ」

「そんなぁ。じゃあ、せめて案内書(パンフレット)だけでも、今後の参考として差し上げますよ」

「い、いらないですっ。ほんと結構ですから!」

 案内書(パンフレット)を押し返し、ころんは駆け出そうとした。

「あ、ちょっと待ってよ」

 男の腕がころんの腕に伸びる。ぞくっ、ところんの背筋に悪寒が走った。

「やっ……さわらないでっ!!」

 恐怖から思わず目を閉じた。同時にバシッ、と音がする。

 触れるかと思っていた男の手は触れることなく、ころんはおそるおそる目を開いた。

「!」

 開いた目に映ったのは、倒れゆく中年男の姿――と、

「押し売りってのは、お前みたいなのを言うんだな」

 カバンを持った手を、男に向かって伸ばしている相模だった。どうやらカバンで男の後頭部を殴ったらしい。

 わずかに目尻に涙を浮かべ、ころんは目を瞠った。

「ななな……いきなり何をするんだ、君はぁ! 営業妨害で訴えるぞぉっ」

 地面に手をついた中年男は拳を振り上げ、情けない声で叫ぶ。

 相模はぎろっと中年男を睨みつけ、ずいっと中年男の目前に顔を寄せた。

「やれるものならやってみなよ、おじさん。あんたなんかに負ける気はしないね。――それに」

 すうっと目を細め、相模は男だけに聞こえるよう声をひそめた。

「この(こいつ)は俺の獲物なんだ。余計なことしてんじゃねぇよ、バーコードハゲ」

「ひっ。ひぇえええっ」

 相模の言いようのない迫力に、中年男は散らばったカバンの中身を拾い集め、逃げ出した。

「そんな度胸もないくせに、訴えるなんて言うなよな。あーあ、新品のカバンなのに、あんな中年男なんか殴ったりしたから汚れた」

 カバンをはたきながらひとりごちると、相模はころんを振り返って微笑んだ。

「大丈夫か? ころん」

 その表情(ほほえみ)に、トクン…ところんの心臓が小さく脈打った。

 初めて会う人なのに、初めて見る顔なのに、なぜか懐かしさを感じる。

 男が近づくたびに走る悪寒も、背中のざわめきも今はない。むしろとても落ち着いている。

(なんなの? この感覚。妙になつかしくて、あたたかい……)

 戸惑いながらも、ころんは「あ……うん……」と頷いた。

(最初はイヤな人だと思った。でも、今はちがう。なんだか頼もしくて、そして――)

 見つめてくる相模の目を見つめ返すころん。ほんの少し、相模に対する印象が変わった。

「この辺りはあーいう奴が多いから気をつけなよ?」

「うん……あの、さっきはひどいこと言って……ごめんなさい。それと、あり……」

「お礼ならほっぺにちゅーでいいよ」 

 ころんの言葉を遮り、相模はにっこり笑って頬を指差す。ぴきっところんのこめかみに青筋が立つ。

(………………前言、撤回!!)

 ぐっと拳を握りしめ、ころんはきびすを返し、すたすたと去っていく。

「ころん? 待ってよ」

 相模はエアバイクにまたがり、ころんに合わせたスピードでころんの横を走る。

「ついてこないで! 何よ、せっかくお礼言おうと思ったのに!」

 相模と目を合わせず、ころんは怒鳴った。しかし、相模は気にした風もなくにこにこ笑って続ける。

「だからほっぺにちゅーで……」

「ふざけないでよ!」

「俺はマジだよ、ころん」

「ついてこないでってばっ。それに呼び捨てにしないでって言ったでしょう!?」

 さっきまでの頼もしさはどこへ行ったのか。一瞬でも格好いいかもとか思った自分が悔しい。

「この辺りはあーいう奴が多いって言っただろ? だから家までついていってあげるよ」

「家まで!? 冗談! やめてよ!」

「またあーいうのに捕まってもいいの? 今度は助けてやらないよ? それでもいいならいいけど」

 ぴくっ。

 一瞬、ころんは迷った。だが素直になれず、そっぽを向いた。

「そ、それでも結構です! さっさと帰りなさいよ!」

「本当に帰っていいの?」

「…い、いいわよ?」

「ふーん」

 相模はにやっと笑い、エアバイクを止めた。

「じゃあ俺は帰るよ。また明日な、ころん」

「はいはい、さようなら!」

 止まりもせず、振り返りもせず、ころんは言った。

 しばらくして、ころんはつと止まり、振り返ってみた。そこに相模の姿はない。

(…………)

