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第十六話・「ドリーム・コンシャス」

「つまり、こういうこと?」

 僕はテーブルを挟みながらカレーを頬張る和泉に、回答を求めた。

「僕が今経験している悪夢と、和泉が経験した悪夢が同じ類のものだと仮定すると、打ち勝つことができる、と」

 和泉は頬張っていた分を飲み込むと、スプーンを目の前にかざした。

「結果的にはそう。突飛な話かもしれないけど、だからって外れているわけでもないと思う。例えば、このスプーンが夢と現実の境界線だとするでしょ。で、こっちが夢で、こっちが現実。そして、これがもう一つあるとする。

「はい、俺のスプーン」

「ありがと」

 スプーンを二つ手にした和泉は、両手に持ったスプーンをかざす。

「夢を中心にして、二つの現実があると仮定するでしょ。片方の現実が総の現実。そしてもう一つの現実が、追跡者の現実。その二つが交わっているのが、夢。だから、二人は夢の中で出会い、争う。もちろん、勝負事には必ず勝敗がある。だから、私が追跡者に勝つことができたように、総も勝てる。もちろん、ひとつ間違えば負けることも」

「動機は?」

 スプーンを和泉から受け取りながら聞いた。

「何かの得がない限り、そうする必要がないじゃないか」

 和泉は、スプーンをカレーにもぐりこませたまま考え込んでしまった。

 時計の針が、九時を指そうとしている。まもなく九時を知らせる音が鳴ろうとしていた。時計の秒針が十二に近づくその音が、僕の思考を強制的に解答へ導く。ひらめきに似たそれは、自分でも驚くほど簡単に思いついた。

「…本当の自分を取り戻す」

 九時を告げる電子音が続けざまに響きだす。

「え?」

 電子音で遮られたのか、和泉に聞き返された。僕は自分でも確認し、復習するように、ゆっくりと解答を整理しながら、作ったカレーを見下ろしていた。

 ジャガイモが大きな顔を出していた。

「あの時、追跡者は、僕を殺すことで、本当の自分を取り戻すと言っていた…。そして、追跡者は僕自身だった…。和泉が打ち倒した追跡者は? まさか…」

「私が倒したのは…そう、そうだよ! それしか考えられない」

 今の和泉の表情に何かの熟語をつけるのならば、驚愕、が相当だろう。それぐらい、目を見開いていた。

「私は、私を取り戻した。それから、夢をまったく見なくなった。夢の中にいる必要がなくなったから。見る必要がなくなったから…。私は、そのときから自分がどんどん変わっていく感覚を覚えるようになった。たとえるなら、進化、のような。自分に足りなかったものを補って、自分でも驚くくらいなんでもできるようになった。私の内外が進化していった…」

 自分の両手をじっと見つめて、震える。両手を握っては広げ、感触を確かめているようだった。

「私は、補完した…。自分自身を倒して、私の持ち得ないものを持つことができた。だから、だから…」

 和泉が今、感じている感慨を僕は推し量ることができない。今まで納得のいかなかった答えを手にしたことへの歓喜と戸惑いが、津波のように押し寄せているはずで、僕にはまだそれの意味が良く分かっていないのだ。推し量れるはずがない。

「和泉、君の体験をもっと詳しく教えてくれないか?」

 僕は堪らずに聞いた。とにかく、先輩の意見を聞いておきたいと思った。自分自身が、もう一人の自分に殺されないためにも。僕自身が、消え去らないためにも。

「う、うん。分かった」

 和泉は深呼吸を繰り返し、呼吸を整えた。胸に手を当てて動悸の調子を確認していた。

「最初はね、私自身に追われるなんて、ただのたちの悪い夢だと思っていた。普通、夢って奇想天外なものでしょ。でも、周囲の情景は奇想天外なのに比べて、私を殺しに現れた私…追跡者に対しては、妙にリアルに感じることができた。言動や、仕草が、次の日になっても、その次の日になっても、ずっと覚えていられた。夢なんてすぐに忘れてしまっていることがほとんどなのに」

