第三十話・「愛は、どうやって確かめるの?」
「試される…篠崎総の本当の力が」
総は雅の放つ無言のプレッシャーに向かっていく。
僕も、それに続く。
交差点の中心にいる雅の周囲にはありえない強風が渦巻いている。極小のハリケーン。しかし、その威力はとてつもない。凝縮された圧倒的な風力が、僕と総の行く手を阻もうと猛威をふるう。あと数メートル進めば、そこはすでに戦場だ。
ばたばたとなびくコートを脱ぎ捨てた総は、動きやすい服装をイメージしたようだった。まばたきの合間に、総の体は黒いジーンズと、ライダースジャケットにまとわれていた。僕もそれに習って服装を変える。破れてしまった制服はむき出しの箇所が多く、とても服とは言いがたかったからだ。
「そういうファッションは、俺には似合わないと思ったんだがな。なかなか似合っているじゃないか」
ベージュのフレアパンツに、同じくベージュのジャケット。
「そういう総こそ」
軽口をたたいてくる総に、気遣いのようなものが見えた気がした。背後の僕をちらりと肩越しに見て、微笑みかけてくる。だから、僕も素直にそれに応じることが出来た。
本来、僕たちはこういう関係が望ましいのではないだろうか。なまじ補完という奇跡が目の前にぶら下がっているために、互いを殺しあうことに異を唱えない。なぜなら、補完は劇的な高みへと自分自身を覚醒できる奇跡のシステム。たった一度だけ、夢の中での一対一の戦争を乗り切るだけで、それが得られるのだから。
それゆえに、今の僕と総との関係は不思議だった。成り行き上仕方がなかったとしても、この関係は心地良い。利害が一致している間だけの契約であってもだ。
…もし、出来るのであれば、ずっとこの関係が続いてほしい、僕は切にそう願う。
「…ッ!」
言うが早いか、総が暴風域に踏み込んだ。暴風域の中で信号がひしゃげているのが見えた。足の裏に力を集中させるイメージ。走り幅跳びの要領だ。アスファルトに足がめり込む。総はすでに雅に肉薄している。総のイメージは的確だった。僕と同じイメージを武器の生成と同時に行っていた。対して僕は、吹き荒れる風に呼吸を失い、視界もおぼつかなかった。目がつぶれそうだ。それでも目を開けて視界に二人を捕らえる。
残り一秒とかからない距離で、その攻防は繰り広げられていた。
微動だにしない嵐の中心、雅。超高速で飛び出した全身凶器、総。
繰り出した槍の矛先は、間違いなく雅の心臓に狙いを定めていた。容赦のない、一撃必殺。常人には反応できない速度で、それは打ち出された。
雅は身を捌いて難を脱する。しなやかな動きは優雅ですらあり、勝利を確信しているような余裕までも感じられた。総はそれを予期していたのか、口の端を上げると、開いた手のひらに銃を作り出す。
「零距離で――」
撃てば風の影響は受けない。飛び道具を牽制に用いなかったのは、風の影響で弾道が逸れることを考慮してだ。総は捌いた体勢のままの雅のこめかみに、銃を突きつける。
僕は叫んだ。
雅の死に対して?