 ころんはふっと表情に影を落とした。

「何…期待してるのよ、バカころん」

(あんな、他人をからかって楽しんでるような人に、期待なんかしちゃいけないのよ)

 とぼとぼと歩き出すころん。その時、エアバイクの小さなモーター音が聞こえ、ころんは反射的に振り向く。

 振り向くと、ころんの横を主婦らしき人がエアバイクで通り過ぎていき、ころんは内心でがっかりした。

 そこへ、横の道から出てきた若い青年がころんに近づいてくる。

「お。そこの君、かわいいじゃん」

「な……なんですか?」

 カバンを胸に抱え、ころんは怯え気味に後退する。

「あー、怖がらなくていいって。別に取って食おうってわけじゃないからさ。ただちょーっとお兄さんに付き合ってもらえれば……」

 バンッ。 

 かなり怪しい笑みを浮かべて近寄ってくる青年の横顔に、黒いカバンがどこからか飛んできて、見事命中。

「いって! どこの誰……」

「お兄さーん? その子に手を出したら――俺が許さないよ?」

 満面の笑みで現われたのは相模だった。最後だけは、きっちり凄みをきかせる。

 青年はびくーっと体を硬直させ、何も言わず撤退した。

「まったく。だから言っただろ? ああいうのが多いから気をつけなよって」

「あ、あなた、どうして…さっき帰るって言ったじゃない! それに助けないって……」

 困惑顔のころんに、相模は小さく肩をすくめた。

「何言ってるんだよ。危険だって分かってるのに、女の子一人で帰らせるほど、薄情な男じゃないの、俺は」

「……」

「そんな目を丸くするようなことじゃないと思うんだけど。まあいいや。ほら、行くよ」

「行くってどこへ?」

「……家に帰らないつもり?」

 呆れてため息をつく相模。ころんは「ああ」と気づいて、ぽんと手を打った。

「ころんがなんと言おうと、今度こそついて行くからな。危なっかしくて見てられないんだよなー」

 ぶつぶつ言いながら、相模は投げつけたカバンを拾い、シート下の収納スペースに放り入れる。

(なんだかんだ言って、助けてくれるんじゃない)

 ころんは遠ざかっていく相模の背中をまたも懐かしく感じ、笑みをこぼした。

 ――自分勝手な奴だけど、

「おーい、次どっち?」

 ――ほんの少しだけなら、信じてもいいかもね。

 丁字路で止まり、振り返っている相模を見て微笑み、ころんは相模のもとへと駆け出した。



「じゃあ、俺はこれで」

「うん。送ってくれてありがとう」


 門扉を挟んで、ころんは相模に小さく手を振った。相模はUターンし、肩越しに手を振って去っていった。

「ちょっとムカつくけど、悪い人でもなさそうね」

 微笑んで、ころんは家の中に入った。

「ただいまー」

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 洗濯かごをも持ったシェルティナが、ぱたぱたと廊下を走ってくる。ちょうど洗濯物を干し終わったところらしい。

