第3廻 桜風運ぶ廻り逢いし時
入学式が終わり、江野沢がリモコンのスイッチを押すと、スクリーンは電源が落ち、自動で天井に収納された。
リモコンを教壇に戻し、江野沢は出席簿を見ながら、
「外部から来た生徒は驚いただろうけど、学園長のあの格好と奇行は通常運転だから気にすることないぞー」
江野沢はからからと笑っているが、すぐには受け入れられそうにない。
「それと、みんなには在学中に必ず携帯してもらいたいものがあるので、今から配るぞ。内部の生徒は持ってるから、外部の生徒にだけな」
そうして配られたのは名刺のような電子カードだった。下部に一つだけ薄いボタンがある。
「これはクリエイトカード。これはクリエイト学園の関係者全員が持っていてな、学園の行事予定などを連絡するためのものだ。
クリカは学園関係者であることを証明するものでもあり、生徒は常に携帯しなければいけない。
学園からの連絡事項はクリカのメールで通知される。使い方は下のボタンを押して電源を入れると、メニューにヘルプがあるからそれを読むように」
クリ学にはこんなものがあるのか。ころんは電源ボタンを押して電源を入れてみた。
黒かった表面が明るくなり、3Dの待ち受け画面が表示された。アナログ時計と、いくつかのメニューアイコンだけのシンプルな画像。
(入ってるのは……メールとメモ帳とカレンダー、それに学園のマップとプロフィール、設定とヘルプだけなのね)
画面をタッチして操作する。ヘルプを開くと説明の目次が出てきた。ヴァモバと使い方はそう変わらないようだ。
その後、一人ずつ自己紹介をし、学園の仕組みや注意事項などの説明を受け、HRは終了となった。
「っと、言い忘れるところだった。明日の予定だがー、明日は新入生歓迎会がある。詳しいことは入学案内に書いてあっただろうが、何か質問は?
――ないな。それじゃ、明日も元気な顔見せてくれよ!」
出席簿片手に、江野沢は教室を出る。窮屈な時間が終わり、生徒たちはすばやく帰り支度を始める。席を立つ響に、ころんは思わず声をかけた。
「あっ、碧君!」
気づいて響はころんを見下ろす。本人にその気はないのだろうが、ころんは睨まれた気がして、つい謝ってしまった。
「あ……ごめんなさい」
「なんで謝るんだ? 謝られるようなことはしてないぞ」
「あ、そうよね、ごめんなさ……じゃなくて、そのっ………また明日ね」
ぽそっと言われ、響は目を瞠った。
「……」
「あっ、それを言いたかっただけなの! 引き止めてごめんなさい! って、また謝っちゃった…っ。えと…その……」
わたわたとうろたえるころん。響は無言で背を向けた。
怒らせてしまったのかと、ころんは不安になる。が、予想に反して、響は背中を向けたまま、たった一言「また明日」と言って、教室を出て行った。
響はいなくなってしまったが、ころんの頭の中は響でいっぱいだった。
一目ころんを見ようと、他のクラスからやってきた男子生徒たちの、視線や声も気にならないほどに。
そんな二人を、相模はカバンを肩に乗せ、睨み続けていた。
「はぁ……」
空を見上げたまま、ころんはため息をついた。
本当は紗雪と一緒に帰る予定だったのだが、一人で帰りたい気分だったので、紗雪を説得し、一人で帰ることをなんとか許してもらった。
学園を出てからというもの、数メートルごとにこうしてため息をついている。原因は響である。いまだにさっきのことが忘れられないのだ。
(碧君……なんで碧君のことが、頭から離れないんだろう。碧君のことを考えるとどきどきするし、顔が熱くなる。もしかして、これが恋……なのかな)
「はぁ。――!」
頬を押さえてため息をついた時、背後に生まれた違和感。距離は遠くも近くもない。
ころんがちらりと横目で後ろを見ると、エアバイクを手押ししている少年が一人。
ころんはカバンの取っ手をぎゅっと握りしめ、歩調を速める。同時に背後の少年の動きも速まる。
(ついて……来てる。一体なんなの? 弥栄方面はあまり来たことないから勝手がよくわからないっていうのにっ)
ムキーっと肩を怒らせ、さらに歩調を速める。気配は依然、近からず遠からずの距離を保ったまま。
(ほんとになんなのぉ!? 気持ち悪いったらないわ!)
