第七章節 あなたが幸せでありますように
「みどり!起きてみどり!」
懐かしい声が我を呼んでいる。ああ、また夢か。そう思いながら目を開ける。夢で目覚めると言うのもおかしな話だが。今日はいつ頃の夢だろうか。
「ぼーっとしてどうしたの?どこか痛い?」
「なに、少し考え事をしていただけだ。そなたが案ずるようなことはないぞ」
我が答えると人の子——幸子は花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「みどりが元気でよかった!」
ああ、まぶしい。我は人の子よりよほど頑丈だと告げているのに。それでも我の身を案じるその心が、何もないと伝えると安心するように浮かべるその表情が。あの日に戻れたなら伝えたいことがいくらでもあるのに。だが、それは叶わないので今はこの夢を堪能するとしよう。
「それより幸子。我を起こしたと言うことは、何か話があるのではないか?」
「あ、そうだった。あのね——」
幸子が話す。今朝見かけた猫の話を、昨夜の夕餉の話を、此処に来る道に咲いていた花の話を。順序もまとまりもなく紡がれる何気ない言葉達が、ひどく暖かい。
「って、みどり聞いてる?また何か考え事してない?」
「聞いているとも。一言一句違わずにな。だが、考え事をしていたのも事実だな」
「聞きながら考えてたの?器用だね、何考えてたの?」
ああ、だめだ。言ってはいけない。
「うむ、そうだなぁ」
それを言うと、この幸せな夢から覚めてしまう。
「特別に教えてやろう」
心の奥底から思っているそれを。
「そなたが愛おしいと」
現実では、最後まで告げられなかったそれを。
目を開ける。ああ、夢が終わってしまった。そう思ったが、ふと違和感を覚え、辺りを見渡す。おかしい。ここは近頃寝床にしている、あの人の子達と過ごす木ではない。運がいいことに、今日はまだ夢に揺蕩っていられるらしい。次はいつ頃の夢だろうか。
「みどり、おかしなこと言うね。ここにずっといないかなんて」
ああ、このときか。確か我の返しは……
「おかしくなどない。近頃はくうしゅう?とやらも増えているのだろう。よく騒がしい音が鳴り響いておる」
たしかにこう返した気がする。夢というのは便利なものだ。
「警報のことかな。でも、なんでそれがここにいることになるの?」
不思議そうに尋ねてくる幸子に、あの日と同じ説明をする。
「我には、すべての樹木を守るには遠く及ばないが、一つの樹木を守るには有り余るほどの力がある。その力でこの木を守っていれば、その木の下のそなたのことも、守ることができる」
本来の我の立場では、この提案は許されることではない。
「へー、やっぱりみどりはすごいねぇ。でも、やめておくよ。街には家族も友達もいるのに、私だけ安全なところにいるなんて嫌だし。気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
それでも伝えてしまったのは、断られるのがわかっていたからか、それとも——
「それにしても、なんで突然そんな提案を?」
「——そなたが愛おしいから、かもな」
視界が黒く染まっていく。このときもっと引き留めていれば、そなたはずっと隣で笑っていたのだろうか。そんなことを考えながら、我はまた意識を手放した。
目を開ける。どうやらまだ夢の中のようだ。今日は本当に運がいい。そう思ったそのとき。
「み……どり……」
背後から聞こえた掠れ声に、浮かれた心が凍りつく。ああ、これは。
「みど……」
振り返る。ぼろぼろの幸子が、地を這いながらこちらに手を伸ばしている。慌てて駆け寄り、その小さな体を抱き寄せる。
「ああ……みどり…………みどりだぁ」
我の顔を見た途端にあの花が咲いたような笑みを浮かべる。そこらじゅうの皮膚が焼け爛れているにも関わらず。これのどこが運がいいのだ。最悪ではないか。
「よかった……無事で」
頬に伸ばされた手を、上からそっと包み込む。これ以上傷つかないように、そっと。