 落ち着いたかに思われた和泉だったが、閉じ込めておいた扉から次々と飛び出してくるのを抑えられずに、再び興奮してきているようだった。平常の和泉に比べて、何倍も語気が荒い。それは、僕も同じだった。

「僕と同じだ。夢の中は情報が錯綜して、つぎはぎだらけの世界なのに、僕と追跡者に関しては、よく覚えている。そこが現実だとしか思えないような、夢なのにそこが現実だと思い込んでしまって…僕は何度も殺されそうになった」

「私も…逃げるしかないと思って、必死に逃げて…。でも、簡単に追い詰められて、そして、大声で叫んだ。死を覚悟して。でも、次の瞬間、私は汗びっしょりでベッドの上にいた。生きているって実感して安堵の息を吐く。それが何度も続いた頃に、私はあることに気付かされた。きっかけは…奇跡のような出会いだった…」

 僕は、唾液を飲んだ。のどがごくりと鳴る。

「私は、気づいた。夢の中はあくまで夢の中。だから、夢の中での私を変えることができれば、きっと打開することができるはず、って。現実での、何も出来ない何もない自分を変えられるって…」

「で、何か打開策はあったの?」

「…あった。だから私はここにいることができるのだと思う」

 和泉は一つ一つ自分の体験と言葉をかみ締め、噛み砕いているように見えた。僕の瞳を真剣に見つめるその威圧感に気圧されて、僕は椅子から転げ落ちるような錯覚に襲われた。

「――自覚夢」

「じかくむ?」

「自覚する夢と書いて、自覚夢。英語で言うと、ドリーム、コンシャス、意識する夢、かな」

「それって…」

「簡単に言うと、これは夢って認めてしまうこと。夢の中で」

 僕にはそれがどういう打開策なのかいまいちぴんとこなかった。夢の中で、夢であることを認めるとどうなるというのか、概要がまったくつかめなかった。

「それができたとしてどう変わるの?」

「変わる。それも劇的に!」

 椅子を仰向けに倒す勢いで立ち上がった。握りこぶしが力強い。

「いい? 夢の中は、作られた世界ではなくて作った世界なのよ。例えば、総が夢を見るとき、それは総自身が作り出した記憶、想像の世界なの。だから、夢の中では何もかもが総の心にゆだねられるわけ。単純に言えば、すべてが思い通りになるってこと」

「…そうか! 夢の中には、もともと現実感なんてない。自分で作った世界なんだから、どうにでもなる。そうか、だから…」

 僕は、追跡者がありえない高さまで飛び上がったり、何もないところから武器を取り出したり、ガラスの破片を操作する奇行を思い出していた。

「もちろんそれは総だけの話に限ったことではない。追跡者もそれは知っているはず」

「ああ。追跡者は確かにそれを理解して、すでに自分のものにしている様子だった」

「だから、総も夢を自覚することができれば、追跡者に対抗しうるはず。そして…」

「自分を補完して、より優れた自分になることができる」

「…多分。そうとしか、考えられない」

 僕たちは、興奮の余韻に浸るようにしばらく黙した。

「落ち着いたところで、お手洗い借りていい?」

「返してくれるの?」

 和泉は小さく笑う。

「…面白くない冗談」

「言うと思ったよ。トイレは、そこ出て左をまっすぐ」

「サンキュ」

 時計の針は、九時半を指していた。テーブルの上のカレーはすでに冷めてしまっている。ジャガイモを多めに入れすぎて、ほかの具材が目立たなくなったカレーでも、和泉は美味しいと言ってくれた。

「カレー、冷めちゃったね」

 戻ってきた和泉が椅子を引く。

「でも、僕はまだ体が火照っている」

「私も」

 そう言って、和泉はスプーンを手に取り、残ったカレーを口に運んだ。僕はそれを見て、なぜか少しだけ幸せな気分で満たされた。誰かに自分の料理を食べてもらえること、美味しいと言ってもらえることが、心の片鱗に触れて凍っていた何かを溶かしていく。