総は、動きを止められていた。指をかけた引き金がぴくりとも動かない。
「やあああぁめろおおおおおぉっ!」
僕が叫んだのは、総の危険を案じてだった。イメージするのは、両手持ちの大刀。振り下ろした先にもちろん雅は存在していない。どこかに瞬間移動したはずだ。暴風も同時に消え去り、総も金縛りから解放されたようだった。
「雅は?」
僕は周囲を見回す。道路の先、僕が第一歩を踏み込んだ地点に雅はいる。
「乗れ!」
僕の背後で大きな噴射音がした。雅はこちらに向けて優雅に手のひらをかざす。ビルを破壊したあの衝撃波だろうか。地震のように大地が揺れる。僕は総が創造した戦闘機の後部座席へ乗り込む。キャノピーが僕の着席と同時に閉じられ、閉じられたかと思うと戦闘機は急加速。その加速に僕は座席に押し付けられた。空中でホバリングしていた戦闘機が、ジェット燃料を爆発させ大空へ飛び立つ。それを追うように、雅の手のひらから、数条の光線が放たれる。神々しく、それでいて音速。まるで生き物のように曲線を描きながら、向かってくる。
大空は、まるで巨大な蒼いキャンバスだ。
「追ってくる!」
僕が叫べば、
「分かってる!」
総が怒鳴り散らす。
「方法は!」
僕が叫び問えば、
「黙ってろ!」
総がまた怒鳴り散らす。
全部で三本。意思があるのか、二手に分かれた光線は、交互に戦闘機に迫ってくる。疲れ知らず、燃料不足の心配のない戦闘機であるが、イメージ行使の精神疲労は蓄積していくばかり。総の額には大粒の汗が光る。
光線は死の矢。総の絶妙のコントロールが冴え渡る。機体をロールして一本をかわす。続いてもう一本も、反対側へのロールでかわす。そのぎりぎりの妙技に、両翼には焦げた跡が残る。
総の汗は、額から滑り落ち、あごに達する。
最後の一本は、機体の下方から突撃してきた。
機体を百八十度ロールさせて、空を隠す。キャノピーからは、乱立したビルの天辺がはっきりと確認できた。その隙間を縫うように光線が直線となる。地面にキャノピーを向けたまま、総は操縦桿を手前に倒し、機体を起こす。すると、機体は、地面へと突き刺さるべく、急降下を始めた。
僕は口内に溜まったつばを飲み込んだ。
真正面から、光線と対峙していることになる。総は、ペダルを踏んでさらに加速をかけた。
「おい!」
僕は手前の操縦席に手をかける。自殺行為だ、と総に進言するためだ。
「いいか、黙って聞け!」
総が冷静な口調で一喝する。一方、額は汗でびっしょりだ。
「これから雅に特攻する」
「っな…!」
「直前まで迫って、それからミサイルで目くらま――し!」
し、のタイミングで操縦桿を横に倒す。螺旋の軌道を描いて帯を巻き込んでいく。光の帯が、キャノピーの上をかすめている。もはやジェットコースターの比ではない。絶対的な消滅の光がキャノピーのすぐ上を駆け抜けていく。
加えてこの重力加速度は尋常ではない。体がつぶれてしまいそうだ。
「そして、お前は雅の元へ行け」
光線の末端を通り過ぎる。どうやら、最後の光線も乗り切ったようだった。
「俺は、俺には――それが精一杯だ」
総が頭を振って前方に目を凝らす。額に付着した汗や、髪の毛にしみこんだ汗が、コックピットに撒き散らされる。
「いいか。ミサイルを撃ったら上昇してやり過ごさずに、雅をかすめて飛ぶ。お前は、その隙にキャノピーから飛び出せ」
「飛び出すって…」
「イメージしろ。何でもいい、とにかくお前が雅をどうにかするんだ」
直滑降した戦闘機が、ビルの谷間を抜け、地面すれすれをなめるようにして飛んでいく。
「…くそ、めまいがする。夢の中だっていうのにな」
中央交差点を抜けると、振り切ったはずの光の帯が、その左右の道路から戦闘機が通過した道路へと合流してきた。
「前門の虎、後門の狼か。いや…!」
前方から迫る、螺旋飛行でかわした三本目の帯。
「そんなものじゃないな、これは…」
総の盛大な悪態が聞こえる。
「四面…楚歌」
周囲を取り囲んだ楚の軍勢が、歌を歌って戦意を失わせたという故事からなる状況。輝く光芒に囲まれている劣勢を、僕は嘆いた。正面から来る帯は、さらに細かい帯に分裂し、四方八方から僕たちの乗る戦闘機に狙いを定める。
「言いえて妙だな!」
唇を舐める総。
「この光のカーテンの向こうに、雅がいる…」