「あのね……警報が鳴ってね……隠れてたんだ」
いつものように、何気ない話をするように続ける。
「でも崩れだしちゃって……逃げた方がいいって」
やめろ。やめてくれ。
「わたしどんくさいから……」
知っている。行く末など、とうに知っている。
「怪我しちゃってさ」
その声で。笑顔で。その言葉を言わないでくれ。
「大好きなみどりに会いたいなぁって……さいごに」
最期などと。
目が覚める。周りを見ると、近頃の寝床のようだ。息を吐く。この夢を、幸子の最期を見るのは、これで何度目であろうか。幸せな夢の何倍も、何十倍も見てきたというのに、心が暴れるのを抑えられない。苦しい。愛おしい。いかないでくれ。大切なのだ。……様々な感情が溢れ出てくる。結局我は最期のそのときまで、思うばかりでなにも伝えられなかった。何度も考えた。伝えていれば何かが変わったのだろうかと。何度も後悔した。何故伝えなかったのかと。
「…………やはり」
先日、あの人の子の提案を受け入れた。笑っていて欲しい、という願いには、我も覚えがあったゆえ。しかし、ここ数日のあの子らの様子を振り返る。このままでは、あの子らは我と同じ苦しみを、絶望を、抱え続けることになってしまうだろう。そのようなことはあってはならない。人は、子は、笑顔で健やかに育つべきなのだ。我には引き合わせた者としての責任がある。最後まで見届ける責任が。このような苦しみを抱えるのは我一人で十分だ。あの人のこと話をしよう。あの子らが後悔しないように。……我が後悔しないように。
「じゃあ、また明日」
「……うん、また明日」
人の子らが解散する。あさがおが獣道に入っていくのを、手をひらひらと振りながら見送る。今日も二人の会話は、どこかぎこちなかった。
「そんじゃ、みどりもまた明日」
「待て。話がある」
帰ろうとする人の子を止める。
「話?なに?」
「そなたとあの人の子のことだ」
「俺とアサガオ?が、どうしたの?」
あくまでもしらをきるつもりらしい。
「とぼけるでない。そなたらの不和は、そなたが最も感じているだろう」
「……はぁ、そうだね。で?それがなに?」
投げやりな返答に少し苛立つが、ここ数日こやつなりに奮闘していたのを見ていたので、ここは指摘しないでおく。
「単刀直入に言おう。例の革命の件について、あの人の子に言うべきではないか?」
「は?この前の話忘れたの?」
怒ったように言ってくる。まぁ、一度承諾した件を掘り返しているのだ。当然と言えば当然だろう。
「心配を掛けたくない、あの人の子に笑っていて欲しい。その話だろう?覚えているさ」
「ならなんで」
責めるような声に、毅然として返す。
「逆に聞こう。そなたは今、あの子に何一つ心配を掛けていないと言い切れるのか?」
こやつが気づいた上であえて見ないふりをしていたことを突きつける。
「それは……」
「我らが話し合いをしたあの日。我はそなたの承諾を得るためにあの子らを巻き込もうとした。まあ阻止されてしまったし、結局その必要はなかったが」
「……」
返答はない。思案しているようだ。我は構わず話を続ける。
「翌日、我らはあの子らにとぼけて見せた。そしてあの子は騙されることを選んだ。おそらくは心配を掛けたくないと言う意図まで見抜いた上で。つくづく聡い子だ」
あの日のことを思い出しながら口にする。聡いのに不器用なあの子への、罪悪感を味わいながら。
「だがそれによって、本当にそれでよかったのか、実はそなたが苦しんでいるのではないか、という心配に駆られているように見える」
「でもそれは、みどりがあの話をアサガオ達に聞かせなければよかったことじゃん」
痛いところを突かれる。だが、話の本質はそこではない。
「確かにその通りだ。その件については申し訳なく思っている。すまなかった。だが、ここで我が謝罪したところで、あの子の不安は取り除けない、違うか?」
「そうかもね。でも、だからって正直に伝えたって、また心配かけちゃうだけじゃん!」
