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第十九話・「部長を、よろしく」

「…で、どうなったの?」

 停車したバスに、僕たちと同じ制服を着た生徒が乗り込んできた。空席はなく、やむなくつり革につかまって雑談を始める。

「地面に激突したと思ったら、俺が念じた場所だけ、深いため池のようなものになっていた。そして、俺たちは助かった」

「俺、たち?」

 和泉が僕の顔を鋭く覗き込みながら、眉間にしわを寄せる。

「…俺は、助かった」

 停留所にバスが止まっては、そのたびに老若男女を吸い込んでいく。さながら、バスの朝食、といったところか。胃袋がすし詰め状態へと近づいていく。腹八分目で済みそうな勢いではなかった。

「なにか――」

 僕は席をさらに通路際に詰めて座る。和泉の不穏な空気が漂い、僕の側面を焦がす。

「隠してない?」

「な、何も。これが昨日見た夢の概要だよ」

 僕は、いつもの席に座れなかったことが災いして、自分で思っていなくとも、そわそわしてしまう。

 座席の中に詰まっているスプリングの反発が弱く、座り心地が悪い。

「概要ねぇ…。私は全貌が知りたい」

 僕の席には、今、和泉が座っていた。決まった時間、決まったバス、決まった座席。

 僕の特等席。

 それが、和泉に占有されてしまったことで、僕のルーティーンは大きく狂ってしまっている。毎日決まったことから入る僕の習性は、巧に言わせると、年寄りくさいそうだが、僕にとってはそれが一連の流れなのだから、どうしようもない。例えるなら、野球で言うピッチャーの投球モーションのようなものだ。

「聞いてる?」

「聞いてるよ。耳元で怒鳴らなくても」

 不満そうな和泉は、それきり口をつぐんでしまった。

 バスは、お腹一杯に朝食を食べ終えて、ついに吐き出すときを迎える。

 僕は、ぴりぴりする空気を感じながらも、何も言わずバスを降りた。

 和泉は僕の後ろを黙ってついてきているようだったが、やはり背中に突き刺さるものを感じないではいられなかった。

 バス停を降りてからは、学校までの上り坂が続く。そこを総本山に、大勢の生徒たちが上っていく光景は、繰り返される年中行事のようなものだ。自転車を引く者もいれば、横一列に並んでおしゃべりする生徒もいる。まさに十人十色。

「放課後、部室で話すよ。それで許してくれないかな」

 僕はその台詞を面と向かって言う度胸はなかった。恥ずかしさもあるし、どんな表情をしていいのかも分からなかった。

「許す」

 笑みを浮かべた和泉のラリアットが、後方から振りぬかれた。視界が前のめりになり、後頭部は猛烈な痛みに襲われる。

 そのさなか、母の自殺のことを聞いても普段と何も変わることの無い和泉の言動に、僕はほんのりと安心を覚えるのだった。



 …いざ放課後になってみると、僕は和泉に雅のことをどんな風に話したらいいか困った。

 僕は、昨日見た夢に関して、雅の存在を端折って和泉に話した。自覚夢が可能になったこと、補完に関しての事実。

 それらを和泉に話したとき、まず彼女は僕に猜疑の目を向けた。どうしてそこまで仔細に夢のことを知るに至ったのか。いくらなんでも、そんな途方もないことをすぐに確信、理解できるはずがない、と。

 そうなると、彼女の意見は正しい。和泉が第三者の介入を疑うのも、自然な流れだった。僕の説明に不備が多すぎたのも一因だろう。

 パイプ椅子に腰掛けながら、僕は部室の扉が開くのを待っていた。

 部室に転がっている本の冊数を僕は数えたことがない。

 部室の隅の段ボール箱が天井に向かってそびえていて、ゆうに僕の身長を超えている。どの段ボール箱にも本が詰まっているとすれば、相当数の本が存在していることになる。中身のほとんどが、部の冊子、つまり部誌であるというのだから、まさに驚天動地である。