やっぱり紗雪と一緒に帰るべきだっただろうか。耐え切れず、ころんは走り出した。
「! ……っ」
後を追っていた少年は、さっとエアバイクにまたがり、発進させた。
ころんは横目で後ろの男がちゃんとついて来ているか確認し、すばやく脇の曲がり角を曲がった。
少年はゆっくりと走ったまま角を曲がる。その瞬間!
「うわっ!!」
曲がったところに、ころんが腕組みをして立っていたのだ。少年は避けようとあわててハンドルを切る。
ブレーキをかけて、ハンドルを握ったままエアバイクから降りる。
「ふう」
「ふうじゃないわよ」
怒りを押し殺した声に、少年がぎくっと振り返った。
「あなた、誰? なんで私を追い掛け回したりしてたんですか?」
ころんはじっと少年を睨みつける。ところが、少年はにやっと口の端を上げ、
「ひどいなあ。さっきも会って、手を取り合った仲なのに」
「え? ……あっ」
よく見れば、彼は掲示板の前でぶつかった少年だった。あの後、響との出会いなどいろいろあったので忘れていた。
「ごめんなさい、あの時は逃げるような形になってしまって……」
「ふふっ。気にしてないから大丈夫だよ、高天ころんさん」
「! どうして私の名前……っ」
「気づいてなかったんだ。同じクラスなんだよ、俺たち」
「そっ、そうなの!? 自己紹介の時はボーっとしててほとんど聞いてなかったから……」
全然気づかなかった。あまりクラスの中は見ていなかったし、響のことが気になっていて上の空だったのだ。
「じゃあ改めて自己紹介。俺は柳原相模。よろしくな」
にこっと笑顔を見せる相模に、ころんは一瞬どきっとした。
(!! な、なんで私、こんな人にときめいてるのよ! こんなストーカーみたいな人に!)
刹那のときめきを振り払い、ころんは相模を睨み見る。
セピア色の髪。黄色がかった灰色の瞳。ころんより頭半分ほど高い背丈。たぶん紗雪とそう変わらないだろう。
何より、聞き覚えのあるような/ないような、よく通る涼しげなテノール。
(さっきもちょっとだけ気になったけど、この人、昔どこかで会ったことあるような……)
じぃっと見ていると、相模はにやっと笑った。
「俺に見とれてる?」
「なっ、そ、そんなのじゃないわよ!」
「そんなに見つめられると穴が開いちゃいそうだな」
「だから違うって言ってるでしょっ。うぬぼれないで!」
そりゃあちょっとかっこいいかもとか思ってしまったけれど、断じて見とれてなんか。
「そう恐い顔しないでよ。そんな顔をしてたら」
すっ、と相模はころんの髪を一束手に取り、その一束に口づけしながら、上目遣いにころんを見上げた。
「かわいい顔が台無しだよ。ころん」
「……っ」
かあっと顔を赤らめ、ころんは相模の手を振り払った。
「……初対面なのに、勝手に呼び捨てにしないで…っ」
恥ずかしくて、顔を上げていられない。ころんは俯いて声を絞り出した。相模はくすっと笑って、
「さらに恐い顔になってる。さっき、自己紹介の時にボーっとしてたって言ってたけど、響のこと考えてたんだろ?」
「!」
どうしてわかったんだろう。響の方を見ていたわけでもないのに。
「ちっ、ちがうわよ!!」
「人は図星を指されると、黙り込むかムキになるけど、ころんは後者みたいだね」
くすくすと笑う相模。それがなんだかバカにされたみたいで、ころんはきびすを返した。
「ころん? どこへ…」
「帰るに決まってるでしょ! なんなの、あなた…人をストーカーみたいに追いかけ回して、その上、初対面なのに呼び捨てにしたりして……
人をからかってるヒマがあったらさっさと帰りなさいよ! 私は…あなたみたいな人につき合ってるヒマなんてないのよ!」
そう言い残して、ころんは逃げるように走り去った。相模はエアバイクのハンドルにもたれかかり、ほくそ笑んだ。
「やっぱり、毀しがいがある女だな。あの女の毀れた時の顔が楽しみだ」
暖かい春の風とは裏腹に、相模の笑みは冬の空気のように冷えていた。