抑えきれないといったふうに声を荒げられる。我は努めて冷静に答える。
「確かに話をすれば、それは免れないだろう。だが今のままでは、そなたらはずっとすれ違ったままだ。互いを大切に思っているにも関わらず」
「……でも」
「革命の時は刻一刻と迫っている。計画の核となるそなたが命を落とす可能性は、低くはある。だが、絶対にないとは言い切れないのだ」
「っ!」
息を呑む音がする。おそらく考えないようにしていたのだろう。怖気付いてしまわないように。だが向き合わせなければなるまい。人の子らが後悔しないために。
「命を落としてしまっては、何も伝えられない。すれ違ったままでいるときと、きちんと話し合いをするとき。どちらが後悔せずにいられる」
「……」
答えはない。まだ踏ん切りが着けられないようだ。……最後の一押しをするか。
「そなたは心配を掛けたくないと言っていたな。その気持ちは我にもわかる。だが、あの子の気持ちは考えたか?」
「え?」
「そなたを心配しながらも踏み込むことができぬあの子が、万が一そなたの訃報を聞いたらどうなると思う。無理にでも聞き出していればと、一生苦しむことになるだろう。そのような痛みを、苦しみを、あの子に背負わせたいのか?」
言い聞かせるように、そう問いかける。残される側の想いが、少しでも伝わるように。
「……ない。背負わせたいわけがない!」
力強い声が返ってくる。覚悟は決まったようだ。
「よろしい。それだけの威勢があれば、手出しは無用だな?」
「もちろん」
その声は晴々としていて、強がりなどではないとわかった。
「……ありがとな、みどり」
その声は小さく、伝える気のないもののようだった。だが勘違いしているようなので、これだけは伝えておく。
「感謝される筋合いはない。決断したのはそなたなのだから」
「そこは聞こえないふりしてよ」
こぼされた声は、今度こそ風に攫わせてやった。
夏休みの終わりも近づいてきた水曜日。私と葵は一緒にあの木のところに向かっていた。
「じゃあ、まだ仲直りできてないの?」
「仲直りというか、そもそも喧嘩したわけじゃなくて、私の気持ちの問題だから」
そんな会話をしていると、木に近付いてくる。最近は木の枝の上が定位置になっていたみどりが、珍しく地面に立っている。
「どうやら来たようだぞ」
みどりがゆうりのほうに話しかける。
「……おはよ。二人とも」
ゆうりの声はいつもより小さかった。元気がない……というより、緊張している?
「おはよう、ゆうり」
「おはよ」
葵と顔を見合わせてから、一旦返事をする。
「突然で申し訳ないんだけど、大事な話があるんだ。聞いてくれたりする?」
大事な話。そう言われて思い浮かぶのは、この前のこと。あの話が聞けるのだろうか。期待が表に出すぎないように返事をする。
「もちろん」
「ありがと。話ってのはまぁ、薄々察してるかもしれないけど、あの日のこと。戦争がどうたらってやつ。実はさ——」
そうしてゆうりは、これまであえて伏せていたであろうことを包み隠さず話してくれた。争いの絶えない国のこと。トップになってしまったるかのお父さんのこと。その後を継がされたるかのこと。その周りの大人達のこと。そして、革命のこと。私の生きる世界では想像もできないような話だが、ゆうりの声が、これは紛れも無い現実なのだと伝えてくる。
「あいつは……ルカはさ、すっげー優しいやつなんだ。ついでにびびりで泣き虫。田舎暮らしのくせにでかい虫が出ただけで泣くし、小さい頃なんて夜に一人でトイレに行けなかった。そのくせ俺が『おばけなんて退治してやる』っつったら、『おばけさんも痛いの嫌だろうからだめ!』っていうんだ。変なやつだろ」
ゆうりの声は、泣くのを我慢しているような、いろんな感情がごちゃ混ぜになったような声だった。
「そんな意味わかんないくらいのお人好しが、戦争に加担させられそうになってる。そんなことになったら、あいつはもう二度と、昔みたいに笑えなくなると思うんだ。そんなあいつを放っておくなんてできない。俺は、行かなきゃいけないんだ」