 伝統は積みなっていくもの、受け継がれていくもの、そんな言葉が否応にも信じさせられる。

「ごめん、待った?」

 和泉が息を切らせながら入室してきた。

「待った」

「本当にごめん。追われてたの」

「誰に?」

 そのとき、廊下からはっきりと足音が聞こえてきた。

「来た! 隠れるから、私はいないって何とかごまかして」

 そう言うと、和泉は狭い文学部室で唯一の隠れ場所と言っていい、段ボール箱の隅に身を潜めた。それでも、頭かくして尻隠さずだ。

「総、その黒いビニール袋こっちに持ってきて。全部よ、全部」

 僕は言われた通りに、黒いポリ袋を和泉の隠しきれない部分に置いた。

「サンキュ」

 和泉の小声が、ポリ袋の間から漏れてくる。最後に、僕は自然体を装って椅子に座りなおした。

「失礼します」

 扉がノックされるのとほぼ同時に男が入ってきた。背の高い、精悍な面魂は、いかにもスポーツマンだった。

「ノックしてから、返事を待ったほうがいいよ。更衣室だったら、一大事だし」

「すいません、つい」

 僕はそのはきはきした声に好感を持った。体格といい、声といい、顔貌といい、どれも一級品で、非の打ち所がなかった。

「サッカー部の西口清吾(にしぐちせいご)です。和泉恵理子さんはいますか? 話があるんです」

 サッカー部の西口清吾といえば、県内では有名人だ。

 左足から放たれるシュートは、プロも注目の逸材で、新聞の紙面を飾るのも珍しいことではない。加えて、テクニックはすでに全国区。我が高サッカー部創設以来のスーパースターといっても過言ではない。層が厚いサッカー部にあって、一年生にして即レギュラーで、エースストライカー。

 僕は、新聞でそう読んだことがある。

「何か重大なこと?」

 西口清吾は、僕の目をしっかり見て口を開く。

「実は、恵理子には前から頼んでいたことがあるんです。サッカー部のマネージャーになってほしいって。それが、話そうとすると一方的に逃げられてしまって」

 恵理子という音が、心にざわめきを呼ぶ。

「…でも、彼女は文学部の部長だし」

「そうです。そのことなんです。…もしかしたら、これはちょうどいい機会なのかもしれません。あなたは副部長の篠崎君ですよね?」

 僕の名前をどうして知っているのか不思議に思ったが、とにかく僕が彼の話の中に登場した。

「総、です。俺が、そうです」

 軽い冗談を交えたが、彼は取り合いもしなかった。

「彼女を、恵理子をサッカー部にください」

「くださいって…物ではないし」

「サッカー部には彼女のような人が必要なんです」

 僕は答えに窮してしまった。

 僕が軽々しく答えられるような質問ではなかった。僕の意見を挟む余地など、その質問にはないようにも感じられた。当事者同士の話し合いの末に決断されるべき問題であって、僕の答えを聞いても何の解決にもならない。

 僕は、その旨を彼に伝えた。

「そうでしょうか」

 西口清吾は、納得いかないといった表情と声音で、僕の意見に反対した。

「俺には、そう思えません。恵理子は、ずっとあなたを勧誘していた。ただ文学部の人数を稼ぐだけだったら、個人に執拗にこだわったりしなくていいはず。おかしいとは思いませんでしたか?」

 そのことについては、僕も直接和泉に問うたが、答えは最後まで聞けずに文学部に入ってしまった。僕が過去に受賞暦があって、文学部にとって有益になるから。

 見当をつけるとすれば、そんなところだろうか。

「俺と恵理子とは、幼い頃からの付き合いです。昔のあいつは、もっと控えめな、目立たない存在だった。見違えるように綺麗になった今とは違って、昔は美人だなんていえるような女の子ではなかった。毎日、物静かに教室の片隅で本を読んでいて、誰かから話しかけられるまで、話そうともしなかった。でも、彼女は誰よりも温かい心を持っていた。クラスのみんなが気付かない、些細な親切、思いやり。教室の机を整頓したり、花の水を取り替えたり、誰もしないし、気付かないこと。俺は、彼女のそんなところが眩しく見えた。目立とうと、活躍しようとする自分が卑しく見えた」

 真剣に言葉を刻む西口清吾に、僕は釘付けになってしまった。

「俺は、そんな彼女を見ていたかった」

 拳を震わせ、悔しさを滲み出している。

「でも、恵理子は変わった。何かが、恵理子を変えてしまったんです。…今の恵理子は、恵理子であって恵理子ではない気がする。でも、やっぱり恵理子なんです」

 その変化が自覚夢であるなら、つじつまが合うような気がした。

「サッカー部には、いや、俺には、彼女のような存在が必要なんです。それを、あなたに聞いてほしかった」

「ぼ…俺に?」

 つい、僕、と言ってしまいそうになるのをこらえた。

「はい。あなたに」

「俺は…」

 胸にとげが入り込んだようだった。

 取り除きたいのに、取り除けない。もやもやした、やりきれない感情。

「俺は、それほど付き合いが長いわけではないし、二人の間に口を挟むような感情もない」

 西口清吾は口を引き結んで僕の言葉を受け止めていた。

「部長は、そこにいるよ」

 僕は、黒いポリ袋を指差した。

 僕にとって、和泉は、部長。自分に暗示をかけようとした。

「部長を、よろしく」

 僕は言葉を置き去りにして部室を出た。


興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。これからも頑張っていきますので、最後までおつきあいいただきますよう、よろしくお願いします。評価、感想、栄養になります。

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