つぶやいた僕は、ミサイルをイメージする。戦闘機の両翼に抱える、大量のミサイルを。
「タイミングを間違えるなよ。発射は、カーテンを抜けてからだ。それでなければ、すべて雅の直前で迎撃される。それでは、煙幕にならないからな!」
僕はその言葉を頭に叩き込みながら、イメージを続行する。
「それまでは俺に任せろ。このぐらいできないで――」
総の声が、
「母さんを守れるだろうか…」
僕のイメージに力を与える。
「――いや!」
叫喚。
「無い!」
反語。キャノピーすべてが光に包まれていく。
僕は目を閉じた。イメージに集中した。外部の情報、状況の変化、それらすべてを遮断した。今は、自分に課せられたイメージを実行するだけ。完璧に、より完璧に…。
「――おおああああああああぁぁぁぁっ!」
暗黒、そして、静寂。
イメージへの没頭。今は自分の責任を果たすだけ。総の信頼にこたえるだけ。そして、信じるだけ。
僕はゆっくりと目を開けた。イメージは完全だ。飛び出す準備も出来た。
「…ハァ…ハァ…」
総の息遣いが聞こえる。太陽光線がまぶしい。ほんの数秒目をつぶっていただけなのに、こんなにもまぶしく感じられる。
「…準備はいいか?」
見れば、戦闘機はもう満身創痍だ。飛んでいることすら不思議だ。両翼は真っ黒こげで、キャノピーには亀裂が走っている。鉄板がめくれ上がり、ばたばたと悲鳴を上げている。後方の状況は確認できないが、今飛んでいられるのは、総のイメージによるものだろう。
「できてる」
「いくぞ」
「ああ」
ミサイルを両翼、下腹部…表面積という言葉がカバーする範囲すべてに設置する。遠くには、小さな雅の姿。
「…これだけあれば十分だな」
呼吸を整える。
「…全弾、発射」
総は発射ボタンを押し込んだ。総の発射イメージと、僕のミサイルがリンクした。すべてのミサイルが真っ白な尾を引いて、雅へと殺到した。戦闘機の進行方向は発射したミサイルの白い尻尾で埋め尽くされる。間髪いれず、雅がミサイルを迎撃したらしい爆炎が、遅れて爆音が耳に届く。最高速でもくもくとあがる爆炎に突入していく戦闘機。視界は真っ暗闇、ひとたび外へ出れば、高温に肌は焼け爛れるだろう。
「行ってくる」
僕がイメージしたのは、宇宙服だった。高温と衝撃に耐えるイメージは、それしか浮かばなかった。
「想像力が貧困だ」
総は最後まで悪態をついた。右手をふらふらと振って見せ、僕を送り出した。
キャノピーが吹き飛ぶ。緊急脱出装置を起動させた。座席が空中へ放り出され、案の定、真っ黒な噴煙にまかれ、真っ赤な炎に宇宙服は焼かれた。戦闘機の通過に少し遅れて、疾風が煙を除去する。僕は何とか着地して、煙の向こうから姿を現した雅を見据えた。動きにくい宇宙服を消失させる。
「雅…」
僕と雅の距離は十メートル程度。イメージすれば、一秒とかからない距離。話すだけなら、大声を上げるまでも無い。
「犠牲にしてまで、自分の死に抗うの?」
「犠牲?」
雅は目を伏せる。
「まさか――」
僕が飛び去った戦闘機の軌跡を追った瞬間、戦闘機はコントロールを失っていた。エンジンからは、制御不能を示す黒煙。総は、最後の最後まで、イメージだけで飛ばしていたのだ。
「……」
声が出ない。人はこういうとき、どうすることも出来ないのだと思い知った。
「…あ、あ…」
間抜けな声が、口からこぼれ出た。
戦闘機がY字路を曲がってまもなく、ビルの谷間から煙が立ち昇った。数秒後に、轟音。
僕は呆然と眺めることしか出来なかった。
悲しみなんて出てこなかった。
涙も出てこなかった。
足元から崩れ落ちることも、叫ぶことも出来なかった。
本当の悲劇に直面したとき、人は何の対処方法も無いのだと知った。目に映った光景を、ただただ読み取る機械にしかなれないと知った。そして、遅れて届いた爆音のように訪れる、悲しみ。
あの時と同じ。
世界で一番愛していた母が、自殺したときと同じ。
「…発想が、貧困なんだってさ…」
母の自殺した朝の風景がプレイバックする。
「発想が貧困なんだってさ…あいつ、そんなこと言ってた…」
悲しみは後から訪れ、頬を濡らす。出棺のときの僕も、今の僕も。
「そう、言ってたんだよ…雅…」
信じられた。信頼しあえた。ほんのわずかだが、意思を通じ合わせることが出来た。信頼を共有した時間は、敵対した時間よりも圧倒的に短いはずなのに、なのに、なぜこれほどまでに胸が張り裂けそうなのか。