言葉が出ない。ゆうりはすでに覚悟を決めている。幼馴染のために。きっともう、止めることなどできないのだろう。大切な相手のために頑張れるところを尊敬しているのに、どうしても背中を押す言葉が出ない。
「ほんとは話すつもりなかったんだけど。心配かけるだけだろうし。でもみどりと話して、俺がアサガオの立場だったら、何も言わずに居なくなられるのすっげー嫌だなって思ったから、伝えることにしたんだ」
「……」
こんなときでも、自分より人の心配をしている。あなたのその優しさが、愛おしくて憎らしい。一言でも怖いと、行きたく無いと言ってくれたら、引き留める言葉を言えたのに。
「ずっと黙ってたせいで、気まずい思いさせちゃってごめんな」
「……ううん。気にしないで」
結局口から出たのは後押しも引き止めもしない中途半端な言葉だった。
「それから、アオイさん」
衝撃的な話の数々についていけずに黙り込んでいると、木の人から話しかけられた。
「なに?」
「俺がいった後、アサガオのことは頼んだよ」
「は?」
意味がわからない。それじゃあまるで、戻ってこないかのようじゃないか。
「待って。死ぬ可能性は低いんじゃなかったの?」
さっきの話に対する認識が間違っていたのかと思い、質問する。
「うん、死ぬ確率は低いよ。死ぬつもりもないし」
どうやら認識は合っていたようだ。それなら、なぜそんな頼みをするんだろう。
「でも、絶対死なないとは言い切れない。俺はもしも死んでしまっても心残りが無いようにしたい」
その返答に納得がいく。にしても、心残りで思いつくのが朝顔のこととは。相変わらずの様子に、案外大丈夫かもなと少し安堵する。
「俺からの最後の頼みだと思ってさ。引き受けてくれよ」
最後、なんて言葉を使うのは、断りにくくするためだろう。
「そんなこと頼まれずとも、友達のことはちゃんと見てるよ」
素直に答えるのも癪だったので、そんな捻くれた引き受け方をする。でも、私の出番がなければ、それが一番だとも思う。ここに来るようになってからずっと願ってきたから。私の大切な人たちが幸せで居られるようにと。
「そういえば、革命っていつやるの?」
葵が何気ない、遊びの日付を聞くかのような調子で尋ねる。
「三日後」
「三日!?」
ゆうりがサラッと言った言葉に、思わず声を上げる。
「そんなにすぐなの?」
「うん。なんか、これ以上遅らせると本格的に戦争を止められなくなるらしくって」
ゆうりの返答で思い出す。この革命には戦争を防げるかどうかが賭かっているのだと。
「三日しかないのに、木の人はここにいて大丈夫なの?」
葵が問いかける。確かに、準備などはしなくてもいいのだろうか。
「まぁ俺はルカの説得のためだけに誘われたはいいけど、なんの武器も扱えないからな。といっても、流石に今日中には村を出ないといけないけど」
出発が迫っていることに驚けばいいのか、そんな余裕のない中でも話をしに来てくれたことを喜べばいいのか。
「準備とかは?もう終わってんの?」
「大体は。でも後ちょっと残ってるから、もう少ししたら戻らないといけない」
あおいの問いに、ゆうりが答える。そうか、もう時間が迫っているのか。別れの時間が。そう認識した途端、心が一層重たくなる。いやだ、行かないで。だめ、応援しないと。でも。ごちゃごちゃとして、何もわからなくなる。それでも、ゆうりの力になりたい。その思いだけは明確だったから。
「準備、頑張って。私たちはもう帰るよ。時間多い方が、忘れ物しなくて済むでしょ?」
努めて明るく、震えないように気をつけながら声を出す。いいの?と言いたげにこちらを見てくる葵に黙って頷く。
「そっ……か。…………ありがとな、アサガオ」
「ううん。気にしないで」
本心だった。私のことなど気にせず、ただ生き残ることだけを考えていて欲しかった。
「あのさ、最後になるかもしれないから言っとくな。今まで、ありがとう。アサガオと出会ってから、毎日が楽しかった。出会ってくれて、一緒に過ごしてくれて、本当にありがとう」
