第10廻 放課後のお誘い
深紅の髪、緋色の瞳。ハーフリムの眼鏡。やわらかい微笑みは非常に魅力的だが、幼さが滲み出ている。
なぜなら、彼の外見年齢を問われたら、十人中九人は「中学生くらい?」と答えるだろうから。
カーテンの向こうにいたのは見知らぬ医師ではなく、ころんの実父・高天 恩だった。
父と言っても、見た目が若い並ぶと同級生か、兄妹もしくは姉弟にしか見えないが。
「な、なんでパパがここに?」
「いやぁ、シェルティナから今日のことを聞いていてね。来る予定だった医師に脅しを――無理言って代わってもらったんだ」
少し気になる単語が含まれていたが、恩はにっこりと笑顔で告げた。そうか、だから紗雪は安心したと言っていたのだ。確かに安心は安心だが……
恩はイスから立ち上がり、ころんに歩み寄ると「会いたかったよ、ころんー!!」と歓喜の声を上げ、がばっところんに抱きついた。
「きゃあっ。ちょっと、パパ!」
「ああ、懐かしいなぁ、この感触。もう一ヶ月くらい会ってないんだよなぁ」
「何言ってるの、パパッ。たった三日でしょ!」
「俺にとっては一ヶ月なんだぁぁぁぁっ」
泣き叫ぶ恩。さっきまでの落ちつきはどこへやら。
男に触れてしまうという懸念は払拭されたが、これだから完全に安心とは言い切れない。
恩は娘を溺愛していて、こんなことは日常茶飯事だ。
斂子の血は、男でも血の繋がった父親なら反応しないようで、恩ならこうして触れあっても翼は出ない。
彼は多忙のため、時には病院に泊まり込むこともある。なので、ころんが恩に会うのは三日ぶりだ。
ころんのぬくもりを全身で味わうように、ぎう~っと抱きしめて頬を擦り寄せる恩。
はたから見れば、兄もしくは弟が抱きついているように見えることだろう。実際、親子に見られたことはない。
だが、恩の髪と眼を見て親子だと納得する人も多い。彼の髪と眼は生まれつきで、白凰という不老長寿一族なのだ。
白凰一族は東洋に多く存在する一族で、深紅の髪と緋色の眼――絳髪緋眼が特徴である。
ころんは神族である母・カーレン似なので絳髪緋眼ではないが、紗雪は恩の姉でもある母親譲りで、絳髪緋眼なのだ。
ころんが呆れて小さくため息をつくと、恩の傍らに立っていた先ほどの医師がくすくすと笑った。
「やっぱりこうなると思った」
「光里ちゃん、笑ってないでパパをなんとかして」
「ふふ、ごめんごめん」
彼は三枝光里。クリ学診療所の非常勤医だ。時々、医務室にも出入りしている。
恩とはいとこ同士で、ころんの家庭教師をしていたこともあり、家族ぐるみで親しい。
ころんがクリ学に入学した理由、それは彼に会うためでもあった。昔から彼に憧れているから。
「恩さん、感動のご対面はそのくらいにして、診察始めて下さい」
「光里ちゃんっ、俺の癒しの時間を奪うと言うのかっ?」
「ころんちゃんが困ってますよ? それに、まだお仕事あるんですから早く終わらせないと」
苦笑しながらもきっぱりと言ってくる光里に、恩は泣く泣くころんを放した。
我が父親ながら、この娘煩悩振りには困っている。いい加減、子離れしてもらいたいのだが。
診察が終わると、また恩に抱きつかれる前に、ころんはそそくさと出てきた。待っていた紗雪と教室へ戻る。
今日の日程はこれで終了。無事に終わって、ころんはホッとした。
クリ学に入学することが決まってから、ずっと会いたかった光里にも会えたし、上機嫌だった。
帰りのHRが終わり、晴れ晴れとした気分で帰り支度をする。
「高天」
声をかけられ、ころんは隣に目をやる。帰り支度を終えた響が、少し言いにくそうに告げた。
「……二人きりで話したいことがあるんだ。一緒に帰らないか」
衝撃の言葉。戸惑いがちに見つめてくる響。ころんは目を丸くして、響の顔を見返した。
(うそっ、碧君の方から誘ってくれるなんて……うれしいっ)
ころんは頷きかけて、はっと思い出す。紗雪に、男と二人で帰るなと言い渡されていたことを。
(今度は…ちゃんと言っておかないとよね)
そうでないとさすがにまずいだろう。ころんは響に「ちょっと待ってて」と言い残し、急いで紗雪のクラスへと走った。
「……というわけだから、碧君と二人で帰っちゃダメ?」
「…………」
しばらくジト目で思案していた紗雪だが、ころんの縋るような視線に大きくため息ついた。
「しゃーない。いいぜ」
「ありが……」
「その代わり、離れたところからついてく。妙なマネしそうだったら容赦なく碧を張り倒す。以上」
「……わかりました……」
これ以上は譲らないだろう。一応、響と二人で帰ることを許してもらえたわけだし、反論できるはずもない。
そうして、響と並んで学園を出たわけだが、響は一向に話とやらをしてくれない。そのため、余計にころんの心臓の鼓動は高まるばかり。
(う~、なんだろう、二人きりで話したいことって……気になる気になる~っ。
それに、碧君と二人きりで帰るのは初めてだし…っ、ぅあ、二人きりになるのは初めてじゃないけどぉ~。
~~~とにかく、心臓が口から出てきそうよぉーっ!)