「……て」
僕は、アスファルトに崩れ落ちた。両膝が自重を支えられない。前のめりになって、うずくまって、大声で泣く。
夢から覚めたとき、何気なく頬に手をあてると、涙のあとがついていることがある。夢の内容は忘れてしまっているけれど、泣いていたのだ。夢の中でも、現実の世界でも。寝ているはずの現実の僕は、今、泣いているのだろうか。
「……そ……や…て」
か細い声が聞こえてくる。
「そう…や……」
声量が大きくなる。
「やめて…総」
そのあまりにも場違いな声は、雅のものだった。僕は、情けない自分の姿などかまいもせずに、涙でぐしゃぐしゃの顔を雅に向けた。雅は、顔面を両手で押さえている。
「やめて…私…」
雅が我を失っているように見えた。僕は涙で濡れてしまった顔を袖でぬぐい、溢れてしまう悲しみの雫を抑えると、雅に歩み寄る。今の彼女は、この世のすべてを生み出した地球という存在よりも、痛みに耐えるただの女の子にしか見えなかった。
一歩一歩、雅に近付いていくたびに、その痛みまでもが伝わってくるようだった。
「…終わるのに、すべて終わるはずなのに、どうしてこんなにも痛いの…」
「…雅?」
「総が、悲しむから! あなたが、総の気持ちが、変わってしまう…から。愛だけ…あった。私を求める愛だけがあった。それが、悲しみと同時に、あなたの思いが…消えてしまう…そ、して、あなたの…大切な人……自殺し…た、光景…わた、し…痛く…て…」
文章になっていない、言葉の羅列。
「入って…きた。痛いほどに分かる、総の気持ち…私…だから」
錯乱。
「…早く――消さないと」
雅の右の手のひらが、歩み寄ってきた僕の顔面に突き出される。
「でないと、私が…この星が、手遅れになる」
周辺の空気の温度が上昇していくのが分かる。
「もう一度、白紙に戻して、それから作り直す。今度は間違わない。完全なものを…」
ミサイルで粉々になった道路の破片が、強烈な磁場によって震えだす。
「人では、補完では…無理。だから…」
陽炎が発生し、いびつに景色がゆがむ。
「…だから、この痛みも…愛も、白紙に…」
「人は…そんなものじゃないよ…」
震えていた石が、その場で浮いていた。
「それは、雅…君が一番知っていることだよ」
「分からないわ」
「僕は雅が、この世界が好きだ。好きだから守りたいんだ」
雅の手のひらが震える。肩が震える。
「愛しているから、守りたいんだ」
素直な言葉。どんなフィルターでも通ってしまうぐらいの、透明な意思。純粋な気持ち。
「愛してる…」
垂れ流しの蛇口のように、気持ちの水が流れる。愛で満たされたコップに入りきれない愛が、言葉になって僕の口から紡がれる。
「愛しているから、君を守る」
「…無理よ。あなた一人の力では」
「人は…僕には…その姿形は小さくても…大きな、愛があるから。この星を包んでしまうくらい大きな愛があるから。それを力に変えることが出来れば、君を救うことが出来る。だから、信じて」
眼前に広げられた右の手のひら。彼女の消滅の右手に、僕は右手を重ねた。指と指の間に、僕は自分の右手の指を通す。硬く握り合った右手同士。破壊を司るとは思えない、華奢な手だった。
「――この愛に、時間がほしい。君を守るために。君を救うために」
「……総…」
偏頭痛をきたす額を押さえていた左手が、僕の頬を愛撫する。それは肯定の証だった。
「雅…」
「人はそんなものではない。…その通りだわ。私の想像をいつも超えてみせる」
言葉の続きを待つ。
「…彼は生きている。あなたは補完されていないわ。補完されたら、夢はそこで終わり。それに、あなたは…総は、不完全な総のまま。…私と同じ」
雅は不完全なことが嬉しそうだった。完璧、完全なものを目指し、何度も挫折した雅だから、それが可笑しかったのかもしれなかった。
「ひとつだけ、あなたに教えてほしいことがある」
「…何?」
「愛は、どうやって確かめるの?」
そして、僕は。
夢の中で、この星にキスをした。
…遠くで、総の冷やかしの口笛が聞こえた気がした…。
興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。次回が最終話です。どうか最後までよろしくお願いします。評価、感想、栄養になります。