涙が溢れそうになる。感謝するのはこちらの方なのに。どうにか涙を抑えながら、震えた声で返事をする。
「こ、こちらこそ、ありがとう。ゆうりと出会って、私は変われた。夢も見つかった。変わらない日常が、どんどんいい方に変わっていった。ずっと、ありがとう」
「うん。そんなふうに言ってくれて嬉しいよ」
私のまとまりのない言葉に、ゆうりが返事をした。
「それと、アオイさんもありがとう。いっつも楽しかったよ」
「おまけみたいに言うね。まあいいけど。私も楽しかった。ありがとね、木の人」
「木の人呼びは最後まで変わんないのな」
「ん?呼んだげよっか?ゆ・う・り・くん?」
「うわ、なんか変な感じする!やっぱ木の人呼びでいいわ」
「はは、あっはは!」
二人があまりにもいつも通りに話すから。ゆうりは無事に帰ってきて、これからもこんな日々が続いてくれるような、そんな気持ちになれた。
「それじゃあゆうり、私たちそろそろ行くね。またあ……」
またあした、と言いかけてはっとする。そうだ、明日は会えないんだった。
「……またいつか」
「木の人またねー」
「うん、じゃあな」
いつものような調子で交わされる別れの挨拶。それでもゆうりは”また”とは言ってくれなかった。
子らが帰っていくのを見送る。
「みどり、まだいる?」
「ん?おるぞ。どうした人の子よ」
準備がいる、といっておったが、焦らずともよいのだろうか。もしくは、我によほど重大な用があるのか。
「頼み事があるんだけど、聞いてくれる?」
用事の方らしい。
「内容次第だが、我に出来ることであれば協力してやろう」
特に悩むことなく承諾する。この人の子であれば、碌でもない願いなどはしないだろう。そして、人の子は願いを口にした。
「——っていうのをお願いしたいんだけど」
「それは……そなたはそれで本当によいのか?」
あまりの願いの内容に、思わず聞き返す。
「うん。もう決めたことだから」
その声には、あの人の子に話をすると決めた時のような、力強さがあった。
「……承知した。そなたの望み、我が叶えてやろう」
「まさか、あのようなことを望むとは」
枝が揺れる。
「なぁ幸子。聞こえているのなら、どうか応えてくれ」
木々がさざめく。
「人の子らが……幸せに生きられるように」
愛おしむような音色で。
ゆうりから話を聞いた翌日。ゆうりは来ないと分かってはいたが、私はなんとなく公園に向かっていた。
「おや、おはよう人の子」
「おはようみどり」
みどりは今日もこの木のところにいたようだ。
「やはり今日もここに来たか」
「来るのがわかってたみたいに言うんだね」
「人という生き物は単純だ。一度ついた習慣をそう簡単に止められまい」
そういうものなのだろうか。まぁでもその口ぶりから察するに、ここにいたのはたまたまではなく私を待っていたからだろう。
「何か私に用事?」
「ああ。人の子からの預かり物があってな」
人の子、というと、おそらくゆうりのことだろう。でも、遠く離れた場所にいるゆうりの物を、みどりが預かれるものなのだろうか。
「一つ目はこれだ」
そういってみどりは、少し太めの木の腕輪のようなものを差し出してきた。一つ目ということは、他にも何かあるのだろうか。
「あやつが歌を送りたいと言ってきたのでな。我の力で作った腕輪に歌声を閉じ込めてやった」
「え、そんなことできるの?」
「我にかかれば造作もないことよ。そなたが歌を聞きたいと念じれば流れ始め、止めたいと思えば消える。ちなみに我の力が尽きぬ限り……世界に樹木がある限り、それが使えなくなることはないぞ」
その衝撃的な力に、みどりが人ではないことを改めて実感させられる。試しに念じてみると辺りにゆうりの優しい歌声が響き始め、止めようと思ったら本当に止まった。すごい。
「最後はこれだ」
贈り物は全部で二つらしい。差し出されたのは、シンプルな便箋のようだった。
