第十五話・「帰りたくない」
バスに揺られること十数分、僕が降車ボタンを押すと、和泉が急にそわそわしだした。
ボタンを押す直前まで弾んでいた会話がかみ合わなくなり、外の風景を気にしだした。そして、バスがその速度を落としていった時、和泉は僕に耳打ちした。
「私も降りるから」
和泉は、朝、僕がバスに乗るのより早くバスに乗って登校してくる。
「でも…ここは」
「いいからいいから」
僕は背中を押されて、バスから吐き出された。バスが大きな発進音とともにその場を去ると、奇妙な静けさに支配された。バスのテールライトがだんだん遠のいていく。僕は何の気なしにただ見送っていた。
「これは、つまり、どういうこと?」
「別に、深い意味はないわよ」
「そ、そうだよね」
口の端が引きつった笑いが、自分でも醜い。
「総の家が見たかっただけ。ただ、それだけ」
「…別に、かまわないけど…もし来るんだったら」
僕は道の先を視線で促し、自分の向かう方向を示唆した。
「それほど遠くないから、すぐに着くよ。あんまり自慢できる家じゃないけどさ」
「自慢されても困るけど」
「…じゃあ、帰る?」
強い口調で僕は牽制した。
「帰りたくない」
正直、この答えには牽制した僕のほうが驚かざるをえなかった。昔のドラマの台詞を聞いているようだった。
「和泉は、家族とうまくやれているんじゃないの?」
「やれている、けど」
言葉尻に向かっていくにしたがって、トーンも落ちていった。家路の途中、通り道の電灯が明滅を繰り返していた。いつの間にか、和泉が僕の後ろを歩いている。
「自然体ではないの。うまくやろうとして、うまくいっているだけだから」
「それが、普通じゃないの?」
「疲れるんだ…。うまくやろうとするのが」
和泉の曇りゆく表情を隠そうとするかのごとく、電灯の力は潰え、闇が僕たちを覆った。
「だから、帰りたくない?」
「…やっぱり帰ったほうがいいのかな」
今まで聞いたことのない悲痛な声。
「総は、帰れ、って言いたいんでしょ」
和泉は振り返った僕から数メートル離れて、幽霊のように立っていた。
今の僕に振り絞るものがあるとすれば、それは暗闇を振り払う勇気だった。僕はそれをどう変換すべきか迷った末、慣れないことをしてみるのだった。
「…実は昨日、カレーを作りすぎてちょうど困ってたんだ。近年稀に見る傑作だから、誰かに意見を聞きたかったんだ、うん」
僕は背中越しに言った。恥ずかしくて、格好悪くて顔を見せたくなかった。下手なドラマだった。きっと、こんなドラマの視聴率は右肩下がりだろう。
僕は反応が知りたくて恐る恐る振り返る。臆病な証拠だった。
すると、死んだと思っていた電灯が息を吹き返して、和泉を煌々と照らしていた。
スポットライトの下で、和泉は輝くような笑顔をたたえていた。
興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。連載「スクール・オブ・ザ・デッド」も、よろしければご覧になってみてください。評価、感想、栄養になります。