「……高天」
「はははいぃっ!」
立ち止まり、ようやく響が口を開いた。
ころんはどきっとし過ぎて、危うく翼が出てきてしまうところだった。なんとか押しとどめたが。
「な、何……?」
「その……会って間もない高天に、こんなことを言うのは悪いとも思うんだが……」
本当に心臓が飛び出しそうだった。ころんは胸を押さえ、響の横顔を見つめる。
「明日の土曜日、家に来てくれないか」
「………………え?」
ころんはだらだらと脂汗を流す。混乱のため、にじみ出る笑顔。
(い、家……? それって、もしかしたら、ご両親にお会いすることになるかもしれない……のよね?
まさか、ご両親に私を紹介したいと暗に言ってたりする!?
ダメよ、碧君! 私たち、本当に会ったばかりなのに、いきなりご両親に紹介だなんて……!)
期待に妄想が膨らむ。頬を両手で押さえ、身悶えするころん。
「明日、両親とも学会に出席するため、家に誰もいなくなるんだ。
だから弟たちの世話をするのが……まあ、俺だけになるんだが、俺一人では手が足りなくてな。そういうわけで手伝いに来てもらいたいんだ」
目を点にするころん。
「手伝い?」
完璧な早とちり。ころんは顔を真っ赤にして逸らした。
幸い、響はころんの方を見ていなかったので、今の醜態は見られていない。
「明日、何か予定があるか? あるなら無理しなくていいぞ。他を当た……」
響の言葉に、ころんはぐわっと顔を上げ、響に詰め寄った。
「大丈夫! 平気! もう暇すぎて明日、何しようか迷ってたところであります!!」
「そ、そうか。ならいいんだが…」
ころんの剣幕に、響はわずかにたじろいだ。
(両親がいない。ということは二人きり!(弟さんたちいるけど) 碧君に近づくチャーンス!
こんなチャンス、二度とないかもしれないもの。逃がす手はないわ!
それに……碧君、困ってるんだもん。少しでも碧君の力になれたらうれしいし)
ころんはすっかり舞い上がっている。遥か後方で紗雪が目を光らせていることも忘れて。
響はカバンから紙を取り出し、さらさらと何かを書きつけ、ころんに差し出した。
「高天、これが家までの地図だ。それと悪いんだが、八時くらいには来てくれないか」
「八時? いいわ」
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね!」
響と別れてから紗雪が近づいてきて「何事もなかったようだけど、メチャクチャ変な顔してるな」ところんのゆるんだ顔を、おもしろくなさそうに睨んだ。
紗雪には響との会話は聞こえていなかったらしいが、ころんの反応が気に食わないようで、不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんだってそんなにやけてんの。碧に何言われたんだよ」
頬を上気させ、眉を八の字にさせているころんに紗雪は問いかけた。
こういうゆるんだ顔をしていると恩と似ている。さすがは親子。
それを口にしたら、ころんはなんとも言えない顔をするだろうが。
「えへへ~、かくかくしかじかでどきどきなの」
「かくかくしかじかじゃ分からん」
「んーとね、明日、碧君の家に行くことになったの」
ぴたりと紗雪は立ち止まった。……なんだって? ころんは立ち止まった紗雪に気づかず、ほてほてと歩きながら続ける。
「明日はご両親がいなくて、弟さんたちの面倒を一人で見るのが大変だから、手伝いに来てくれって」
「……それで、あっさり承諾したってわけか」
「うんっ」
……なんだってこいつは。紗雪は拳を震わせたが、またキレたところで、ころんのこの様子では、碧家に行くことをやめるとは思えない。
たぶん、しおしおと謝りながらも、最後には「お願いだから」と言われてしまうだろう。
ころんに“お願い”をされると、千の言葉も消え失せる。
だから、そうなる前に言い含めるのだ。先に押さえてしまえば、性格上、ころんはこちらの意見を受け入れる。先にやったもん勝ちなのだ。
ころんの無意識の“絶対的手段”を使われる前に、紗雪が手を打っているので、ころんの方が押されているように見えるだけで、本来の主導権はころんにある。
なぜなら、ころんは紗雪にとってはただのイトコではないから。
紗雪にとってのころんは、助けなくてはいけない、守らなくてはいけない大切な存在なのだ。
浮かれて紗雪の様子に気づいていないころんは、碧君の家ってどんなだろうと想像を膨らませていた。
あんなにうれしそうなころんにまた怒鳴りつければ、きっと哀しむ。
本当は昨日だって、本気で怒るつもりはなかった。
けれど、一緒にいたというあの男の存在が、一線を超えさせた。
キレた本当の理由は、あの柳原のせいなのだ。
一緒にいたのがあの男でなければ、あそこまでキレることはなかった。……たぶん。
だからあれは八つ当たりのようなもので。隠したことについてはころんが悪いと思っているが、ころんを困らせたのは……自分が悪い。
武術をたしなんでいる祖母から常々、冷静でありなさいと言われていたのに。
『昂った感情は能力を高めることもありますが、怒りは時に、腕や判断を鈍らせますよ』
どうも自分は感情制御が苦手のようだ。紗雪は一度深呼吸し、握り拳をほどいた。
そこでようやく、紗雪が隣にいないことに気づいたころんが振り返った。
「ユキ? どうしたの?」
「……はあ、ホントにころんは……」
盛大にため息をつく紗雪に、ころんは怪訝な顔をする。
「……な、何?」
「それより、碧の家にはオレも行く」
「ええぇっ?」
明らかに残念そうな顔をするころん。だが、紗雪が睨むとしぶしぶといった様子で「……はーい」と頷いた。