「総は、料理上手だね。こんなに美味しいカレー、久々に食べたな。ジャガイモは多いけど」

「どうも」

「こうしていると、なんか夫婦みたいだね」

「…そうかな」

「そうだよ」

「団欒って言うんだろうな。こういうの」

「うん。団欒だね」

 僕は、遠き日の団欒に思いをはせる。学校から帰ってくると、食事の用意をした母のエプロン姿に出会う。

 ――おかえり。

 キッチンからは、ぐつぐつと煮物の音がして、今日の夕食を想像する。僕は今日の出来事を、夜のニュースのようにまとめて母に報告する。母は楽しそうにそれを聞いてくれ、一つ一つ丁寧に答えを返してくれる。

 その毎日の儀式が終わると、夕食を待ちきれずに僕は冷蔵庫を空けようとする。そんな僕を、母は叱咤する。

 ――夕食まで我慢しなさい。食べられなくなるでしょう。

 それでも僕は冷蔵庫からアイスを取り出して、見つからないように自室に退散する。

 でも、母はそれに気付いていて諦めたように、こう言うのだ。

「…もう食べちゃ駄目よ…か」

「え?」

「いや、昔のことを少し思い出したもんだから」

「…お母さんのこと?」

 僕は、外していた視線を和泉に引き戻した。

「ごめん、仏壇見ちゃったから」

「別に。謝ることじゃない」

「総のお母さんは――」

「送るよ」

 和泉の言葉の流れを遮断した。

「バス停まで。最後のバスまで時間が無いし」

 僕は椅子から立ち上がり、和泉を通り過ぎる。

 時間にはまだ余裕があるのを、僕は知っていた。

「総…」

 シャツが何かに引っかかったような感覚がした。見ると、和泉がシャツを引っ張っていた。

「別に怒ってもいないし、なんとも思っていないから」

 僕は和泉の返答を待たずに、玄関へ向かった。

 和泉の返答はない。ただ、黙然と付いてきただけだった。

 僕は、母の死因をまだ誰にも話したことがない。

 あの会話の流れに、僕はどうにかして終止符を打ちたかった。なぜ母が死んだのか、という話題に移ってしまうのはどうしても避けたかった。

 聞かれて話す勇気がないというのが僕の正直なところであり、話すことができたとしても、和泉が今のまま僕に接してくれるという保証はない。

 そうして誰にも話さずに生きてきた。他人からの余計な同情、憐憫を受けなくて済むその状態を維持して生きてこられたのだから、これからも生きていけるはずだ。僕さえしっかりしていれば、墓穴を掘ることなどない。

 簡単なことだ。

 しかし、か細い声で叫ぶ僕が、心の中にいる。

 和泉ならば話しても大丈夫なのではないか。彼女は自分の痛みを僕に吐露することを厭わなかった。そんな彼女ならば、僕の暗い過去でさえも受け止めてくれるのではないか。もしかしたら。もしかしたら…。

 過去の重荷を下ろせるのではないか。

「和泉」

「え…?」

 バス停に立つ僕たちの前にバスが滑り込んでくる。空席が目立つバスには、会社帰りのサラリーマンや、初老の男性、僕たちのような高校生が座っていた。

 和泉は、整理券を取ったところで、沈んだ顔を僕に向けていた。

 僕の態度を気にしていたからであろうか。

 バスの中では、ドアが閉まります、というアナウンスが流れていた。

「母さんは、自殺したんだ」

 ドアが大きな音を立てて閉まり、僕と和泉を遮った。

 和泉は閉じられたドアの中で何事かを僕に伝えようとしていたが、聞き取ることはできなかった。

 排気ガス交じりの生温い風に、僕はめまいを覚えた。


興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。この小説が、省略されて呼ばれるときが来たならば、「ドリコン」がいいなと密かに思っております。そんな作者ですが、これからもよろしくお願いします。評価、感想、栄養になります。

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