「学校の方はどうでした?」

「うん、想像してたより綺麗だし、なんと言っても広いわ! ガイドはあちこちにいるけど、迷子になりそう」

 初等部から高等部まですべて含めると、まるで一つの町だ。

「それは大変。しっかりさゆちゃんに見ていてもらわないと」

「そうそう、ユキとはクラスが離れちゃったのよね」

「あら、もっと大変っ。何かあったらフォローできませんね」

「その時は私が出る」

 低い男の声がしたかと思うと、何もない空間から変わった風貌の青年が現れた。

 青年は中空で両腕を組み、座るように足を組んでいる。

 外見は二十代半ば頃だろうか。両目の下から下あごにかけて赤いラインが入っていて、双眸は瑠璃色。

 外側にはねている髪は柑子色で、尖った耳の前に垂らされている髪だけが長く、若竹のような色だ。

 上部が身頃のみの服を着ており、下部は両脇に大きくスリットが入っている。両側のスリットから見える素足は、ふくらはぎを白い布で覆われている。

「スレイド。最近出てこないと思ったら」

「必要がない」

「相変わらず冷めてるわね」

 ころんが肩をすくめる。青年は人間ではなく、人外。それも、人間からは悪魔と呼ばれる種族――魔族だ。

 彼は神族であるころんの母・カーレンとは敵対する種族だが、なぜかころんを守護している。

 母となんらかの約束をしていたらしいのだが、詳しいことは聞かされていない。

 人前では姿を見せず、時々こうして家の中や誰もいないところでは姿を見せる。

 口数が少なく淡々としているが、優しいところもあると信じている。

「まあいいわ。何かあったら助けてね。スレイドったら呼んでも出てこない時あるんだもん」

「たいした用でもないのに呼ぶからだ」

「コミュニケーションを取るためでしょ」

 リビングに入り、ソファーに座った。スレイドは宙に浮いたまま、あさっての方向を見ている。

 まったく、いつもこうだ。返事はするが必要最低限。滅多に目も合わせないし。

「お嬢様、昼食はいかが致しましょう」

 シェルティナが笑みを崩すことなく尋ねる。

「そうね……あっ、スパゲッティ! きのこクリームのがいいな」

「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」

 ダイニングへと向かうシェルティナ。ほんの数十秒で戻ってきたシェルティナは「申し訳ございません」と、肩を落とした。

「クリームソースが切れてしまっているようで……」

「そうなの? 残念」

「まことに申し訳ございません。わたしの管理ミスです。今すぐ買って参ります」

「え? ないならそれでいいわよ。わざわざ買ってこなくても」

「いいえ、キッチンを任せられている者として、このような事態を招いてしまったことに対し、責任を取らなければなりませんので」

 そう強い口調で言うシェルティナに、ころんはため息をついた。

(責任感が強いところはシェルティナのいいところなんだけど、それがちょっと強すぎるから、悪いところでもあるのよね)

 ころんはカバンから財布を出しながら「いいわよ。それくらい私が行ってくるから」とリビングを出ようとする。

「いけません……! これはわたしのミスです、お嬢様の手を煩わせるわけには……」

「そのお嬢様が自分で行くって言ってるんだからいいの。確かメルディに売ってたわよね」

「そうですが……ではスレイドさん、いつものように……」

「待って、今日は一人で行くわ」

 ころんの言葉に、シェルティナは目を瞠った。ころんはあまり家から出ることはない。

 一人で出かけることはまずなく、外へ出かける時はシェルティナか、スレイドが人間の女性に変化してついていく。

 それは男に触れてしまわないように、と父が用心のために決めたことなのだが、高学校入学を機に、そういった習慣を終わりにしたいところんは考えていた。

「大丈夫よ。私ももう高学生なんだから、いつまでもシェルティナたちに甘えているわけにはいかないもの」

 一人で出かける気満々のころんの笑顔に、シェルティナは不安ながらも折れた。

「ですがやはり心配です。スレイドさんだけはお連れ下さい!」

「仕方ないわね。変化して一緒に行くんじゃなければ」

「それでは……スレイドさん、お願いします」

 スレイドは無言ですうっと消える。見えないが近くにはいるだろう、普段のように。

「お嬢様、くれぐれもお気をつけ下さいね」

「うん、いってきます」

 気遣わしげなシェルティナに見送られ、ころんは初めての一人での買い物に出かけた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