番外編 受難と言うか、彼の場合は自業自得
ある日曜日の朝。佑輔はるんるんと相模のマンションに向かっていた。
エアバイクを駐輪場に停め、買い物袋を提げて、軽い足取りで相模の部屋を目指す。
(いい天気だなー。さーちゃん、もう起きてるかな? 日曜だからまだ寝てるかも。まだ寝てたら朝ごはん作ってあげようっと)
大きめのリボンで髪を二つに結い、チェックのワンピースにジーンズといういでたちの彼は、どこから見ても女の子だ。
鼻歌交じりに相模の部屋まで行き、呼び鈴を鳴らすが、反応がない。やはりまだ寝ているのかもしれない。もう一度鳴らしてみる。無反応。
仕方がないので合鍵を出そうとした時、ガチャリと鍵の開く音が。
「……んー、どちらさん?」
寝ぼけ眼の相模が、重い瞼を気力で押し上げながら顔を出す。寝癖で髪がはねている。
「おはよっ、さーちゃん」
「……あー、ユウか」
「その様子だとまだ朝ごはん食べてないよね? 作ってあげるっ」
「おー、サン……、!」
礼を言いかけ、相模の脳が急激に覚醒した。ユウ。まずい、今部屋に入られるわけにはいかない!
昨夜バイトから帰ってきた時、疲れていたので部屋の片づけをせずに寝てしまったのだ。
部屋の惨状を思い出した相模は、冷や汗を流して作り笑いを浮かべた。
「いやっ、今日は大丈夫! あ、いやご飯作ってくれるのはうれしいんだけどさ、今じゃなくてもいいっていうか、部屋で食べなくてもいいっていうか。
あ、食べるなら外行こう! ファミレスにでも行ってさ。すぐ着替えるから部屋には入るな!」
「えー? でも食材持ってきちゃったし」
と、佑輔は中を覗こうとする。相模がさっと体を移動させ、佑輔の視界を遮る。
ひょい、さっ。ひょい、さっ。………………。
頑なに中が見えないようにする相模に、佑輔は不審なまなざしを向ける。
「……さーちゃん、もしかして」
「んー? なんでもないよ。大丈夫、すぐ着替えてくるからユウはここでおとなしーく待っててくれ」
声が裏返っている。佑輔はますます半眼になり、
「ボクに中に入られちゃまずい理由があるの? あるんでしょ」
ぎくうっ、と相模は硬直する。そこにすかさず、佑輔は必殺の泣き落としをお見舞いする。
「ヒドイよ、さーちゃん。ボクを閉め出すなんて。ボクってさーちゃんにとってはその程度の存在だったの……?」
「!!」
ズギューン!
目を潤ませ、しおらしい声で見上げてくる佑輔に、相模の脳が思考停止する。その隙に、佑輔はするりと部屋の中に入った。
「……はっ。ユウっ!!」
一拍遅れて我に返った相模が慌てて追いかけるが、すでに時遅し。
ソファーの上やら脇やらに脱ぎ散らかされた服。部屋のあちこちに散乱している本やCD、DVDの数々。
ミニテーブルの上には出されたままの食器やペットボトル。台所に視線を移せば、溜まった洗い物。
リビングの入り口で立ち尽くしている佑輔の後ろで、相模はあわわわと震えた。
「……さーちゃん」
「はっ、はいぃぃぃっ!」
普段の彼からは想像もつかない無感情な淡々とした声音に、相模の肩が跳ね上がる。
「ボクが前にここに来た時、なんて言ったのか覚えてる?」
「あ、えーと……『ゴミはゴミ箱、洗い物はその日のうちに。服は脱いだら洗濯機、出した物は必ず元の場所へ』……だったと思いマス」
「へー。覚えてたんだ。エライエライ。――で、ボクが最後にここに来たのはいつだっけ?」
振り返らない佑輔の背中が怖い。相模は今すぐにでも逃げ出したい衝動を抑えながらなんとか答えた。
「……え、えーっと、確かおととい…デス」
「そう。おとといなんだ。つまり二日前。正確には三十三時間十五分前だね。たったそれだけの時間しか経ってないのに……」
ゆらりと佑輔が振り返る。その直後、相模しか知らない佑輔の大喝が落ちた。
「なんでここまで散らかってるんだぁ――――っ!!!」
「ひぃぃぃぃぃっ」
佑輔の凄まじい形相に相模はすくみ上がる。相模は案外片づけるのが苦手で、物を放置する癖がある。綺麗好きな佑輔にはこの状況は許しがたいのだ。
しかも相模は注意をしても、癖がなかなか治らない。そのため、数日間訪ねないでいると、たちまちこんな状態になる。
そのたびに、佑輔は部屋を片さざるを得ない。あまりの汚さに、いつもつい本性が出てしまう。
佑輔は買い物袋を振り回し、ずかずかとリビングに入った。
「何度言わせれば分かるんだよ!! 服は脱ぎっぱなしにするな! 本やCDも放置しない! 洗い物もゴミも溜まってるし、この二日間なんの整理もしてないだろ!!」
「いえ、あの、す、すみませ…」
「ご飯作るのはやめ! 今すぐ片づけるぞ!」
「え、でも」
「文句あるのか」
ぎろりと睨まれ、相模は震える声で「ありません……」と涙した。佑輔は買い物袋をカウンターの上に置き、洗い物に手を伸ばす。
「洗い物はボクがやるから、さーちゃんはそこの食器持ってきて服を洗濯機入れて来い!」
「はいぃ……」
そうして、朝ご飯を食べられたのはその三時間も後で、ほとんど昼ご飯と変わらなかった。
ユウの本性を知らない人は幸せだよな……と、相模は説教されるたびに思うのだった。