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第十二話・「小説が書きたい」

 僕は、文学が好きだ。

 小説を読むことが、言葉を綴ることが好きだ。

 小学校のころ、僕はひとつの小説を書き上げた。それは、幼稚な小説だったが、僕の初めての小説だった。誤字脱字の目立つ、それこそ小説といえないくらいのものだった。しかし、僕は今でもその小説の内容を良く覚えている。僕の願いの込められた小説だったから。

 幸せな家族。

 そう銘打たれた小説を知っているのは、僕と母だけ。当時の僕の生の感情が反映されていたから、今でもよく覚えているのだ。

 内容は、単純明快。家族を省みない父が、やがて家族の大事さに気付いていき、最後には幸せな家庭生活が戻る、という話。

 母にその小説を渡したとき、母はとても喜んでくれた。

 ――こんなにたくさん書いて…。頑張ったわね。えらい、えらい。

 母の暖かい手が、僕の頭を撫でてくれた。偉大な優しさを秘めた胸の中で抱きしめてくれた。

 ――愛しているわ、総。

 僕は、その言葉が聞きたくて、何度も何度も小説を書くようになった。

 母に喜んでもらうため、母の笑顔を見るため、声を聞くため、撫でてもらうため、抱きしめてもらうため、そして、褒めてもらうため。

 些細な動機。ほんの些細なことだけれど、当時の僕にとっては死活問題だった。

 上手な小説を書くために、手当たり次第小説を読んだ。思いついては寝る間も惜しんで原稿用紙に向かった。物語の方法論を知り、プロットを作り、破綻のない小説を目指した。起承転結を知り、短編と長編に書き分けることを知り、感動の法則を知った。

 僕は、急速に書き手として熟成されていった。しかし、一方で母は衰弱していった。

 やがては小説を読む気力さえもなくなっていったようで、感想を聞いては、同じ言葉が返ってくるようになった。

 母が自殺したのは、中学校一年の夏。

 僕が、文学部に入部したときだった。悲しむことを忘れて小説に打ち込んでいた。そうでもしなければ、僕は抜け殻のようになってしまいそうだったから。悲しみを小説の中にしまいこむことで、僕は現実の絶望から逃れることができた。

 しかし、ふと我に返ると、雫が滂沱として僕の目からこぼれだすのだった。

 僕には、文学しかなかった。

 小説を書くことしかなかった。

 それでしか自分を表現できなかった。

 口から発する言葉には微妙なオブラートがかかっていて、本質を突くことができない。そういった僕の内実を、小説には包み隠さずに表現できる。自由な空間がある。現実にはない、すばらしい空間が。

 夢のような空間が…。

「総、まだいたのか」

 夕焼けの赤みを帯びた巧。廊下から教室に入ってくる。僕は思い出の劇場から舞い戻る。

「一体どうしたんだよ。さっきのお前、明らかにおかしいぞ」

 巧が窓際の自分の席に座る。

「ああでもしなければ、お前は和泉のことを泣かしかねなかった」

「多分…俺も、そう思う」

 巧は珍しく沈黙を作った。

「なあ、総…」

「…ん?」

 蝉の鳴き声が止んだ。真っ赤に染まった夕日が、教室中を赤く染めている。

「お前、文学部に入りたいんだろ」

 僕は、息が詰まりそうになるのをこらえて、やっとの思いで言葉をつむいだ。

「…ああ。きっと、小説が書きたいんだろうな…」

 このときの僕の表情はどんな感じだったのだろう。おそらく、ひどく格好が悪いに違いない。

「何で総が意地張っているのか、俺は知らないし、聞かない。俺、そういうの苦手だから。でもさ、人が何を考えているか、っていうのは分かるつもりだよ。なんていうのかな、観察眼だけは持ってるから」

 いつもの巧のおどけた調子が、このときばかりは嬉しく感じた。いつでも誰とでも分け隔てなくおどけることのできる巧が、このときは救いだった。

「ほら、これ」

 巧はシャツの胸ポケットから、折りたたまれたプリントを取り出した。

「文学部の入部届。今すぐ書いて持っていけよ。部長、部室にまだいるからさ」

 巧はそそくさと帰宅の準備をする。

「部長?」

 巧は恥ずかしそうに表情を隠して席を立つ。そして、帰ったと思いきや、廊下からひょっこり顔面を出すと、笑う。

「ちなみに、俺は書記だから、覚えておけよ」

 顔を引っ込めて廊下を闊歩する。足音が澄んだ音色のように聞こえた。

「副部長のポスト、わざわざ空けておくなよ」

 ペンケースを開けてボールペンを取り出す。肩をほぐし、机に向かう。

 僕は、この入部届けをしっかりと丁寧な字で書こう、と思った。


読んでくださった方、興味を持ってくださった方、ありがとうございます。私の小説はどれも少し似通っています。似たようなものしか書けない、という点でもまだまだ未熟者です。そんな作者ですが、これからもよろしくお願いします。批評、感想、栄養になります。

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