「手紙の代筆を頼まれてな。流石の我もあちらの物をこちらに持ってくることは出来ぬし、なによりあやつの国の言葉で書かれてはそなたも読めなかろう」
手紙を受け取る。ゆうりは、私に何を書いたんだろう。
「開けてみるといい。我は遠くに行っておいてやる」
そういうとみどりは、木々の向こうへと歩き去ってしまった。
封を切る。手紙を取り出す。手紙を読み始める。
『あさがおへ
この手紙を読んでいる頃には、俺は少なくとも村を出た後だと思う。言いたいことがたくさんあるので、順番に言っていくな。
まず、俺はこの革命の後、たとえ生き残ってたとしても、もうここに来るつもりはない。』
「え……」
読み始めて早々、衝撃的な言葉が書かれていた。ここに来るつもりはない。何度読み返しても、見間違いではない。バクバクと鳴っている鼓動を落ち着かせるのも忘れたまま、続きを読む。
『これはあさがおのことが嫌いとか、会いたくないとかで言ってるわけじゃない。ただの俺のわがままだ。どういうことか説明すると、例えば、俺が生きてたらここに来るって言うとするじゃん?そうしたら、あさがおはきっとここで俺を待ってくれる。でもそれで俺が来なかったら、あさがおの中で俺は死んだことになる。それは嫌だなって。でも逆に、俺が生きてても死んでも来ないって言ってたら、あさがおに俺の生死はわからない。俺はたとえ死んでしまっても、あさがおの中でだけは生き続けたい。そう思っちゃったんだ。わがままでごめんな。』
ここまで読んで、思う。わがまま、なんて言葉を使っているけど、これはきっとゆうりなりの気遣いだ。ゆうりが死んでしまった場合に、私が悲しみに暮れずにすむようにするための。ゆうりにもう会えない悲しみと、気遣いへの喜びで心がぐちゃぐちゃなのを感じながら、それでも読み進めていく。
『 次に、感謝。さっきはうまく伝えられなかったから、ここでちゃんと伝えようと思う。まず、出会ってくれてありがとう。俺はあさがおと出会ってから、毎日が楽しくて仕方がなかった。それから、話を聞いてくれてありがとう。これは前にも言ったけど、初対面のあさがおが話を聞いてくれたおかげで、俺は夢ともう一度向き合えた。他にも色々伝えたいんだけど、なんというか、言葉が出てこないな。とにかく、あさがおにはすっげー感謝してる。本当にありがとう。』
出会ってくれてありがとう。話を聞いてくれてありがとう。どちらもこっちのセリフだ。ゆうりと出会えたおかげで、私の変わることのなかった日常が次々変わっていった。もちろんいい方に。ゆうりが話を聞いてくれたおかげで、過去と向き合えた。葵と仲直り出来た。伝えてもキリがないくらい感謝しているのに、もう直接伝えることはできない。その悲しみを飲み込みながら、続きに眼を向ける。便箋はもう残りわずかだ。
『 そして最後に。俺は、あさがおのことが好きだ。』
その一文を見た瞬間。息が、音が、世界が止まる。体温が上がって、鼓動が速くなる。心がなんとも言えない感情に包まれる。この気持ちはなんだろう。答えを求めるように、続きに目を滑らせる。
『あさがおの声を聞くと嬉しくて、あさがおの話を聞くと楽しくて。初めは友達として好きなんだと思ってたけど、思いがどんどん強くなっていって。大切だなあって、恋ってこういうのを言うのかなって思ったんだ。』
頬が熱くなる。声を聞くと嬉しい。話を聞くと楽しい。私はその気持ちを知っている。
『もう会いにこないって言ったすぐ後にこんなこと言うのは卑怯かなって思うんだけど、それでも言わせてほしい。』
視界が滲む。
『あさがおのことが、今までも、これからも大好きだ。ずっとずっと、愛してる。』
涙が溢れてくる。どうやら私は、恋に気づくその前に、失恋してしまっていたらしい。今更気付いたところで、もうなにも伝えられないというのに。それでも溢れ出てくる愛おしさに、私にとっての彼の存在の大きさを思い知らされる。これはもはや呪いだ。優しい彼が、最後に私に残した呪い。堕ちた涙が、便箋を湿らせる。滲んだのは、最後の一文。
『君が幸せでありますように』




